【聖書が教える人生の意味#10】なぜ人生には試練や困難があるのか?①「困難が絶対になくならない理由」聖書(申命記13:3、創世記22:1、1コリント人への手紙10:13)

聖書が教える人生の意味10
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はじめに

皆さん、こんにちは。
札幌駅徒歩5分、ビジネスマン向けの教会、札幌ガーデンチャーチのゆうき牧師と申します。

今日は、「なぜ人生には試練や困難があるのか?」というテーマについて説明します。

私たちの人生は、いつも良いことばかりとは限りません。
病気、家族の死、人間関係の問題、仕事の問題、経済的な問題、天災、日常の心配事や恐れなど、心が折れそうになるような出来事があります。

中には、毎日、心が重くて生きるのが辛い。
ずっと、長いトンネルの中を生きているような人もいるでしょう。

でも、もし神がいるのなら、なぜ、このような試練や苦しみがあるのでしょうか?

今日から3回に分けて、聖書に書いている3つの理由を見ていきます。

この記事を読むと、試練や困難に対する見方が変わり、乗り越える力を得ることができるようになります。

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「なぜ人生には試練や困難があるのか?」

 一言で言うならば、「神が許されるから」だと聖書は言っています。 

①試練の意味

まず、「試練」と言う言葉と「問題、困難」と言う言葉、ちょっとニュアンスが違う感じがしませんか?

「試練」は、「乗り越える」ことが前提になっており、何か前むきな要素があるのです。

つまり、問題や困難を、「乗り越えるためのもの」として捉える時、それらは試練に変わると言うわけです。

私は筋トレをしています。

筋トレをするときに、一番大切なのは、自分が簡単にできる負荷より、少し強い負荷をかけることです。

10kgのダンベルで楽々10回持ち上げられるなら、10回では決して筋肉は太くなりません。
50回くらいやって、筋肉が「もう無理だ~」となるまで追い込むか、20kgのダンベルでギリギリ10回できるくらいに負荷をかける必要があります。

ある人にとって、ダンベルはただの重い物体で、家にあったら邪魔でしょうが、筋トレしている人にとっては、ダンベルは筋肉に負荷を与える最高の道具と言えます。

人生の試練も同じようなものです。

ある人が、友達と喧嘩したとしましょう。

次の日になっても、頭から離れず、嫌な気持ちが続きます。
その人にとって、その友人との悪化した関係は「問題」であるわけです。

しかし、その問題を試練と捉えるなら、前向きになります。

喧嘩によって、お互いをより深く知ることができたと前向きに捉えるための試練。
悪化した関係をどうやって修復するかを考え、実行するための試練。
自分が悪いのになかなか謝れない人は、素直に謝る勇気を持つための試練。
いつも、相手の顔色を見てしまって、すぐ謝っちゃう人は、相手が謝ってくるまでじっと待つための試練。

これらの試練は、今の自分から見れば、少し思いダンベルのように、「ちょっときついな」「逃げたいな」と言うストレスやプレッシャーを与えます。

でも、大切なのは、私たちの捉え方です。
嫌なことでも、それを自分の成長や、誰かとの人間関係の向上のために役に立つと考えれば、試練になります。

②神が与える試練

試練にはポジティブな意味があることを見てきました。

次に覚えたことは、聖書には、「試練」という言葉がたくさん出てきます。
しかも、「神が試練を与える」と衝撃的なことが書かれています。

でも、一つ目のポイントを見てきたので、なんで神は試練を与えるんだ!?と言うイメージよりは、「そうか。神は私たちを成長させるために試練を与えるんだ」と言う感覚になっているのではないでしょうか?

あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、いのちを尽くして、本当にあなたがたの神、主を愛しているかどうかを知ろうとして、あなたがたを試みておられるからである。

聖書(申命記13:3抜粋)

神は、私たちを試すことがあるという意味です。
その理由は、私たちが神を愛しているかを知るためだとあります。

つまり、本来の試練、神が与える試みは、単に「私たちが成長して、強くなるとか、人生で成功するため」ではなく、「信仰面で成長すること」に重点があるのです。

どんな、問題や、困難があっても、「神は私を愛し、神は私を守ってくれる」と信じ抜く信仰が育まれるため。
また、「どんな状況でも、私は神から離れない」「神を愛し続ける」という揺るがない信仰を持つためなのです。

人生の中で、最も難しい試練を神によって与えられたのは、旧約聖書のアブラハムかもしれません。

彼は、神の命令により、たった一人の息子イサクを神に捧げなさいと言われたのです。

これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。

聖書(創世記22:1)

聖書にははっきりと「試練」と書いています。
しかも、神があわせられたとあるので、意識的にしていると言うことです。

アブラハムは思ったでしょう。

「なぜ、自分の息子を殺さないといけないのか?」
「なぜ、神はそんな残酷なことを命じられるのか?」
「神は私の息子から子孫を星の数ほどに増やすと約束されたではないのか?」
「私はもう100歳を超えているのに、大丈夫なのか?」
「意味がわからん」

と悶々としていたかもしれません。

しかし、このようにアブラハムが考えたとか、話したことは聖書に一切書かれていません。

あくまで、私の想像です。

大切なのは、アブラハムは、何も言わずに、この神の命令に従ったのです。

なぜ、彼は神のこの凄まじい試練を乗り越えることができたのか?
それは、彼が、ここまでで、多くの試練を通ってきたからです。

多くの失敗もありながらも、彼は神を信じ抜く信仰が数々の試練によって育まれていたのです。

アブラハムはこの神の試練を乗り越え、一人息子のイサクは死なずに、彼から、イスラエル民族が増え広がっていくのです。

③試練の乗り越え方

神に信頼する。これしかありません。
神が試練を与えるなら、それを乗り越える方法は神さまが知っているのです。

じたばたせずに、神に委ねる。神に信頼する。神に助けを求める。

これが試練を乗り越える鍵。というか、これができるように、神は試練を与えるのです。

私たちは人生に問題がなく、困難もなければ、神を簡単に忘れます。

まるで自分の力で人生がコントロールできるように錯覚したり、他人に対しても横柄な態度をとってしまったりもする弱さがあるのです。

しかし、神は私たちは神ではないこと、コントロールできないことがたくさんあることをわからせるために、試練を与えられます。

私たちが謙遜になり、神を頼って生きる時に、自分にも他人にも優しくなれるからです。

あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

聖書(1コリント人への手紙 10:13)

神が与えられた試練は、必ず乗り越えることができます。

四方が壁に囲まれたとき、上をみましょう。

いつでも、天が開かれています。

謙遜に、神に助けを求めるとき、あなたは必ず神の力で試練を乗り越えることができるのです。

まとめ

「なぜ人生には試練や困難があるのか?」
一言で言うならば、「神が許されるから」だと聖書は言っています。

  • ①試練の意味
  • ②神が与える試練
  • ③試練の乗り越え方

このように、聖書には、人生のなぜ?への答えが書かれています。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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