【人生を変える聖書のメッセージ#5】あなたの心の王座には誰が座っていますか?「自意識過剰対処法」ルカの福音書12章15-21節

自意識過剰対処法
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はじめに

私が牧師に就任して数か月のとき。教会の子供キャンプ、ユースキャンプでメッセージを語る機会が与えられまし
た。準備の時に霊的な戦いがありましたが、神様は二つのことで励ましてくださいました。

御言葉と祈りです。

御言葉に力があるから大丈夫。御言葉を語りなさい。祈りが積まれているから大丈夫。安心して、大胆に語りなさい。まるで「あなたは準備して語りなさい。あとはわたしがするから」そう言われてるようでした。そして、確かに神様は働かれました。ユースキャンプでは、一人が信仰告白をしました。

しかし、何が一番の戦いだったかというと、準備の時は、「いつも立派なゲストスピーカーが来るのに、今回はこんな私が語っていいのだろうか?」と人と比べてしまったり、メッセージを語ったあとは、「みんなどんな風に思ったかな?」「良かったかな?悪かったかな?」と自分のやったことに思いが向いてしまうことです。やったことをすべて神様に栄光を帰すことは、実はとても大変です。人に「どうだった?」と聞きたくなるし、「どうだった?」って聞く場合って、良かったという答えが欲しい場合ですよね。例えば、誰かが正直に「いやあ、去年の方がよかったよ」なんて言われたら落ち込むはずです。神様が働かれた、神様に使っていただいたことを、奉仕する前の祈りと同じくらい、奉仕した後の感謝の祈りが大事なのだと痛感しました。

KBI(関西聖書学院)のある先生の言葉が心に残っています。その先生は集会や奉仕の後は、「すぐに忘れて妻と映画を観に行く」そうです。意識的に、自分のやったことや周りの反応から離れるそうです。

また、この戦いはメッセンジャーだけではなく、すべての奉仕者に言えることです。何かを作れば、評価してほしいし。何かしてあげれば、感謝を求める自分がいます。
「こんなにやったのに、あの態度は何だ?」
「私はこんなに頑張っているのに、あの人は何をしてるんだ?」」
「誰も私を気にしてくれない」
「誰も私を評価してくれない」
このような不平不満、自己憐憫に陥った時、それは私たちが神様よりも「私」自身に目を向けている時です。気づけば、「私」「私」「私」。

今回の箇所の金持ちのたとえはまさにこの問題を語っています。原語のギリシャ語を見てみると、今回、イエス様が話されたたとえに出てくる金持ちは、実に17節から19節の3節で「私」と実に8回、「私の」と実に4回もいっています。

今日は、この金持ちのたとえから「あなたの心の王座には誰が座っていますか?」というタイトルで、ともに私たちの信仰の焦点を主に向けていきたいと思います。

あなたの心の王座には誰が座っていますか?

まずはじめに、イエス様が、なぜ、この金持ちのたとえを話されたのかという背景を知らなくてはいけません。

そして人々に言われた。 「どんな貪欲にも注意して、 よく警戒しなさい。 なぜなら、
いくら豊かな人でも、 その人のいのちは財産にあるのではないからです。 」

聖書(ルカの福音書12:15)


イエス様は「貪欲」に対して警告するために、弟子と群衆に話されたのです。貪欲の根源は自己中心です。神に感謝しなかったり、周りの人を気にかけないことは、まさに「神」ではなく「私」にだけ焦点を当てている自己中心の象徴です。イエス様は、この貪欲な金持ちを「愚か者」と呼びました。

しかし神は彼に言われた。 『愚か者。 おまえのたましいは、 今夜おまえから取り去
られる。 そうしたら、 おまえが用意した物は、 いったいだれのものになるのか。 』

聖書(ルカの福音書12:20)


この愚か者という言葉のギリシャ語はとても強い意味です。一般的な「愚か者」とか「馬鹿者」という意味だけではなく、倫理的にも、霊的にも破綻している人のことを言います。聖書は「貪欲な者」と「愚か者」に一つの共通点があることを示しています。

3 悪者はおのれの心の欲望を誇り、貪欲な者は、 【主】をのろい、 また、 侮る。
4 悪者は高慢を顔に表して、 神を尋ね求めない。 その思いは「神はいない」の一言に尽きる。

聖書(詩篇10:3-4)

愚か者は心の中で、 「神はいない」と言っている。 彼らは腐っており、 忌まわしい事を行っている。
善を行う者はいない。

聖書(詩篇 14:1)

つまり、貪欲な者や愚か者の特徴は、「神様を認めない」ということです。そして、そのような人を「神の前に富まない者」と言いました。

自分のためにたくわえても、 神の前に富まない者はこのとおりです。 」

聖書(ルカの福音書12:21)

