怒りには2つの原因があります。
一つ目は、前回の動画で紹介した本来分かってほしい感情である『一次感情』です。
もう一つは、こうあってほしいという期待や理想である『~べき』という思い込みです。
聖書は、「~べき」という不完全な自分の正義を、キリストに持っていきなさいと言っています。
ですから、すべて他人をさばく者よ、あなたに弁解の余地はありません。あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです。
聖書(ローマ2:1)
怒りのメカニズムは、ライターに例えることができます。
ライターはガス(燃料)があり、着火スイッチを「カチッ」と押すと火がつきます。
怒りの燃料になるガスは、「〜して欲しいという」一次感情です。
着火スイッチは、「~であるべき」という自分の理想や大事にしている価値観です。
例えば、「夫は、妻はこうあるべき」「自分はもっと愛されるべき」「弱音は吐かないべき」「もっと努力するべき」
その自分の「べき」と現実にギャップがある場合、または「べき」が裏切られる場合、着火スイッチが「カチッ」と押されて怒りという火が生まれます。
問題は、この「〜であるべき」が人に向けらた時です。
「なぜ、あの人は〜しないのか」「なぜ、あの人はあんな失礼なことをするのか」
怒りが相手に向けられた時、強烈な憎しみを伴った怒りを生むことがあります。
怒らないためには、「〜べき」を対処する必要があります。
「〜べき」とは罪の根源とも言える「自分の正義」です。
アダムが善悪の知識の木の実を食べてから、人間は本来神様しか判断できない「善悪」を判断し、自分の正義を振りかざすようになりました。
その結果、お互いの正義をぶつけ合い、争いが生まれるのです。
どうすればいいのでしょうか?
キリストの前で、「自分の正義」が不完全であることを認め、神のように「あの人は〜するべき」と正義を振りかざした罪を反省することです。
そして、聖書が「あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています」と言っているように、自分自身にも科している「~であるべき」を手放しましょう。