律法って何?律法はもう不要なのか?「縛られているならヤバイです」

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はじめに

今日は、聖書の中に書かれている、「律法」について解説します。

毎日、私たちはルールの中で生きています。例えば、青信号で渡ることもそうですよね。それを守ることによって安全に生きるように世の中には様々なルールがあります。でも、正直に言って「ルール」と聞くと、「縛られる」というイメージもありますよね。実は聖書にも多くの神さまが人に与えた律法というルールがあります。そう聞いて、「ほら、神さまは私たちを縛ろうとする怖い神さまだ」と思わないでください。安心してください。聖書のルール(律法)は私たちを縛ろうとするためにあるのではないのです。

この記事を読めば、律法が定められた理由がわかるようになります。

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聖書は律法について何と言っているのか。

結論を一言でいうと、 律法は神の愛を知るための道しるべ です。

律法はだれが、いつ定めたの?

法律というのは多くの場合、国の中で権威を持つ政府が、その国を正しく治めていくために決定していくものです。世界のベストセラー聖書に記された律法も、同じように権威者が定めました。

その権威というのは世界を創造し、すべての動植物、人間をもお造りになるほどの権威です。そう、地上すべてを治める最高権威を持つお方、神さまが、この地上に住むすべての人のために定めたのが律法です。

そして、いつ定められたのかといえば、モーセを通して与えられた十戒がその最初と言えます。モーセというのはイスラエルの人々がエジプトのファラオのもとでの奴隷生活から脱出する時にリーダーとして神さまによって選ばれた人物です。そのモーセを通して神さまは、イスラエルの人々に10の命令をあたえられました。そう、十戒が律法の最初であり、中心です。出エジプト20章に十戒が記されています。

第一戒 あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
第二戒 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。
    それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
第三戒 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。
第四戒 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
第五戒 あなたの父と母を敬え。
第六戒 殺してはならない。
第七戒 姦淫してはならない。
第八戒 盗んではならない。
第九戒 あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。
第十戒 あなたの隣人の家を欲してはならない。・・・」

聖書(出エジプト20:3~17抜粋)

モーセの十戒を与えた後も神はさまざまなことを教え、律法を定めました。聖書の前半分、旧約聖書を信じるユダヤ教の教えでは365の「~してはならない」という教えと、248の「~せよ」の教え、合計で613の律法があるとされています。

律法が定められた目的とは?

「~してはならない」もしくは「~せよ」と定められていることからわかるように、律法は人間が何かをする時の基準ですが、それが人に対して定められたのはいくつか目的があります。

神さまの正しさをあらわす

律法という言葉は本来「教え」というの意味を持っています。すなわち神様が、人には守ってほしいと願われている神さまの思い、また「教え」なのです。
その「教え」を守り行う者には生命が与えられ、悪を行うものには、死をもって罰せられると記されています。

今、イスラエルよ、私が教える掟と定めを聞き、それらを行いなさい。それはあなたがたが生き、・・・

聖書(申命記4:1)

もしもあなたが、あなたの神、主を忘れ、ほかの神々に従って行き、それらに仕え、それらを拝むようなことがあれば、今日、私はあなたがたにこう警告する。あなたがたは必ず滅びる。

聖書(申命記8:19)

人に罪を自覚させる

律法は神さまの思いですので、人にとってはあまりにもハードルが高くなっています。ですので人は律法のすべてを、完全には守り行うことは決してできません。かえって守ることができないことで罪の意識が心に生じます。

なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。

聖書(ローマ3:20)

神さまとの正しい関係に歩む道しるべ

では、律法は私たちの心にイヤな思いを浮かび上がらせるだけのものなのでしょうか。律法は暗闇の中の光です。
例えば、照明のない道を歩んでいる時にライトがあれば道を間違えずにすむように、人生という道を、まるで手探りで不安を持ちながら歩んでいる私たちの人生には、確かな光が必要です。律法はそのライトの役割を果たしました。

あなたのみことばは、私の足のともしび私の道の光です。

聖書(詩篇119:105)

また律法は、人を神様との正しい関係に導く知恵、知識を与えました。

こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。

聖書(ガラテヤ3:24)

小さな子供をあずかって様々なことを教えるのが養育係の役割です。そして時が来れば預かった子供を親の元へと返します。

律法はその点において、イエス・キリストがこの地上に来られるまで人々を教え、人々の心に神様の「教え」を刻み、神の存在を知らしめる役割を果たしたのです。

ですので、律法は無駄や不要なものではなく、人々に神の義を教え、自分とは何ともしがたい人生を歩む中において、神により頼むという思いを起こさせるのに有益なのです。

なぜなら、人は律法を守ることによって救われるのではなく、律法を定められた神により頼む時に救われるからです。
これを先ほどのガラテヤ3:24では、「信仰によって義と認められる」と表しているのです。

イエス・キリストは律法のことをどのように言われた?

律法を廃棄ではなく成就するために来た

イエス様は律法を忌み嫌うことはなさらずに大切にされ、それらをすべて守られました。

わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。

聖書(マタイ5:17)

つまり、イエス様は私たち人類の代わりに律法を全て守ることで、私たちが唯一正しいイエス様を信じるだけで救われるようにされたと言うことです。

律法は神さまの愛の要約

イエス様が人々からモーセの律法の中で最も大切なものは何ですかと聞かれた時にこうお答えになりました。

37イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
38これが、重要な第一の戒めです。
39『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。

聖書(マタイ22:37~39)

イエス様は律法の神髄を「神を愛する」ことと「隣人を愛する」ことの二つの愛にまとめられ、私たちに要求されましたが、この愛さえもイエス・キリストが十字架上において示されました。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

聖書(ヨハネ3:16)

このキリストの愛を知り、キリストによる救いを信じた人々の応答が究極の律法である愛の実践です。

なので、神が私たちに求められているのは、律法の精神である「愛の実践」を神の助けの中で行っていくことなのです。

つまり、イエス様が律法を成就して下さったおかげて、私たちは律法によって裁かれることはなくなり、むしろ律法で示されていた「愛の実践」という前向きな神の御心を求めて、生きることが可能になったのです。

まとめ

結論を一言でいうと、 律法は神の愛を知るための道しるべ です。

1.律法はすべての権威を持っておられる神様によって定められた

2.律法はモーセの十戒をはじめとして613ある

3.律法を守り行うことによっては人は救われないが、律法を成就されたキリストを信じることで救われる。

4.律法の精神は「神を愛する」ことと、「隣人を愛する」ことに要約される

参考資料:聖書辞典(新教出版社)
     聖書辞典(いのちのことば社)
     新聖書註解・旧約1(いのちのことば社)

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