クリスチャンってどんな人?「お堅い、良い人、聖人?弱っちい、ダサい人々の集まり?」

この記事は約8分で読めます。

今日はクリスチャンってどんな人?「お堅い?いい人?聖人?弱々しい?ダサい??」
という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。

このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、
少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、
洗礼を受けて数カ月の筆者みずきが、ゆうき牧師に質問をしていき
聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。

この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
取り上げて欲しい疑問や話題があれば、ぜひYouTube動画のコメントでリクエストをお願いします!



ゆうき牧師
ゆうき牧師

今日はクリスチャンQ&Aということで
「クリスチャンってどんな人?」クリスチャンのイメージについて、
答えていきたいと思います。
例えば、「お堅い人とか、弱っちいダサい人の集まり」と言われることもあります。
その疑問について、2021年に洗礼を受けたばかりのみずきさんと一緒に
話していきたいと思います。

みずきは、クリスチャンってどんな人のイメージだった?

クリスチャンに対して抱いていたイメージ

みずき
みずき

身近にクリスチャンがいたことが、今までなかったんですよね。
なので、学校にいる「あの人クリスチャンらしい」というくらいの
距離感の人に対するイメージしかありませんでした。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

そういう噂とかって、あるんだね!

みずき
みずき

ありました!高校生の時にいましたね。
サッカー部の男の子で、家族で熱心に毎週日曜日教会に行くので
「日曜の部活には行かない」って宣言している子。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

それを女子が知っているってことでしょ?けっこう公言してるね。

みずき
みずき

そうですよね、今思えばすごいことですね。
けっこうそのことは周りの人は知っていたから、広まっていて
でもそれが悪口に発展することはなかったです。

「へー、そうなんだ」
「クリスチャンって、そうなんだね」みたいな感じでしたね。

その男の子自身が優しい人だったし、悪口を言うとか、
なにか派手なことするとか、先生に怒られるようなことをしたりするとか、
そういうこともなかったですし、成績も良かったです。
クリスチャンのイメージを悪くするような人物像ではなかったから、
私も偏見を持たずにここまで来れたような気がします。

だからクリスチャンに対して何か敵対心が芽生えたりとか、
嫌な思いをした経験がなかったですし、いい人とか柔らかいイメージはあります。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

なるほど。僕が今までクリスチャン歴36年、
牧師もやってて色んな人のイメージ聞いてきましたけども…
大体、3つのイメージがあると思うんですよ。


1つ目が「お堅い」とか「良い人」とか「聖人」っていう良い人パターン。

2つ目は弱っちいダサい人の集まり。

3つ目が、印象なし!


多分、日本3つめのこれ多いんじゃないでしょうか?
よく分からない、可もなく不可もなく。
身近にいないし…っていうか本当にいるの?みたいな。

そもそも、印象なし!?

みずき
みずき

たしかにそうですね。私もほとんど、印象無しに近い状態でした。
教会の建物は見かけるけど、果たしてクリスチャンって存在してる?って。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

聖書を見ると、実際すごく魅力的なんです、実は。
だから僕らが見てきた日本のクリスチャン、
自分も含めて僕らがちょっと、もしかしたら足りないのかな?と思います。
その人たちが悪いと言ってる訳じゃないですけどね。

だから札幌ガーデンチャーチはそこを意識していきたいと思っています。
聖書に書かれている、「クリスチャンってこんな人」は3つあります!

①クリスチャンは「人間らしい人」

ゆうき牧師
ゆうき牧師

誰よりも「人間らしい人」です。
固い人とか良い人、聖人というイメージがあるけれども、全く違うんですよ。

クリスチャンの条件は「イエス・キリストを信じた人」
そして信じるには条件があります。まず、自分が罪人であるということを認めること

罪人とは簡単に言えば「完璧に正しい人はいないし、自分はそういう人ではない」
ということを認めている人です。
クリスチャンじゃなくてもみんなそこは分かってますよね?
自分は完璧ではない、間違いも犯してしまう。
つまり、全ての人はクリスチャンになる条件を、実はもうクリアしています
クリスチャンというのは、それを自覚して、積極的に受け入れてる人です。

クリスチャンが集まる教会で、問題は必ず起きます。
なぜなら罪を持ってるし「聖人」「いい人」「何でも赦します」
そんなロボットみたいな人はいないからですよね。

みなさんがイメージするマザーテレサみたいな人は、
あまりにも自分と違うから「行っても楽しくなさそう」「自分は浮いちゃいそうだな」
みたいに感じてしまうんですよね。

札幌ガーデンチャーチを始めたきっかけとして、
このお堅い雰囲気を、ぶち壊したいというのがあります。
なぜかと言うと、普通の人こそ教会が身近であるべきなんです。
だって誰もが弱さを持ってるから。

でもその弱さを出せる場所って少ないですよね?
本当は教会こそ弱さを出せる場所なんです。
だから宗教の世界に入るとか、良い人になるっていうイメージは間違ってる、全然違うんです。
これは修道院とかカトリックのイメージがちょっと強過ぎます。

②クリスチャンは「強い人」

ゆうき牧師
ゆうき牧師

次に2つ目。クリスチャンは「強い人
クリスチャン=弱い人、というのは間違ってます

「不適合者の集まり」「社会でうまくいかない」「社会に馴染めなかった人の逃げ場所」
「他で馴染めなかったけどここでなら」みたいなイメージありましたか?
そんな馴染めない自分たちを正当化して、神に祈って自分は努力しない
なんだか無責任なイメージでしたか?

