【聖書が教える誹謗中傷②】注意すべき3種類の悪口「無意識に相手を傷つけてしまわないために」(マタイの福音書5章22節、士師記19-21章、サムエル記第二15章3-4節)

この記事は約8分で読めます。

はじめに

今日は、聖書に出てくる3種類の悪口についてお話しします。

アトランタ・ジャーナルに次のような文章が掲載されました。 

“私” には、致命的な打撃を加える力と技術がある。 

私は相手を殺さなくても勝利できる。 家庭と教会と国家を破壊し、数多くの人生をも破壊する。 

私は風の翼に乗って旅する者で、どんなにきよい人も私には無力である。 

私は真理と正 義と愛を軽蔑し、全歴史と世界に私による犠牲者が存在する。 

私は海の砂よりも多くの奴隸を率いている。 

私は決して滅びず、赦すことがない。 

私の名は、“中傷’’である。」 

私たちが思っている以上に、「私たちの言葉」には力があります。 

落ち込んでいる時に、「大丈夫だよ。よくやってるよ」と言われたら、励まされますよね? 

言葉は人を生かすこともできるし、逆に殺すこともできます。 

2人の人がいれば、言葉で誰かを殺すことができると聞いたことがあります。 
2人の人が、口裏を合わせて、嘘をついて、徹底的に1人の人の悪口をいうのです。 
数日もたたないうちに、その人は衰弱して死ぬそうです。 

悪口は言われたくないですが、悪口を言わないようにすることも大切です。

私たちは、自分が思っている以上に、無意識で悪口を口にしているからです。

「この記事を見ると、聖書が教える3種類の悪口がわかります」

これから何回かに分けて「聖書が教える誹謗中傷」について取り上げていこうと思っています。

聖書は悪口について何と言っているのか?

まず、前提として旧約聖書も、イエス様も、パウロも、悪口を真っ向から禁じています。

聖書に、三つの種類の悪口が出てくるので、順番に見ていきます。

① 罵倒(マタイ5:22)

イエス様は、子供でもわかるもっともわかりやすい悪口の例をあげました。 

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

聖書(マタイ5:22)

誰かに「バカ」というのは悪口です。

ばかの意味をウィキペディアで調べました。 

1. 愚かなこと。 
2. 社会の常識に欠けていること。 
3. 知能が劣り愚かなこと。 
4. つまらないこと。無益なこと。 
5. 役に立たないこと。機能を果たさないこと。 
6. 理解力・判断力・知識などが人と比べて劣っていること。 

つまり、「バカ」は一例であって、相手を下に見るような言葉は全部悪口になります。

聖書は、相手を尊敬しなさいと言っています。

この種類の悪口はよくSNSで散見されます。

5月23日「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラー、木村花さん(22)のSNSに書き込まれていた「死ね」「気持ち悪い」「消えろ」などのコメントです。

② 微妙な嘘(士師記19-21)

これは、私たちがよく使うテクニックです。

ほとんどの場合、無意識レベルで起こります。

相手をもっと悪く見せるために、うそによって事実を歪めることがあります。

例えば、士師記19-21の出来事。

ダビデ王が生まれる前のイスラエルの話です。

レビ人は家出をしたそばめ(第二夫人)を迎えに行ったが、夜遅くなったので、ギブアという町で一泊することになりました。

その間、ギブアのチンピラが、そばめに一晩中暴行し、殺します。

レビ人は、朝起きてそばめの死体を見つけると、何の感情も表さず遺体を12に切り分け、イスラエル中に送りつけます。

レビ人は自分の思い通りイスラエルの会衆を動かすため、嘘を巧みに混ぜ込んで事件を報告しました(20:4-7)。

例えば、実際に暴行したのは「よこしまな者たち」(19:22)であったのに、報告では「ギブアの者たち」(20:5)という表現で、指導者たちがそれに加わったように言い、自分を殺そうとしたと言う。

これは微妙な嘘です。

彼らが楽しんでいると、なんと、町の男たちで、よこしまな者たちが、その家を取り囲んで戸をたたき続け、家の主人である老人に言った。「おまえの家に来たあの男を引き出せ。あの男を知りたい。」

聖書(士師記19:22)

すると、ギブアの者たちが私を襲い、夜中に私のいる家を取り囲み、私を殺そうと図りましたが、彼らは私の側女に暴行を加えました。それで彼女は死にました。

聖書(士師記20:5)

一方、自分がそばめを外に出したことには触れず、そばめがその場で死んだのか、その後十分な介抱をしなかったので死んだのかも明らかにしていません。

結果、ギブアの人々に怒ったイスラエルの11部族は戦争を布告し、ギブアのベニヤミン族はほぼ全滅しました。

何が原因だったのか?

