ゆうき牧師のバイブルライフコーチング

聖書の真理によって人生のあらゆる問題を解決するブログ

【聖書の終末預言⑦】コロナウイルス(疫病)は神の罰か?(創世記3:17)

約10分

はじめに

今日は、コロナ(疫病)は神の罰か?というテーマでお話しします。

今年の春のコロナパンデミックによりいろいろな情報が交錯していました。中国の台頭をはじめ、政治の動き、世界が「これからどうなるのか?」が気になります。世界中の教会や牧師は「終末」を意識。疫病と終末を結びつけるメッセージも多くなりました。私も例にもれず、たくさん調べるきっかけになりました。

しかし、調べていくとあることに気づきます。終末預言以外でも、実は、聖書には疫病がたくさん出てくるということです。そして、疫病が神の罰と結びつけられている箇所が出てきます。

そこで疑問になるわけです。
「このコロナをはじめとする疫病や災害って神の罰なのか?」

このメッセージを読むと、コロナ(疫病)は神の罰なのか?という問いの答えがわかります。コロナウイルスを聖書から冷静に判断することができるようになります。
 神様がどういう時に、災害を起こされたのを学び、私たちがこの疫病に対してどのような態度をもてば良いのかがわかります。 

最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てたYouTube動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」ということに対して少しでも興味のある方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

コロナ(疫病)は神の罰なのか?

今日の結論は、
 一言でいうと、コロナ(疫病)は大きな意味では神の罰ですが、断定はできません。 
では、3つのポイントを通して見ていきたいと思います。

① 疫病は罪の結果起こるようになった(大きな意味では罪に対する神の罰)

そもそも、罪の起源はアダムの神様の言葉(命令)に対する不従順です。善悪の知識の木の実を食べた罪によって人間は3つの死が入り込みました。

A. 霊的な死
 さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、聖書(エペソ人への手紙2:1)
B. 肉体の死
 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、聖書(ヘブル人への手紙9:27)
C. 永遠の死
 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によって害を受けることはない。』聖書(ヨハネの黙示録2:11)

この死を聖書は永遠の刑罰と言っています。

8 主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。
9 そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。

聖書(テモテへの手紙第二1:8-9)


なので、まず、アダムが犯した罪によって、全人類が永遠の滅びという「刑罰」を受けることになったということです。そして、大事なことは、人間に対する影響だけではなく、このアダムによって人類に広がった罪は、自然界にも影響を及ぼしました。

こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──

聖書(ローマ人への手紙5:12)


「世界に入った」→これを聖書は、自然界に対する「のろい」と言っています。

また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないと、わたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。

聖書(創世記3:17)


つまり、疫病などの災害は、アダムが罪を犯した後に、大地が呪われた結果、起こるようになったということです。台風、津波、地震、自然が暴走し、人間の生活を壊すような時があります。これは自然界の脅威と一言で片付けるのではなく、罪の結果起こったことです。

なぜか?人が死ぬからです。天国では、災害があると思いますか?ないですよね。

もし、天国で津波の脅威があるなら、天国で人が死ぬことになります。津波が来ても死なない身体になるという可能性もありますが、聖書にはちゃんと「世界に罪が入り、大地が呪われた」といっているので、災害は罪の結果です。

 つまり、広い意味で言うならば、疫病などの災害はアダム(人類)が犯した罪に対する罰だと言えます。 

②疫病は神が罰として用いる場合がある (小さな意味ではケースバイケース)

一つ一つの災害を特定の人の行いと結びつけて「神の罰である」というのはちょっと危険です。まず、「疫病は神が罰として用いる場合がある」というケースバイケースということを覚えておいてください。

旧約聖書を見ると、神は疫病をイスラエルや他国への罰として用いたケースが出てきます。ただ、逆に歴史上、全ての災害が説明されているわけではありません。神様が罰として用いられたケースのみが書かれています。

旧約聖書では、モーセが奴隷だったイスラエルの民を引きつけれてエジプトを脱出しようとするとき、神様は家畜に疫病を下されたという記述が出てきます。


また、ダビデ王の時代、ダビデ王が人口調査による罪を犯したとき、神様は罰としてイスラエルに疫病を下しました。

エレミヤ書にははっきり、罰と書いています。

わたしは、エルサレムを罰したのと同じように、エジプトの地に住んでいる者たちを、剣と飢饉と疫病で罰する。

聖書(エレミヤ書44:13)


神様は、人間の罪に対する罰として、災害を許される場合が実際にあったということです。
どのような罪か?高ぶりに対する罰です。

ダビデの息子ソロモン王の祈りに神様はこのように約束されました。

わたしが天を閉ざして雨が降らなくなったり、あるいはわたしがバッタに命じてこの地を食い尽くさせたりして、わたしがわたしの民に対して疫病を送ったときには、

聖書(歴代誌第二 7:13)


