カウンセリングの世界では、怒りは二次感情と言われています。
どういうことかというと、怒りの裏側には、本来分かってほしい感情である『一次感情』があるというのです。
つまり、こうあってほしいという期待や理想が裏切られ、分かってほしいと思うことが分かってもらえなかったときに怒りは生まれるということです。
この「一次感情」こそ、怒りの2つの原因のひとつです。
聖書は、満たされない心の一次感情を、キリストに持っていきなさいと言っています。
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
聖書(ヨハネ7:37)
イエス様は、人々の心の中には潜在的な「渇き」があることを知っておられました。
ここでの渇きとは、喉の渇きではなく、心の渇きです。
この心の渇きこそ、怒りの裏側にある『悲しい』『つらい』『寂しい』『不安』『苦しい』という一次感情です。
これらの一次感情は罪ではありません。
しかし、この感情が解決されないまま鬱積し、「誰も俺をわかってくれない」「あの人はもっと〜するべき」と火がついた瞬間、二次感情である怒りが生まれるのです。
つまり、私たちは怒りをコントロールする以前に、この根本的な満たされない心の渇きである「一次感情」を処理する必要があるのです。
この一次感情を満たせるのは、神様しかいません。
私たちの弱さを担い通られたからこそ、同情してくださるのもイエス様のみです。
このイエス様のもとへ行くなら、聖霊が心の奥底から溢れ出て、満たされると書いています。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
聖書(ヨハネ7:38)
生ける水の川とは、神の霊である聖霊です。
聖霊に満たされるならば、『悲しい』『つらい』『寂しい』『不安』『苦しい』という感情が、喜びへと変わります。
今、コントロールできない怒りに悩まされているでしょうか?
今日、一次感情に目を向けましょう。
辛い、苦しい、悲しい、疲れた、恐い、心配、絶望、孤独、これらの弱さを持っていることを認め、イエス様の十字架の前に持っていくのです。