【聖書が教える人生の意味#6】人はひとりで生きていけるか?聖書(創世記2章18節)

聖書が教える人生の意味6
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はじめに

今日は、「人はひとりで生きていけるか?」というテーマについて説明します。

何だか疲れてしまい、ひとりになりたいなと感じることってありますよね。

特に人間関係で疲れているとき、ストレスを感じている時、誰にも気を遣わずにひとりで過ごしたい。
そう思うものです。

しかし、ずっと一人でいると、今度は誰かと話したり、人が恋しくなるのも事実です。

あるブログかニュースの記事だったか、ソロキャンプに行った人の感想が載っていました。

最初の日は、自然の中で、誰にも気を遣わずにひとりで過ごす時間を満喫できたといいます。
しかし、二日目になるとやることがなく退屈と、人がいない寂しさを感じるようになり、三日目には「なんで一人でキャンプに来ているんだろう」と全然、面白さを感じなくなり、帰ったとのことです。

適度にひとりになる時間も大切ですが、人との関係はやはり大事ですよね。

今日の記事を読むと、「人はひとりで生きていけるか?」という問いに対する聖書の答えを知ることができます。

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「人はひとりで生きていけるか?」

 一言で言うならば、「人はひとりで生きていけません」 

聖書は「人は一人で生きるために造られていない」と言っています。

また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」

聖書(創世記2・18)

神は、「人がひとりでいるのは良くない」と言われました。

そもそも、人がひとりで生きるのは良くないのです。

だめだと言っているわけでも、ひとりが悪いと言っているわけでもありません。

良くないのです。

ここに、なぜ、私たちはひとりでい続けると寂しくなったり、孤独を感じたりするのかという根拠があります。

ただ、この創世記の文脈は、結婚相手の必要性です。

神に造られた初めの人間アダムは、一人で生きていました。
一人で仕事をして、一人で動物たちや神の自然界を満喫していました。

ソロキャンプ状態です。

しかし、そもそも、人間は一人で生きるようには造られていないので、アダムに、エバという女性の結婚相手が与えられるのです。

なぜ、一人では「良くないのか?」
もう少し、聖書を見てみると、人格的な交わりの他に、人類に与えられた神の使命を果たすために不可欠であることがわかります。

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」

聖書(創世記1・28)

まず、人はひとりでは、子供を生むことができず、増えることや地に満ちることができません。
男のアダムが一人で、子供を作るのはどう考えたって不可能です。

また、地を支配して、生き物を治めるという使命を果たすことも一人では無理でしょう。

人は、たった一人自分で食料を探したり、たった一人で家を建てることができるでしょうか?

例えば、農家の人は米や野菜を作ることができます。
漁師は魚を捕ることができます。
なかには一人で野菜を作ったり、魚を釣ったり出来る人もいます。

アダムもしていたことでしょう。しかし、限度があります。
時間もエネルギーも限られているからです。

もしかすると、動物が果物をとって運んでくれていたかも知れません。

現代社会で、完全に自給自足するのは、かなりしんどいでしょう。

家を建てるにしても、一人で家を建てられる人がどれくらい、いるでしょうか?
大工さんなら自分で家を建てられますが、材木や窓ガラス、基礎のコンクリートなど、最初からすべて自分で作るのは難しいのではないでしょうか。

ただし、縄文時代のような住居なら、なんとか作れるかも知れません。
しかし、電気やガス、水道などを引くことは難しいです。
もちろん、冷蔵庫や洗濯機などの電気製品も一から一人で開発し、実験し、加工し、組み立てる必要あります。

つまり、人間ひとりで生活するということは、原始時代のような生活になるということです。

神様は、現代のような便利で豊かな生活が、人間ひとりの力では無理であることを知っておられました。

人間にはそれらをともに成し遂げるための助け手が必要なのです。

そこで、一番最初の、自分以外の「誰か」が妻のエバだったのです。

男に対する女。
それは、男が持っていない部分を持つ存在。

アダムにとっては「助け手」だったのです。

もちろん、エバにとっても、アダムは「助け手」でした。

男女が二人で協力して、生きていく。

人が一人ではない、一番最小人数のコミュニティが二人の結婚関係なのです。

男女が結ばれると、子供が生まれ、子供の数に比例し、家族が大きくなります。

家族単位で、増えていくことで、家族同士の交流が生まれ、ご近所さん同士の交流ができます。
そして、仕事仲間、さまざまな職業が生まれ、人間は分担作業によって、より神が造られた大きな世界を治めることが可能になっていくのです。

なので、人間は分業という方法で、それぞれ専門分野の職業に分かれて仕事をしているのです。

工場で働いて生産する人、お店で商品を売る人、学校で教える先生など、いろんな職業があります。
職業は、相手を助けるためのサービス(価値)を提供します。

現代は、お金で価値を交換しあって、生活に必要な物を手に入れているのです。

これが、一人だけで生きていくとなると、ひとりで食料を作り、家を建てて、着るものも作り、病気になった時は自分で治さないといけません。

普段、何も考えずに生活していますが、よく考えてみるといろんな職業の人が働いてくれているおかげで、自分の生活が成り立っていることが良くわかります。

もちろん、精神面においても、誰かの助けによって私たちは生きています。

なにか困ったことや苦しいことが起きた時。
誰かに相談できるなら、話しを聞いてくれる人がいるなら、とても気が楽になります。

つまり、人間はたった一人で生きていくことは、出来ないのです。
人はみんなお互いに助け合って生きているのです。

まとめ

「人はひとりで生きていけるか?」
一言で言うならば、「人はひとりで生きていけません」

聖書は「人は一人で生きるために造られていない」言っています。

だからこそ、誰かと仲良く、助け合っていく精神や術を身につけることは重要なんですね。

このように、聖書には、人生のなぜ?への答えが書かれています。
興味を持った方は、一度、聖書を読んでみることをお勧めします。
ご視聴どうもありがとうございました。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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