ここでは、神様が疫病を罰としてもたらすことがあることを示しています。14節を見ると、疫病がなくなる方法をも神様が示しています。

わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。

聖書(歴代誌第二 7:14)

これは、イスラエルの民族的な悔い改めにだけ適用されるものであり、今の私たちとは関係がないとする見方もあります。確かにそうかもしれません。しかし、災害を通して「謙遜になって罪を悔い改めて、神様に立ち返ることができる」というメッセージは受け取ることができます。

わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。

聖書(ヨハネの黙示録3:19)


高慢になって、罪を犯し続け、神様を恐れない生活をしている時に、神様は疫病を通して、私たちに悔い改めを促しておられる可能性も否定できないのです。

しかし、疫病などの災害をすべて、誰かに対する罰だと決め付けてしまうのも問題があります。全てに対して因果関係を考える必要はありません。なぜなら、もし、疫病を個人的な罪と結びつけるなら、コロナウイルスに感染したクリスチャンは「何か罪を犯した」、感染しなかったクリスチャンは「正しいことをしている」という間違った判断をしかねません。病気の人に、あなたが病気になったのはあなたの罪のせいだ。悔い改めなさい。と言える人がいるでしょうか?

それは、ヨブ記に出てくる友だちの過ちです。ヨブに起こった災害は、ヨブの罪のせいではありませんでした。サタンの誘惑が背後にあったと、ヨブ記は1章で説明しています。そんなこと、ヨブの友達はわかるはずありません。なので、因果関係を見つけようと必死にヨブへの神の罰だと決め付けていたのです。しかし、最後に登場した神様は因果関係を説明はされず、ヨブも友達も、最後に神様から叱責されます。結局、「神を恐れなさい」という結論に落ち着くのです。

 つまり、コロナを神の罰と断定することよりも、それを通して、神を恐れることがもっと大事なのです。 

では、私たちはどう対応すれば良いのでしょう?

③私たちはどう対応すれば良いのか?

疫病を恐れるのではなく、疫病を支配される神を恐れましょう。

わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを行う者。

聖書(イザヤ書45:7)


解釈が難しい箇所ですが、わざわいをも自由に作り出せるのが神です。悪い神というわけではありません。善悪の判断は神様がするものです。神様はマイナスに思える苦難や災害を通して、プラスに変えることのできる良いお方です。

この命が続く限り、この罪によって呪われた世界にいる限り、私たちは疫病などの災害に苦しむ可能性があります。しかし、神を恐れるものは、罪をもっている全人類が受けなければいけない、最終的な刑罰。永遠のさばきを免れると聖書は言っています。

17 こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。
18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。

聖書(ヨハネの手紙第一4:17-18)


自分が罪人であることを認め、その行いを悔い改めて、イエスキリストを信じるなら、神の罰に対する恐れがなくなるのです。罪に対する永遠の罰は、イエスキリストが十字架上で代わりに受けてくださったからです。

 だからこそ、疫病を通して、神様をいよいよ恐れ、イエス・キリストの十字架を受け入れましょう。 

本来は、疫病で裁かれてもしょうがない罪人でした。その罰を受けてくれたイエス様に、感謝し、謙遜になって、神を恐れましょう。

まとめ

コロナ(疫病)は神の罰なのか?
 今日の結論は、一言でいうと、コロナ(疫病)は大きな意味では神の罰ですが、断定はできません。 

1 疫病は罪の結果起こるようになった(大きな意味では罪に対する神の罰)
 大きな意味では、疫病などの災害はアダム(人類)が犯した罪に対する罰。

2 疫病は神が罰として用いる場合がある (小さな意味ではケースバイケース)
 一つ一つの災害を特定の人の行いと結びつけて「神の罰である」というのはちょっと危険です。「疫病は神が罰として用いる場合がある」というケースバイケースということを覚えておいてください。

3 私たちはどう対応すれば良いのか?
 疫病を恐れるのではなく、疫病を支配される神を恐れましょう。

聖書には、「恐れてはならない」というフレーズが365回出て来ます。私たちが恐れるべきなのは、神様です。神様を恐れる(尊敬する)なら、他のものへの恐れはなくなります。神様は神を恐れるものを疫病から守られます。

主こそ 狩人の罠から、破滅をもたらす疫病から、あなたを救い出される。

聖書(詩篇91:3)


神様は私たちを愛しておられます。疫病であなたを罰することが本来の目的ではないのです。私たちがイエスキリストの救いを受け入れ、永遠の刑罰を免れることなのです。

ブログを読んでいただきありがとうございます!このメッセージはYoutubeでもご視聴いただけます!↓

使用画像元: Pixabay, Unsplash

About The Author

札幌ガーデンチャーチ牧師ゆうき牧師
牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。
Follow :

Comment On Facebook