【聖書の終末預言㊺】 再臨2/4 なぜ、再臨が起こるのか?「神なしの世界に本当に平和が実現すると思いますか?」 (黙示録19:11-16)

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はじめに

今日も大患難時代のいよいよクライマックス「キリストの再臨」について説明します。前回は再臨とは何なのか?について説明しました。再臨とはイエス・キリストが地上に再び来られることでした。今回は、なぜ、再臨は起こるのか?です。

もちろん、聖書に預言されているということが大きな理由です。新約聖書の約7,959節中、300節以上で再臨が出てきます。25節に1節の割合で出てくる計算です。新約聖書だけでも「再臨」は「信仰」の次に一番出てくるくらい強調されています。預言の数は、重要度に比例するので、これは「必ず起こるのでちゃんと聞きなさい」と強いメッセージだということです。しかし、再臨がなんでそんなに大切なのかがいまいちわからないと、正直にあまり心に入ってきません。なんか、自分ごとのように思えないのです。

このメッセージを読むと、再臨は、人類にとっても必要であると言える明確な理由を知ることができます。再臨が抽象的な出来事ではなく、実生活と関係があるんだということがわかるようになります。最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てたYouTube動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」ということに対して少しでも興味のある方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

なぜ、再臨は起こるのか?

一言でいうと、 「キリストがこの世を正しく裁くために来られるから」 です。

①正しい裁きの必要性

また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。

聖書(黙示録19:11)


義をもってさばき、戦いをされる」とあります。なぜ、神が来て、この世を裁く必要があるのでしょうか?神が「さばきに来られる」と聞いて、「やったー!嬉しいな!」と思いますか?むしろ、「こわ!」とか、「なんでそんなひどいことするの?」と思ってしまいますよね?

でも、「正しい裁き」というのは、悪いことではないんです。例えば、自分の家族が殺された時に、警察がその犯人を適当に「罰金3万円」と言って釈放したら、どうでしょう?僕だったら、裁判します。というか、そんなことはありえないですよね?正しく裁いてくれる警察や裁判官がいるからこそ、私たちは安心して生活できるという側面もあるのです。「裁きを恐れるのは」自分が裁かれる場合のみです。

でも、なぜ、人間の裁判官ではなく、わざわざ神が来て、この世を裁く必要があるのでしょうか?

それは、この世があまりにも腐敗しており、人間の不完全な正義では、割りを食う人が生まれているからです。「割りを食う」とは例えば、冤罪って聞いたことありませんか?本当は、やっていないのに、訴えられ、罪をきせられ20年も牢獄に入れられるみたいなことです。これは、電車の中の痴漢などで多く起きています。本当に痴漢をしている人が多いのでしょうが、その中で本当にやってない人が勘違いで捕まり人生を棒に振ったということも実際に起きています。

また、企業の中でも「不正をちゃんと表に出そう」としても、権力や組織の力、お金の力によって潰されることも多くあります。既得権力者にとって厄介な正直者は、すぐに「左遷される」といった半沢直樹の世界のようなことが実際に起きています。どれだけ人格的に素晴らしい裁判官でも、ミスをすることもあるし、警察が賄賂を受け取ることは当たり前と言った国もあります。何が言いたいかというと、私たち人間の「正義」は不完全であり、それによって多くの歪みが生まれているということです。

世の終わりに反キリストによって、世界統一宗教や、番号管理制などのシステムが活用されます。人々は、これで不完全な正義による問題が解決される!と言った錯覚に陥ります。しかし、結局、反キリストという1人の悪い人間が悪用することで、独裁になり、反対する人々が殺されていきます。しかも聖書は人類の最後は戦争で終わると書いているのです。誰もが「戦争反対!」と心で思っていても、結局、世の中は戦争に向かうのです。それは、世界大戦で大きな悲しみを負った世界が、今も戦争をしていることを見れば簡単に予想できます。つまり、どんなに素晴らしいシステムも、素晴らしい考えも、素晴らしい指導者も、聖書でいう「人類の罪」があるせいで、必ず終わりに向かっていくということなのです。なので、 完全な正義を持っておられ、完全に遂行できる神様が来られる必要がある のです。

②聖徒を守り、敵と戦うため

キリストが再臨される時、教会があるのかどうかは携挙がいつ起こるかによって変わってきます。黙示録4章以降「教会」という言葉が出なく、私はすでに携挙されていると思っていますが、確かなことはその時、イスラエルという国はあるということです。再臨される直前に、イスラエルは敵国に囲まれています。その時、キリストが来られ、神を拝まず、サタンに従っている人々と戦われます。これをいわゆる「ハルマゲドンの戦い」と言います。

また私は、獣と地の王たちとその軍勢が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。

聖書(黙示録19:19)


その時、まず反キリストと偽預言者が捕らえられます。

しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。

聖書(黙示録19:20)


では、それ以外の人々はどうなるのでしょうか?

