安息日って何?どうして1週間は7日間?「安息日に疲れるクリスチャン」

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はじめに

今日は、聖書の中に書かれている、「安息日」について解説します。

「安息日」とは文字通り休む日という意味と、一週間の7日目という意味があります。世界中どこででも現代では1週間は7日間と決まっていますが、その最初はバビロニアや古代ローマで決められていたと、社会の授業で聞いたことがあるかもしれませんね。でもどうして、1週間は8日間や6日間ではなく、7日間なのでしょうか。また、なぜそのうちの1日が休みの日とされているのでしょうか。

この記事を読めば、1週間が7日間となった起源と、安息日の本当の意味がわかるようになります。

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聖書は安息日について何と言っているのか。

結論を一言でいうと、 安息日は、神さまと親しくする日 、ということです。

1週間が7日間となったのはいつ頃から?

現代の1週間7日間制に大きな影響を与えた古代ローマも、1週間8日間制だった時代があったと言われています。人々は7日間は働いて、8日目には市場に行って食料を買ったり、友人達と食事をしてリラックスした日を過ごしていたようですが、3世紀頃には1週間7日間制に代わっていました。変化した理由は諸説ありますが、その一つとして、古代ローマ社会にキリスト教が広まっていたことが影響した、という説があります。

キリスト教や、そのルーツであるユダヤ教では必ず7日に一度、その日は労働をせずに教会や会堂に集まり礼拝を捧げます。そのサイクルが古代ローマの社会にも受け入れられたという説です。古代ローマ世界の中で言ってみれば田舎の片隅であるイスラエルの宗教が、広大な勢力を誇った国の社会制度にまで影響を与えるようになっていたのは不思議なことです。

どうして7日間に1度休みがあるの?

それは、神さまが創造の7日目に休まれたことと、神さまが人に良くしてくださったことを通して神様をよく知るためです。

神さまが7日目に休まれ、その日を聖なる日と定められたから

神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。

聖書(創世記2:2)

天と地、水、光、大空、海、植物、天体、動物、……これらが日を追うごとに、そう、神さまの手によって創造されました。聖書の最初の書物、創世記に書かれています。そして6日目に人を造られた後「非常に良かった」とお考えになり、次の日、すなわち7日目には、すべての創造のわざを休まれました。
もちろん、神さまは疲れる方ではありませんので、疲労回復の為に休まれたのではありません。神ご自身の創造にわざに満足をして休まれたのです。

主(神さま)は、その休まれた日を他の日とは特別な日として、明確に区別されました。この区別を聖別といいます。聖書にこう書かれています。

それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。

聖書(出エジプト20:11)

神さまはご自身が休まれた日を、いわばお手本のようにされました。人に安息を示し、ご自身が造られた人にも、7日目には完全に労働から解放されるように願われました。そうすることによって、神様によって造られた人が、神さまと歩調を合わて人生の歩みを進めることを本当に願われている思いをシェアしてくださったのです。

安息日は、私たちが時間を聖別し、造り主である神様と親しく語り合う時とする日です。

造られたものは、造った方の声に耳を傾けるべきです。そうすれば、神様の人への思いをよく知ることが出来ます。そうすることにより、人は初めて、人らしく生きることが出来ます。

人をお造りになられた神様は、あなたのために良い計画を立ててくださっています。あなたが一番輝くためにはどうあるべきかを、神様はよくご存じです。

わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

聖書(エレミヤ29:11)

神様が人に良くしてくださったことを覚えることにより、神様を知る為

神さまが人に良くしてくださったストーリーをイスラエルの人々はよく覚えるように命じられています。

神さまは、私たちが病気が治ったことを神様に感謝するだけで終わることを望んでいるのではありません。聖書の神様は御利益(ごりやく)宗教ではありません。
聖書の神様は、人格を持っておられ、私たちと親しい関係を持ちたいと望んでおられ、聖書のストーリーを通して、私たちが神様を知るように待っておられる方です。

そのストーリーの1つが安息日についてです。

イスラエルの人々はかつて、エジプトで奴隷としての厳しい労働に苦しんできましたが、その苦しみの声を聞かれた神様はモーセをエジプトから脱出させるためのリーダーに立て、エジプトの王ファラオから解放します。

あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守るよう、あなたに命じたのである。

聖書(申命記5:15)

奴隷生活に苦しみ、死に直面していたイスラエルのエジプト脱出のストーリーは、圧倒的な存在感をもって人々に「神さまが生きて働かれる方」であることを示しました。そのことを神様が聖別された「安息日」が来るたびに礼拝を捧げ、思い出すようにと神様は、定められました。

礼拝をする理由は、神様がなされたことを人が覚え、生きて働かれる神さまとお出会いすることで初めて達成されます。神さまというお方は、双方向の関係の方です。礼拝の中で私たちと近くにいてくださり、親しく話しがしたいと願われておられるのです。

なぜ教会では1週間に一度、日曜日に礼拝をするのですか?

イエス・キリストが日曜日の朝によみがえって弟子たちにその姿を現わされたストーリーを覚えることを通して、イエス・キリストにある私たちの救いを感謝する為です。

※安息日は旧約聖書では本来、金曜日の日没から土曜日の日没までで、イスラエルでは今もその日に守られています。

エジプトから脱出したイスラエルの民は苦役から解放され、まさに目の前にあった死から逃れて命を得ました。
同じようにイエス・キリストと出会った人は、イエス様の十字架と死と、葬りと、復活によって、私たちの罪からくる報酬である死や、まとわりついて決して離れることのない醜い自我からの解放が「完了した」と宣言を頂くことが出来ます。

キリストの十字架は、信じる人を死から命へと移すのです。

まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。

聖書(ヨハネ5:24)

イスラエルの人々が安息日を覚え、聖なる日として神殿において捧げものをしたように、私たちはキリスト・イエスがよみがえられた日曜日を安息の日として聖別し、礼拝を捧げましょう。

まとめ

結論を一言でいうと、 安息日は、神さまと親しくする日 、ということです。

1.1週間7日間制は古代ローマ時代に取り入れられた
2.神さまは、いっさいの創造の御業を7日目に休まれた
3.安息日は神様が他の日から聖別された大切な日
4.神様は私たちのために良い計画を立てておられる
5.安息日は私たちが神様を知り、神様と出会うチャンス

参考:キリスト教教理入門(いのちのことば社)
   聖書辞典(いのちのことば社)
       ユダヤの祭り(ルース・スペクター・ラセール)

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