【聖書の終末預言㊹】再臨1/4 キリストの再臨ってそもそも何?「再臨は聖書で◯番目に多く出てくる」 (黙示録16:1-21)

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はじめに

今日は、大患難時代のいよいよクライマックス「キリストの再臨」について説明します。

聖書って分厚いですよね。この分厚い聖書の中でもっとも大切な事柄って何?と聞かれたらなんと答えるでしょうか。天地創造?天国と地獄?神を愛し隣人を愛すること?新約聖書だけでいうと、一番多く語られているのが「信仰」について、二番目がなんと「再臨」についてなんです。

新約聖書の約7,959節中、300節以上で再臨が出てきます。25節に1節の割合で出てくる計算です。キリストの来臨の預言333個のうち、初臨が109個、 再臨は224個と、再臨の預言は初臨の2倍以上です。初臨と再臨については後で説明します。

また、聖書の筆記者約40人のうち、半数以上がが再臨に関して語っています。イエス様自身も、再臨について21回も触れています。現北海道大学卒業の内村鑑三もこう述べています。「十字架が聖書の心臓部であるなら、再臨はその脳髄(のうずい)であろう。再臨なしに十字架は意味をなさない。したがって、我々クリスチャンは再臨の信仰の立場に立って聖書を通観する必要がある」と。どういうことかというと、キリストが再びこの地上に来られる「再臨」は、実は私たちが思っている以上に重要であるということです。でも、いまいち現実味がわかなく、何が重要なのか、私たちに関係あるのかピンとこないのがこの再臨ではないでしょうか?

この記事を読むと、「再臨とは何か?」について簡単に理解できます。再臨はとても大事なので、続けてお話していきます。

最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てたYouTube動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」ということに対して少しでも興味のある方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

キリストの再臨とは何か?

一言でいうと、 イエス・キリストが地上に再び来られること です。

A. 再臨とは?

 イエス・キリストが地上に再び来られることを「再臨」と言います。 「来臨」とも言われることがあります。「再び」とあるので、キリストは一度、地上に来ていることが前提となります。

キリストは今から2000年前一度、地上に来ています。イエス・キリストは人として、イスラエルに来られました。これを再臨に対して、「初臨」と言います。キリストは、初臨の時、十字架上で死に、3日目に復活され、40日後に天に帰られたと聖書に書いています。

こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。

聖書(使徒1:9)


ここから、2000年たった現在に至るまで、キリストは地上にいませんが、その時、「もう一度来る」と約束されました

10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

聖書(使徒1:10-11)


その再臨の預言(約束)、一体どんな感じで再臨が起こるのかが、今日取り上げる黙示録19章に書いています。

また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。

聖書(黙示録19:11)


白い馬に乗った方とはイエス・キリストのことです。黙示録6:2にも、白い馬が出てきます。

私は見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得るために出て行った。

聖書(黙示録6:2)


ここでの白い馬に乗っていたのは反キリストを表していました。しかし、黙示録19:11では、白い馬に乗っているのは本物のキリストです。黙示録6章が、19章と表現が似ているのはなぜでしょう?それは反キリストがキリストの偽物だからです。

B. 初臨と再臨の違い

まず、来られた目的が違います。 初臨は、受難のために来られました。再臨は、王として来られます 。2000年前にメシヤ(キリスト)を待ち望んでいたユダヤ人のイメージは、実は再臨のメシヤのイメージでした。ダビデのような王として、イスラエルをローマ帝国から救い出してくれる軍事的な
リーダーを待っていました。



そうですよね。だって、当時はローマ帝国の植民地状態で、みんな貧乏で苦しかったんですから。12弟子を含むイスラエル人は、当時このイメージを持ってたんだということがわかると、福音書で弟子たちやイスラエル人の発言の意味がわかります。

そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」

聖書(使徒1:6)


十字架にかかり、復活した後も、このイメージを持ち続けている弟子たちがいますね。しかし、実際は、イスラエル人たちからメシヤではないと拒まれ、十字架にかかり死なれ、全人類の罪の罰を受けられたのです。2000年前にはロバに乗ってエルサレムに来られました。

14 イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。
15 「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」

聖書(ヨハネ12:14)


しかし、再臨の時には、白い馬に乗ってこられます。

また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。

聖書(黙示録19:11)

その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。

聖書(黙示録19:16)


つまり、初臨は受難のしもべとしてこられ、再臨は裁くために王としてこられるということです。どうでしょう。イメージが違うでしょう?どっちが大事なのか?どっちも大事ですが、聖書の中で初臨の預言が109個、 再臨の預言は224個と、再臨の預言は初臨の2倍以上であることから、再臨がもっと重要だと言えます。聖書は、十字架というイメージが強いですが、復活されたイエスが再びこの地上に再臨されるということをしっかり理解して初めて十字架の死と復活が意味をなすとも言えます。

C. 再臨の様子

11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。
12 その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。
13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。
14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。
15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の伺で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。
16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。

聖書(黙示録19:11-16)


ここから、どんなイメージを持てるでしょう?15節の「鋭い剣」「鉄の伺」「激しい憤り」から、戦われるメシヤです。再臨後に、世界最終戦争、通称ハルマゲドンの戦いが起こりますが、そこでキリストが戦われます。

私たちのキリストのイメージは、柔和で優しくてみたいな感じでしょう。もちろん、これは正しいです。しかし、イエスは神です。正しく裁かれるお方です。そこを忘れてはいけません。優しさと正しさは矛盾しません。どちらもイエス様です。キリストの再臨時、人々の反応は、悲しむ人と喜ぶ人の二つに分かれます。

27 人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。

29 そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。
30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。

聖書(マタイ24:27, 29-30)


人の子とはイエス・キリストという意味です。イエス様が来て、悲しむ人は、「うわ、結局、神がいるのか!」とショックを受けます。しかも、「イエスが神だったのか」ということが全世界で明らかになるからです。将来、私たちの誰もが、キリストの前に立つ責任があります。

人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。

聖書(マタイ16:27)

どうでしょうか?再臨について最も大切なことは、再臨が将来どう起こるかよりも、「今、準備出来ているか?」ということです。今、キリストがこられても、「あなたは」大丈夫か?ということです。準備は簡単です。2000年前にこられたイエスを信じることです。もう、2000年前に福音は伝えられたのです。今は、再臨までの信じる猶予期間なのです。再臨が起きちゃったでは遅いのです。

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

聖書(2ペテロ3:9)

なので、私たちが再臨を待望しているか、それとも恐れているかという現在の反応で、私たちの信仰が本物かがわかるのです。ちなみに、再臨は携挙とは違います。

まとめ

まとめましょう。キリストの再臨とは何か?

→一言でいうと、 イエス・キリストが地上に再び来られること です。

A. 再臨とは?
イエス・キリストが地上に再び来られることです。

B. 初臨と再臨の違い
初臨は受難のため、再臨は治めるため。

C. 再臨の様子
王としてこられます。イエスを信じていない人は悲しむとあります。

次回は再臨の理由についてお話しします。なぜキリストはこられるのかについて、もう少し詳しくお話します。

読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYoutubeでもご視聴いただけます。

参考資料:黙示録セミナー終末編 /オメガミニストリーズ•オメガバイブルスタディー、ハーベストタイムミニストリーズ/メッセージステーション 使用画像元: Pixabay, Unsplash

この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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