「神さま全部やってくれるから大丈夫ですよ!」というクリスチャンに対し、
ノンクリスチャンから「もっと努力しろよ」なんて思われがちです。
そういうクリスチャンがいないわけではないですけども、そうじゃないんです。

聖書を見ると「弱さを自覚している人の方が、強い」こう書かれています
自分は弱いけど、神様が力を与えてくれるので打たれ強いです。

高慢にならず、人の前でも謙遜になることができます。
自分の持っているもの、才能や時間さえも、
神に与えられたものと考えるので人に寛大に施すことができる。
自分が神に赦されている存在なので、人にも優しくなれる。
この世で生きる目的を知っているので、人生の希望を持って前に進むことができる。

これが聖書のメッセージなので、これを信じているクリスチャンは
本当はもっと魅力的で、生き生きして、しなやかさを持っている人なんです。

ですので、イメージされている脆くていつでも崩れ落ちてしまいそうな
エネルギーのない人なわけではないんです。
そういう人がいてもいいけど、聖書のメッセージはそこで終わりません。

③クリスチャンは「社会に影響を与える人」

ゆうき牧師
ゆうき牧師

最後に3つ目。「社会に影響を与える人
でも現状は、日本人の抱くクリスチャンの印象、薄いですよね?

本来は、今まで話してきた通り聖書をしっかり読んで信仰が成長したら、
社会を変えるぐらいの影響力を持つことができるんです。

歴史を見ても、マザーテレサ、キング牧師
1世紀、2世紀、3世紀ではローマ帝国は一気にクリスチャンの国に変わっている。
一国を変えるぐらいの影響力があるんですよ。

聖書のメッセージとイエス・キリストの力が強烈過ぎて、
結局、今世界で見ても70億人中23億人がクリスチャンと言われています。
日本では少ないけれどもね。
それはやっぱり、聖書のメッセージがそれだけ力強いということ。

マザーテレサやキング牧師、ちょっと変わった印象ありますよね?
そして印象だけでなく、彼らの内側は素晴らしい。
本も書いても、全然クリスチャンじゃない人が手に取って読みますよね。
感動するんですよ、こんな人に自分はなれないなぁ、と思うぐらいに素晴らしい。

でも札幌ガーデンチャーチは、
普通の人が社会の中で輝くクリスチャンとして生きることを目標としているんです。

みんなが「クリスチャンっていいな!」
「人間らしく、そしてたくましく生きて、しかも社会に影響を与えてる。」
「この人といると楽しいな、なんか勇気を貰えるな、相談したくなるな」
そういう輝く人ですよね。

クリスチャンは人生の本質に向き合い、実生活の中で答えを持っているんです。
それは聖書に書いてるわけです。
その書かれている通りに生きてみせるっていうことが
札幌ガーデンチャーチとしての使命です。

クリスチャンのイメージがもし「ちょっとダサい」とか「弱っちい」としたら
その人のイメージが強いのか?
もしくは日本のクリスチャンが、うまく伝え切れてないのかもしれないなと思います。

まとめ

Q.クリスチャンってどんな人?「お堅い?いい人?聖人?弱々しい?ダサい??」

A.聖書に書かれているクリスチャンは 

 ①人間らしい人 ②強い人 ③社会に影響を与える人

みずき
みずき

今、クリスチャンに抱かれているイメージが
聖書に書かれているクリスチャンと違っているように感じるのは、
日本でクリスチャンが少数派だから、というの原因の一つかもしれません。

日本の文化では、少数派だと批難されやすい、誤解されやすいことがあると思います。
みんな一緒の方が、みんな安心、といった雰囲気がどうしてもありますよね。
それで自分たちは弱い立場だと感じてるクリスチャンも実際いるかもしれないですね。

しかし、聖書に書かれてるクリスチャンは力強いし、
人間らしくて自分が弱いのも認めてる。
自分たちには罪があるし、それを悔い改めてるから前向きだし、魅力的ですよね。
今、日本の中で抱かれているクリスチャンのイメージとは、
ちょっと違うことが書かれているってことですね。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

そうですね。人間は誰しも罪があり、弱さがありますが
クリスチャンにはその解決策がある。
そしてどのように生きていくのかを示せるのが証であり、
伝道なのかなと思います。


聖書に書かれているクリスチャンのように
社会に影響を与える、輝く人となれるように祈りましょう!

それではまた次回、お会いしましょう!

読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。

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