神様を認めない人は、神様の前では満たされることはなく、その魂は決して富むことはありません。今回の箇所に続くのは、あの有名な箇所です。

何はともあれ、 あなたがたは、 神の国を求めなさい。 そうすれば、 これらの物は、 それに加えて与えられます。

聖書(ルカの福音書12:31)


そして、イエス様は、このたとえを意味を次のようにはっきり示されました。

主は言われた。 「では、 主人から、 その家のしもべたちを任されて、 食事
時には彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人とは、 いったいだれでしょう。

聖書(ルカの福音書12:42)

主人が帰って来たときに、 そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

聖書(ルカの福音書12:43 )

イエス様は、神の国を求めるように、そして、神の国の主人はイエス様であることを知りなさいと言われました。そして、あなた方はしもべであり、管理人であるということを明らかにされたのです。ですから、神の国のものを自分の物のように扱い、感謝もしない貪欲な者や、神などいないと勘違いをする愚か者は、神の国のしもべにふさわしくないと言っているのです。

今日の箇所の【ポイント】は、「私たちはしもべであり、神様が私たちの人生の主人であること」です。
「この神様との正しい関係を知り、わきまえなさい。そして、それを頭だけで理解するのではなく、そのように生きることが大切だ」と主は言っておられるのです。

私たちのお金、時間、賜物、命、人生の所有者は神です。私たちは主人が再び来られるまでの神の国の管理者だということ、私たちは神の国の主人でもないし、王もなく、神ではないということです。私たちが義とされるのは、神様と正しい関係を持った時です。どんな関係ですか?
私たちの罪のために身代わりになって死に、復活してくださったキリストを主人とする関係です。でもそんなことはクリスチャンなら誰でも知っているはずです。しかし、私たちは気づかないうちに、私たちの人生、生活、魂の主人であるイエスさまを差し置いて、まるで自分が人生をコントロールできるかのように振舞ってしまう時があります。気づいたら、自分が神のように、神の国の王のように振舞っているクリスチャンは多いのではないでしょうか。

では、私たちはどのような時に、自分が心の主人になってしまいやすいのでしょうか?この金持ちの言葉を注意深く見てみると、3つの段階があることがわかります。

① 外的に成功する段階

それから人々にたとえを話された。 「ある金持ちの畑が豊作であった。

聖書(ルカの福音書12:16)


外的に成功する段階とはどんな段階でしょうか?これは、私たちのある環境、活動、功績などが成し遂げられることを意味します。この金持ちの場合の外的成就は「ある金持ちの畑 が豊作であった」(16節)とあるように、畑の豊作、つまり豊かな収入、 所得です。成功した時、誰かに褒められた時、満足した仕事をした時が外的に成功する段階です。

② 内的に意識する段階

そこで彼は、 心の中でこう言いながら考えた。 『どうしよう。 作物をたくわえておく場所がない。 』

聖書(ルカの福音書12:17)


2つ目は「内的に意識する段階」です。これは、意識の焦点が内面に向かうことを意味します。この段階では、その成就を成し遂げた自分の内面に意識が移っていきます。この段階が、この金持ちにも見られます。彼は「心の中で」考えます。寝る前に、今日成し遂げたことを思い浮かべたり、誰かに褒められた自分のことを考えるといったことがその例です。

③ 自分に没頭する段階

17 そこで彼は、 心の中でこう言いながら考えた。 『どうしよう。 作物をたくわえておく場所がない。 』
18 そして言った。 『こうしよう。 あの倉を取りこわして、 もっと大きいのを建て、 穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
19 そして、 自分のたましいにこう言おう。 「たましいよ。 これから先何年分もいっぱい物がためられた。 さあ、 安心して、 食べて、 飲んで、 楽しめ。 」』

聖書(ルカの福音書12:17-19)


3つ目は「自分に没頭する段階」です。この段階は、心の中で祝祭が催され、たましいは祝賀客の賞賛を聞いて満足します。祝賀客もまた自分のたましいです。この金持ちの姿が、まさにこれです。彼は、まず、自分が直面した 問題に対して困り果てた心境を表現します。

『どうしよう。 作物をたくわえておく場所がない。 』

聖書(ルカの福音書12:17)


そして、すぐに答えが与えられます。驚くことに、助言者も自分です。

『こうしよう。 あの倉を取りこわして、 もっと大きいのを建て、 穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

聖書(ルカの福音書12:18)