残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。

聖書(黙示録19:21)


反キリストに従った兵士たちも滅ぶことが預言されています。では、反キリストを扇動した首謀者であるサタンはどうなるのでしょうか?

1 また私は、御使いが底知れぬ所の伴と大きな鎖を手にして、天から下って来るのを見た。
2 彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、
3 千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで伴をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。

聖書(黙示録20:1-3)


サタンは、反キリストや偽預言者のように火の池に入れられるわけではなく、1000年間縛られるとあります。サタンには、まだ最後の役割が残されているということです。いわゆる千年王国の最後にサタンが解放され、その役割を 終えた後、サタンも火の池に入れられと預言されています。一方、この地上でサタンを拝まず、キリストを信じ続けたものにとっては、再臨は喜びであり、祝福です。「さばかれる~」と恐がる必要は全くありません。

また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。

聖書(黙示録20:4)


一つ目のポイントの正しい裁きの必要性でも語った通り、人類をそそのかし、騙す反キリストやサタンは罰せられないといけません。同時に神様は、神様を信じているものを救うお方です。神を信じるものをそのままにし、敵を繁栄させ続けることは神様の愛と義というご性質に反するのです。でも、この世では、正しい裁きが行われず、神様も沈黙しておられるように感じることがあります。歴史を通してもありました。なぜ、もっと早くきて助けてくれないんだ?と。その答えが、三つ目のポイントです。

③神なしの世界に終止符を打つため


人類はまさかこの世界に終わりがあるなんて考えません。自分の人生は80歳くらいで終わるのに、世界は永遠に続くように錯覚します。むしろ、不老不死を本気で研究する人もいます。研究自体は悪いことではありません。科学の進歩によって私たちは大いに助けられてきました。しかし、聖書は私たちの人生とこの世界には「終わり」があると言っていることを受け止めて生きる必要があるのです。終わりがあることを認めることは、「自分たちは神でない」「有限である」ということを認める謙遜な態度とも言えます。聖書を見ると、神様は何度も、この世界をもう終わりにしようと思ってこられたことがわかります。バベルの塔の破壊、ノアの洪水、ソドムとゴモラ、カナンの地の聖絶などです。その理由は、「この世があまりにも罪に満ちていて、弱いものが虐げられ、人類が傲慢になっているから」です。特に世界が洪水で沈没したノアの方舟のストーリーは、黙示録に近いと言えます。

神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。

聖書(創世記6:13)


でも、驚くべきことに、神様はこの時にノアという神を恐れる家族を残して、人類に希望を託しました。その後も、アブラハムを選び、ダビデを選び、最終的に、神自ら、この地上にこられ、福音をのべ伝えられました。それは、 「滅ぼす」ことが目的なのではなく、あくまで人類を「救いたい」から なのです。

そして、黙示録に、いよいよ、最後の最後、「もう次はない」という時が来るというのです。だからこそ、今、まだ世の終わりの大患難時代には突入していない、比較的平和な今に、福音を受け止めるチャンスがあるのです。

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

聖書(2ペテロ3:9)


キリストを信じるものにとって、再臨は終わりではありません。再臨によって、キリストはこの世を一新され、罪から解放された身体と世界で、永遠に幸せに過ごすことができるという、「始まり」なんです。

まとめ

まとめましょう。なぜ、再臨は起こるのか?
それは、 「キリストがこの世を正しく裁くために来られるから」 です。


①正しい裁きの必要性
②聖徒を守り、敵と戦うため
③神なしの世界に終止符を打つため

読んでくださってありがとうございます。このメッセージはYoutubeでもご視聴いただけます。

参考資料:黙示録セミナー終末編 /オメガミニストリーズ•オメガバイブルスタディー、ハーベストタイムミニストリーズ/メッセージステーション 使用画像元: Pixabay, Unsplash、iStock Wikipedia(使用画像URL下) ノアの箱舟→ https://ja.wikipedia.org/wiki/ノアの箱舟 ソドムとゴモラ→ https://ja.wikipedia.org/wiki/ソドムとゴモラ バベルの塔→ https://ja.wikipedia.org/wiki/バベルの塔一部を表示

この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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