約束の地:カナンってどこ?約束は実現するの?

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今日は、聖書の中に書かれている、「約束の地」について解説します。

「約束」という言葉を辞書で調べると、「当事者の間で取り決めたこと」「実現が約束された社長の座」、「結婚の約束」等が例えとして書かれています。

考えてみると、私たちは実はいろんな約束事の中で生きていることに気づかされますよね。聖書にも多くの約束が書かれています。その中でも「約束の地:カナン」はイスラエル民族発祥の約束とも言えます。

でも、聖書に書かれているその約束が自分にどんなふうに関係があるの?って疑問がありますよね。

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聖書は約束の地:カナンについて何と言っているのか。

結論を一言でいうと、 約束の地カナンは神さまがアブラ(ハ)ムに与えると約束した土地であり、現在のイスラエル(パレスチナ)の地 のことです。

約束の地:カナンの場所

約束の地:カナンは、聖書の最初の書物である創世記にその始まりがあります。最初の書物に書かれているということは、言ってみれば、聖書の最初から最後まで一貫して流れているテーマの一つということが出来ます。では、その場所はどこでしょうか。

神さまがアブラ(ハ)ムに語られた言葉にこうあります。

18その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。
19ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、
20ヒッタイト人、ペリジ人、レファイム人、
21アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を。」

聖書(創世記15:18~21)

神さまは、現代の国で言えば、西はエジプトの東側部分、東はイラクの西側部分、北はシリアにまで及ぶ広大な土地を「約束の地」として与えるとアブラ(ハ)ムに語られました。

現代で言うならば、パレスチナの地、大まかに言えばイスラエルと言う国のことです。

子孫と土地の約束に示された計画

この言葉が書かれた15章はまだ子供がなかったアブラ(ハ)ムに対して、彼から出る子孫が「星の数のように多くなる」という約束を神さまが語られたのと同じ個所です。ですので、神さまはアブラ(ハ)ムに子孫の約束と、その子孫たちが住むための新しい地である「約束の地:カナン」の二つをセットで示されていたのです。

子孫の約束はアブラハム自身が約束の成就を待つ信仰の忍耐を通して神を信じること、そして、アブラハムだけでなく、その子孫とその周りの人々が祝福され、最終的にはキリストによる救いの恵みにあずかるという神さまの計画に集約されていきます。

一方の約束の地はアブラ(ハ)ムがかつて住んでいたメソポタミヤの地はウルにせよカランにせよ罪にまみれていたので、アブラハムとその子孫が罪から守られるようにされたのです。さらに言えば、自分たちや周りの人々を豊かに祝福する基礎とされていくように、アブラハムとその子孫を取り扱うという神さまの計画があるのです。

神さまの計画というのは、自分や家族の祝福を頂くことでもありますが、さらに自分の周りの人々にも素晴らしい影響をもたらすのです。

約束の地:カナンの獲得までの困難

しかし、アブラ(ハ)ムに土地の約束がされましたが、その成就をアブラ(ハ)ムが完全な形で見ることはありません。その約束の成就はアブラハムから実に14代後の子孫であるダビデ王が王国を確立するまで時を待つことになります。

ではその間、神さまは約束は忘れていたのでしょうか。諦めていたのでしょうか。

そうではありません。神さまはその約束を彼の子、孫、またイスラエルの人々に引き継がれていかれているのです。

まず、彼の子孫、イサク、ヤコブを見てみましょう。

そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。

聖書(創世記28:13)

さらに時代が下ったモーセには、その時エジプトに住んでいたイスラエルの民を連れて「父と蜜の流れる地:カナン」へと行くように命じられました。

だからわたしは、あなたがたをエジプトでの苦しみから解放して、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地へ、乳と蜜の流れる地へ導き上ると言ったのである」と。』

聖書(出エジプト3:17)

それだけに終わりません。モーセによって引き連れてこられたイスラエルの人々がカナンの地に近づいた時に12人の偵察隊を派遣し、「乳と蜜の流れる地:カナン」がどのような土地であるのかを探らせました。そのうちの10名はその土地に住む人々が巨大で強く自分たちではかなわないと報告をしましたが、ヨシュアとカレブだけはこのような素晴らしい報告します。

あなたの聖なる住まいの天から見下ろして、御民イスラエルと、あなたが私たちの父祖たちに誓われたとおり私たちに下さった土地、乳と蜜の流れる地とを祝福してください。」

聖書(申命記26:15)

こうしてみていくと、神さまはその時代時代において、神さまの約束を信じる人々に親しく語りかけ、彼らとともに歩み、その信仰が守られるように助けてくださっているのがわかります。

神さまは決して、一度約束なさったことを保護になさいませんし、あきらめない方なのです。

約束は神さまから発せられ、神さまによって成就される

次に、神さまの言葉を受けた人々に共通することは何でしょうか。
それは、天地万物をお造りになられた神さまの約束の言葉の成就を「信じ」、そのことを告白したことです。
彼らはだれも神さまが約束されたことの結末をまだ見てはいませんでしたが、その通りになると信じました。

もちろん、機械のように自動的に信じたのではありません。見てもいないこと、人の目には不可能と思えることを、なんの問題もなく信じることが出来る人はいません。多くの失敗もしています。しかしアブラ(ハ)ムが神さまの約束を信じたとされた聖書個所にはこのように書かれています。

アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。

聖書(創世記15:6)

ちなみに、この個所はキリスト教のメッセージの中で、行いによって救われるのではなく、信じる信仰によって救われるというテーマで語る時によく使われます。

ところで、「主を信じた」は、「主によって信じるようにされた」と訳すこともできる言葉です。神さまは、ご自身が人に与えた約束が信頼にたるものだと、人が信じることができるように、その強い御手で人の心を動かされるのです。

同時にこの個所からは、「信じる」ことは自分の価値基準で目の前のことを判断するのではなく、ましては自分の力に頼ることでもなく、自分という自我をまずは心の王座から降ろして横に置き、神様を中心にお迎えすることから始まることを教えます。

というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいは彼の子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰による義によってであったからです。

聖書(ローマ4:13)

また、聖書にこうあります。

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」

聖書(ルカ1:45)

人は、幸せを求めて様々なことをします。より良い自分になることや、より影響力のある人になりたいと願う人もいるでしょう。でも幸せは神さまの言葉をそのまま受け入れ、信頼する人にこそ、用意されているのです。そこにはアブラハムが人の目では見渡すことができないほどの土地の約束が与えられたように、私たちが思いも及ばないほどの幸いが約束として置かれているのです。

まとめ

結論を一言でいうと、 約束の地カナンは神さまがアブラ(ハ)ムに与えると約束した土地であり、現在のイスラエル(パレスチナ)の地 のことです。

1.約束の地:カナンは今のエジプトからイラク付近のこと(大まかに言えばパレスチナの地、もっと大まかに言えばイスラエル)
2.約束の地:カナンは「乳と蜜の流れる地」と表現される良い土地。
3.約束の地:カナンへの希望はアブラ(ハ)ムに初めに与えられた。
4.約束は神さまから発せられ、神さまによって成就される

参考:聖書辞典(いのちのことば社)
   新聖書注解旧約1創世記→申命記(いのちのことば社)

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