救われるって何?救われる方法「本当に救われていますか?」

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はじめに

今日は、「救いとは何なのか?」を説明します。

「救われる」という言葉はポジティブな表現で使われます。例えば「落ち込んでいたが、彼の一言で心が救われた思いがした」といったふうに「悪い状況が解消される」シチュエーションでよく使われますよね。では聖書に書かれている「救い」はどんな悪い状況から私たちを救って、どのように私たちの状況を変化させるのでしょうか。

この記事を読めば、聖書から「救い」の意味を知りることができるようになります。

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聖書は救いとは何だと言っているのか?

 救いは罪からの「回心」と霊的な「新生」を意味します。 

とは言っても、回心と新生という言葉自体が難しいの、この2つを軸に、救いについて詳しく見ていきましょう。

救いのイメージ

「救い」という言葉は新約聖書の中で、派生語も含めて180回以上使われるほど大切な言葉です。

聖書の原語であるギリシャ語では「救い」の意味を、「信じる者を罪の力から来る危険や破壊から”救い出し”て、神の憩いの中に”入れる”」ことだとしています。

創(造)られたものは、本来のいるべき場所にいればよい結果を生み出しますが、そうでなければ無用の長物になってしまいます。まるで、物を保管し、運搬するために造られたコンテナが、倉庫の片隅に長期間置かれていているようなもので、本来の役割(ポテンシャル)を果たせていないのです。

救いはそのようなコンテナが、フォークリフトによって一度持ち上げられた後、トラックに連結されて、新しい場所へと移動させられるようなイメージです。

救われる前の状態

まず最初に、救われる前の人の状態を確認しましょう。

①人は本来、神様と一緒にいましたが、罪を犯したので神様との関係が断ち切られていて、その関係は壊れています。
②神様から求められている役割を果たすことができないようになっています。時にはそのことにより罪責感を感じたりするようになっています。
③人との関係においても支障が出てしまうことがあります。

聖書のたとえ話に1万タラント(約6000億円)の負債の返済を主人から免除された家来がいました。しかし自分が貸していた100デナリ(約100万円)の取り立ての為に自分の仲間を牢屋に入れてしまったという話があります(マタイ18:21~35)。家来は、自分中心な生き方(聖書ではこれを罪と言います)をしたために、自分は多くを赦してもらったのに、ごくわずかな負債を抱えていた自分の仲間を赦すことができずに、人間関係を破綻させてしまったのです。

救いの方法

次に、神様が計画された救いの方法を見ましょう。

①恵みによる
第一に知っておきたいことは、救いは神様の恵みによって与えられるということです。人は罪ゆえに裁かれて、本来なら滅ぼされるような存在ですが、そんな私達を神様は愛してくださって、救いの計画を実行されました。人には払いきれない罪の代価(死)をイエス様が十字架により身代わりとなって処理して下さったのです。

②聖書のみ言葉を通して
物理的なものや目に見えるもの、”修行”を通して救いがやってくることはなく、神様のみ言葉を通して私たちに提示されました。

23「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
25しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。

聖書(1ペテロ1:23,25)

③キリストを信じる信仰によってのみ救いは与えられる。
信仰は、神様の約束の言葉に寄り掛かることです。例えば、私たちは家の壁にもたれる時に、恐る恐る体重をかけることはしません。不安なく壁に体を預けるはずです。なぜでしょう?壁にもたれかかっても壁が倒れることがないことを知っているからです。
聖書にある神様の約束の言葉は、信じるに足るものです。私たちが全存在を預けても裏切ることは決してなく、しっかりと私たちを支えてくれます。

8この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
9行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

聖書(エペソ2:8~9)

救いによって私たちに何が起こるのでしょうか?

恵みによって人が救いを頂く時、大きく分けると人の内側では
①回心すること
②新生すること

の二つが起こっています。もしくは始まっています。

①回心すること
人がイエス・キリストと出会う時、人はそれまでのみじめな生き方を「悔いて」、自分の罪から離れることを決心し、これからの人生の中ではイエス・キリストを「信じて」、神様の方向を向くことも決心します。
(まるで学校で覚えた「回れ右」のようですね。)
回心はこの二つ(悔い改め・信仰)の両方が必ず伴います。

②新生すること
人はキリストを知る前は霊的には死んでいた者なので、キリストと出会い、新しい人生を歩み始めるには、新しく生まれなければいけません。それは、新しい人として生きると同時に、神様がお創りになられた本来ある姿、場所へ戻ることでもあるので、「新生すること」は回復でもあるのです。

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

聖書(ヨハネ3:3)

救われた結果

私たちがイエス・キリストを信じ救われることは、神様側から見るとこのようになっています。
①神様は私たちを義(正しい)と認めてくださる。
②神と人との関係が正しく元に戻され、神の子とされる。

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

聖書(ヨハネ1:12)

ここで心にとめておいて頂きたいのは、「神様側から見ると」ということです。実は救われたといっても、その人の行動パターンが大きく変わったということはないですし、「聖人」になったのでもありません。救われた時に私たちがしたことは、ただイエス・キリストを救い主として「信じた」ことだけです。たったそのことだけでも神様は私たちを義とされ、神の子としてくださるのです。

③罪の結果としての滅び(死)からの救いを得る。

あなたがたが、信仰の結果である魂の救いを得ているからです。

聖書(Ⅰペテロ1:9)

聖書には「罪から来る報酬は死」だと書かれています(ローマ6:23)。これまで書いてきたように罪とは一つ一つの悪事ではなく、神様無しで生活すること、神様から背を向けた生活のことです。このような生活をしている人はだれでも罪の刈り取りをしなければいけません。すなわち永遠の滅び(死)へと投げ込まれます。しかしキリストを信じることにより死から救い出される約束が聖書にはあります。

まとめ

 救いは罪からの「回心」と霊的な「新生」を意味します。 
  1. 救われる前は神様との関係が断絶している
  2. 救われる前の私たちは創られた時の本来の姿ではない
  3. 救われる前の性質では人間関係にも支障があった
  4. 救いは「恵み」「聖書のみ言葉」「キリストを信じる信仰」によってもたらされる
  5. 救いの時、「回心」と「新生」が私たちに起こる。
  6. 救われた結果、神様から見て、義とされていて、神の子とされる特権を頂くことができる。

参考:「キリスト教教理入門」(いのちのことば社)
   「聖書辞典」(新教出版社)
   「聖書辞典」(いのちのことば社)
   「聖書ハンドブック」(聖書図書刊行会)

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