レビ人の自分の都合でゆがめた微妙な嘘です。

SNSで言うと、「あいつは金の亡者だ」「人を騙している」などのあくまでも推測の域を出ないコメントです。

どうしても腹が立つなら、本人に直接聞いてみたらいいでしょう。

それをしないのは、ただの嫌がらせか、自分のコメントをみんなに見せて、洞察力を認めてもらいたいなどの願望から出てくるもので、相手への愛はありません。

また、日常生活で、私たちもよく使いがちです。

誰かに報告する時、自分にとって都合の悪いことは言わないで、相手が悪いように微妙に誇張してりしがちですよね。

友達と喧嘩したり、嫌なことがあった時、それをまた違う友達に報告する時、

「ちょっと聞いてよ〜」とこんなことされた、こんなこと言われたと言います。

「傷ついた自分」を証明し、同情してほしいので、相手の嫌なところを誇張します。

でも、だいたい自分が遅刻したこととか、自分が言った不注意な言葉とかはカットします。

まるで、言葉を切り取り、つなぎ合わせるマスコミのようです。

③ 悪意ある事実(2サムエル15:3-4)

悪口を悪口にする1番の理由は、悪意です。 

悪意がなければ、喧嘩してもすぐ謝れますし、一対一で言えば、忠告にもなります。 

ダビデの息子、アブシャロムが反乱を企てた話を知っているでしょうか? 

彼はいきなり戦争を仕向けたわけではありませんでした。 

彼は、最初に人々に父ダビデの悪い噂を広めることから始めました。

3  アブサロムは彼に、「聞きなさい。あなたの訴えは良いし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない」と言っていた。
4  さらにアブサロムは、「だれか私をこの国のさばき人に立ててくれないだろうか。訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。 
5  人が彼に近づいてひれ伏そうとすると、彼は手を伸ばし、その人を抱いて口づけしていた。 
6  アブサロムは、さばきのために王のところにやって来る、すべてのイスラエルの人にこのようにした。アブサロムはイスラエルの人々の心を盗んだ。

聖書(2サムエル15:3-6)

ここでアブシャロムが言っていることの本質は、 ダビデが正義を行っておらず、自分のほうがずっと良い働きをするだろう、ということです。 

これが事実かどうかは、聖書には、書かれていません。 

しかし、ダビデが民の不満を聞くため、組織的な機関を適所に配備していなかった可能性もあり、アブシャロムがダビデより上手くできた可能性もあります。 

しかし、明らかなことは、 アブシャロムがダビデにとって悪い情報を広めたということです。 

それは、ダビデを悪く思っていなかった人たちにも伝わり、不満が広がることになったのです。 

悪口を聞いた人々は痛みを受け、その結果、無用な戦いで2万人が死ぬ結果となりました。 

やはり、悪口には人を殺す力があるのです。

SNSやインターネットには、このタイプの悪口も多くあります。

芸能人を見て「劣化した」

政治家に「能力がなさすぎる」

政治家や芸能人、企業に対してはパブリックな存在である以上、健全な批判は必要だと思いますが、相手への敬意を払いつつ、悪意のないコメントすることを心がけたいですね。

②微妙な嘘と③真実に近いことの共通点は、だいたい陰口で使われることが多いです。

一対一で嘘をつけば相手は訂正しますし、事実であってもその場で相手が嫌だと言えばそれ以上話は広がりません。

基本的にその場にいない人のことは話さない方が賢明です。

もし、その場のいない人の話題になったら、良いことだけを話せばいいのです。

それか、本人がいたら、喜ぶだろうか?といつも吟味することが大切です。

まとめ

聖書のいう悪口とは何か?
私たちが注意すべき無意識でやりがちな3種類の悪口

罵倒(マタイ5:22)

SNSで言うと、「バカ」「死ね」「消えろ」などのコメントです。

聖書では、地獄行きの罪です。

② 微妙な嘘(士師記19-21)  

SNSで言うと、「あいつは金の亡者だ」「人を騙している」などのあくまでも推測の域を出ないコメントです。

そう思うなら、本人に聞いてみたらいいでしょう。

③ 悪意ある事実(2サムエル15:3-4) 

SNSで言うと、「劣化した」「能力がなさすぎる」などの本人が聞いたら傷つきそうなコメント。

本人のためになる言葉と方法で伝えられたらいいですよね。

どうでしょうか?

言われてみれば、誰もがこのうちのどれかを無意識にしてしまっているのではないでしょうか?

一番良い解決策は、その場にいない人の話はなるべくしないことです。

する場合は、「これを本人が聞いたら喜ぶだろうか?」とその人へ配慮することです。

だいたいは、その人が気に食わないとか、誰かを低くして自分の劣等感を慰めたいなどの理由で無意識に悪口を言ってしまいます。

悪口を言うことは勝手ですが、神様が見ておられます。

言葉は私たちが思っている以上に力のあるものです。

自分の言葉に責任を持って、相手への愛を動機として、言葉を発していくことを心がけたいですね。

これは、それこそ口で言うほど簡単ではないので、次回は、どうすれば悪口をしないようにできるのか?と言うテーマでお話しします。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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