信仰って何?「本当に信じているか、どうやってわかりますか?」

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はじめに

今日は、信仰とは何かについて解説します。

「信じれば救われる」と言う言葉を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

「救われる」と言う言葉自体も抽象的で、いまいちよくわかりませんが、「信じる」と言うのも、何を信じているのか、実はわかるようで、わからない人も多いと思います。

※「救われる」の意味を解説した記事はこちら
▶︎救われるって何?救われる方法「本当に救われていますか?」

信じるという行為は、目には見えません。

もし、あなたがクリスチャンなら「イエス様を信じています」とは言うけれど、一体、何を信じているのか、一言で説明できますか?

もし、誰かが「イエス様を信じています」といってるけど、普段の生活や、言動を見ると、どうも信じているように見えないこともあるでしょう。

この記事を読めば、信仰、つまり、キリストを信じるとは具体的にどういうことなのかを知ることができます。

信仰が何かわかるなら、信じていることにもっと確信を持つことができ、また、他の人に福音を伝えるときに、何をどのように信じれば救われるのかを、はっきり伝えることができるようになります。

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信仰とは何か?

 信仰とは、神を信頼している状態のことです。 

信仰は、神から与えられるもので、3つの具体的な行動で表されます。

今日は三つのポイントで一つ一つ見ていきましょう。

信仰とは、具体的にどのような行動か?

聖書を読むと、「信じる」ことは、具体的に3つの行動を表すことがわかります。

①受け入れること

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

聖書 (ヨハネ1:12)

まず、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々」とあるので、「受け入れる」=「その名を信じる」ということがわかります。

この方、その名というのは、「イエス・キリスト」のことです。
イエス・キリストを受け入れるなら、その人は信じているとわかります。

イエス・キリストを受け入れない人は、知識では理解しても、同意することを拒んでいる人です。

彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。

聖書 (ローマ書1:21)

②悔い改めること

ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます

聖書 (使徒の働き2:38)

賜物として聖霊を受けるとは、信仰を持った結果、神がその人のうちに住まわれるという意味です。

つまり、逆説的に考えれば、悔い改めた人は、信仰を持っているということになります。

悔い改めとは、自分が完全ではいことを認め、神の前に自分の犯した過ちを認め、告白することです。

③ロで告白すること

9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

聖書(ローマ書 10:9-10)

受け入れ、罪を悔い改めても、まだ、そのことは周りの人には表れにくいです。
もちろん、罪の悔い改めは、心で反省するだけではなく、生活態度になって現れるはずです。

しかし、もっとも、他の人が「この人は信仰を持っている」とわかりやすいのが、「信仰を告白」することです。

信仰を告白するとは、他の人の前でもキリストを救い主と認めることです。

もし、他の人には言えない、ちょっと自信がない、恥ずかしいと思うなら、その人が本当に信仰しているかは疑問です。

信仰とは、神を信頼して生きること

信仰とは、今まで見てきた三つの具体的行為だけではなく、信じ、告白した通りに生きている状態のことです。

つまり、神が自分の人生の導き手であることを認めて、神と親しい関係を持ち、信頼して生きることを意味するのです。

ヘブル人への手紙11章では、旧約聖書の中に出てくる人物を例に出し、信仰とはどういうものかということが書かれています。

「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

聖書 (ヘブル書11:1)

その生き方によって、私たちは信仰とは何かを知ることができるのです。

彼らは、神の約束の言葉(私たちにとっては聖書)を信じ、その通りに生きたのです。

信仰とは、概念ではなく、生き方そのものなのです。

なので、信仰を告白しても、その通りに生きていないなら、その人は本当は信じていないのかもしれません。

信仰とは、神の働きである

今まで、私たち側の行為や生き方で信仰を説明してきました。

しかし、絶対に忘れてはいけないのが、信仰とは、神の働きということです。

ん?どういうこと?と思いますよね?

例えば、これを読んでいる人の中にも、信じたいけれどもまだ信じられないという人もいるかもしれません。

その理由こそ、信仰が神の働きであるからなのです。

つまり、私たちがどんな信じたいと願っても、それこそ、さまざまな修行をしても、神の力がなければ、神を信じることはできないからなのです。

次の聖書の言葉を見てください。

聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。

聖書 (Ⅰコリント12:3)

聖霊とは、神ご自身のことです。
神ご自身の働きがなければ、人は信仰を持てません。

もし、神ご自身の働きがなくても、人が信仰を持てるのなら、人間の力だけで人は救われることになります。
救いは神の力であり、救いをもたらす信仰という行為そのものも、神の働きなのです。

しかし、逆に言えば、どんな人でも、神の力で、信仰を持つことができるということでもあります。

なので、あきらめずに、求め続けてください。
いつかスッと心に落ちる時が必ず来ると信じています。

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。

聖書 (マタイ7:7)

まとめ

 信仰とは、神を信頼している状態のことです。 

信仰は、神から与えられるもので、3つの具体的な行動で表されます。

今日は三つのポイントで見てきました。

  1. 信仰とは、具体的にどのような行動か?

①受け入れること
②悔い改めること
③ロで告白すること

2. 信仰とは、神を信頼して生きることである。

3. 信仰とは、神からの賜物である。

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