問題が解決されると、たましいは、また自分のたましいに向かって祝賀会の招待状を送ります。

そして、 自分のたましいにこう言おう。 「たましいよ。 これから先何年分もいっぱい物がためられた。 さあ、 安心して、 食べて、 飲んで、 楽しめ。 」』

聖書(ルカの福音書12:19)


1、2の段階自体は悪いことではありません。しかし、この金持ちのように3自分に没頭してしまってはいけないのです。だからこそ、外的に成功した時、内的に意識する時に、注意しなければいけないのです。

1999年製作の『マルコヴィッチの穴』(Being John Malkovich)という変わった映画があります。その映画の主人公は、ジョン·マルコヴィッチの脳の中に入り、彼の考えや内面世界を知る独特な経験をします。ところが、ジョン·マルコヴィッチがそれを知り、自分の脳の中に入ってしまいます。自分の脳の中に入って世の中を見ると、目に映る人はみな、マルコビッチの顔をしていて、彼らが語る言葉は「マルコビッチ」だけでした。

まさにこれです。自分に没頭し、「私」という存在が心の中を埋め尽くすならば、次第に「私」が主人になり、私の人生をコントロールし始めます。問題は、クリスチャンであっても、気づかないうちにキリストを王座から退け、「私」を王座に座らせていることがよくあるということです。

「クリスチャンであっても」というのが厄介です。賛美も「神様を褒めたたえる」という目的から、なぜか「賛美リーダーや曲が「私」のスタイルや好みに合うかが大切になってきます。「私」の感情を優先し、賛美を「良いか・悪いか」という「私」の基準で判断し始めます。祈りもよく吟味しないと、神様の御心を求めることよりも、神様を「私」の欲望によってコントロールする祈りになる場合があります。「こうしてください」「なんでこうなんですか?」と、いうことも必要です。しかし、祈りに応えるのは神様であって、「私」ではないことを認めなければいけません。

聖書を読む時もそうです。「私」が聞きたい箇所、「私」が理解できる箇所だけ読みます。「赦しなさい」「さばいてはいけません」「施しなさい」「悪意あることばを口に出してはいけません」「みことばを宣べ伝えなさ。時がよくても悪くてもしっかりやりなさい」素直に従えばいいのに、「私」は「ああだ、こうだ」とすぐに言い訳を行って実行に移さない時があります。

では、私たちの心の王座にイエス様を迎えるために必要なことは何なのでしょうか?

そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、 よく警戒しなさい。 なぜなら、
いくら豊かな人でも、 その人のいのちは財産にあるのではないからです。 」

聖書(ルカの福音書12:15)


私たち罪人は気づかないうちに貪欲な者になりやすいものです。だからこそ、イエス様は、「どんな貪欲にも注意して、 よく警戒しなさい。」と言われたのです。そして、次です。「なぜなら、 いくら豊かな人でも、 その人のいのちは財産にあるのではないからです。」いくらお金持ちになっても、成功して素晴らしい生活を手に入れても、いのちはそこにないと言われたのです。

イエス様は言われました。

自分のいのちを救おうと思う者は、 それを失い、 わたしのために自分のいのちを失う者
は、 それを救うのです。

聖書(ルカの福音書 9:24)


いのちはどこにあるのでしょうか?いのちは、永遠のいのちはイエス・キリストにあるのです。

全知全能で全てを所有しておられるイエス様は、自ら王座を降り、人として私たちに仕えられるためにこの地に来られました。

6 キリストは神の御姿である方なのに、 神のあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を無にして、 仕える者の姿をとり、 人間と同じようになられました。 人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、 死にまで従い、 実に十字架の死にまでも従われました。それは私たちに永遠のいのちを与えるためでした。

聖書(ピリピ人への手紙 2:6-8)

私たちがするべきことは何でしょう?この金持ちのように、「私」「私」「私」と「私」ばかりに目を向けるのではなく、このような「私」に永遠のいのちを与えるために十字架でご自分を無にしてくださったイエス様に目を向けることです。このお方に従い、私たちの人生を捧げることです。

まとめ

今、あなたの思いはどこに向いているでしょうか?自分でしょうか?お金や良い生活、仕事や成功、人の評判評価でしょうか?イエス様でしょうか?今、あなたの心の王座には誰が座っているでしょうか?イエス様は言われました。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、 自分を捨て、 日々自分の十字架を負
い、 そしてわたしについて来なさい。

聖書(ルカの福音書 9:23-24)

キリストに私たちの心の王座に着いていただきましょう。そして、私たちが成し遂げた全てのものをキリストにささげるのです。そうすると 私たちの心は、自己中心の貪欲から解放され、主をあがめて礼拝する美しい礼拝堂、至聖所へと変わるのです。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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