【人生を変える聖書のメッセージ#46】私たちは終末をどのように生きるべきか?マルコ13:28-37

この記事は約12分で読めます。

はじめに

マルコの13章の内容は、世の終わりに起こることに対するイエス様の預言です。
部分的には使徒の働きからAD70年のエルサレム陥落の時にも成就していますが、
これは、終末に起こる患難と、キリストの再臨です。

この13章がやがてこの世で起こることだとし、読むならば、普通の人なら背筋が凍ります。
なぜなら、「私たちは、この患難時代を通るのか?」という疑問が湧くからです。

その答えは、「聖書は明言していない。」ということです。
色々な神学者の説や、聖書の箇所を説明するだけで1時間以上かかるし、結論は出ないでしょう。

でも、大切なことは、聖書がはっきりと語っていることをしっかりと受け止めることです。

それは、今日の箇所にも書いています。

30 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
31 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
32 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

聖書(マルコ13:30-32)

「その日(再臨)は必ずくる。しかし、その日は神様以外は誰も知らない」

じゃあ、次の疑問は、「今は、終末にどれだけ近いのか?」ということです。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

聖書(マルコ13:28)

いちじくの木という言葉には、二重の例えがあります。
一つは、いちじくの木に葉が出て来ると、すぐに実を結ぶ、つまり、
イエス様が言っている前兆が起こったら、再臨はもうすぐだという例えです。

もう一つは、いちじくの木はイスラエルの国を表す例えで、
イスラエルが1948年に建国した今は、聖書の終末預言が成就している時代です。

「今は、終末にどれだけ近いのか?」という答えは、「今は終末である、もしくは限りなく近い」ということです。

今日の箇所で、終末を生きる私たちがどのように生きるべきか、イエス様ははっきりと語っています。

ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画を見ることができます。少しでも興味のある方は、ぜひ、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。

目を覚ますとはどういう意味か?

気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。

聖書(マルコ13:33)

再臨や患難時代がいつ起こるのかを論じるよりも大切なこと。
それが、今日のタイトルでもあります。
「目を覚ましている」ことです。

33節から37節までに、「目を覚ましていなさい」という命令は、四回も出てきます。

33 気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。
34 それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。
35 だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。
36 主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。
37 わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」

聖書(マルコ13:33-37)

これは、明らかな強調で、終末を生きる私たちに最も大切なことであります。

では、目を覚ますとはどういう意味でしょうか?
今日の箇所から、2つ意味がある事がわかります。

①注意して祈ること(33, 36)

気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。

聖書(マルコ13:33)

この目を覚ましとは、英語でアラートとも訳されています。
アラートとは、警報のことですよね。

避難訓練のサイレンとか、北海道の上を北朝鮮のミサイルが通過した時に携帯のJアラートとか、
「早く逃げてください!」と注意を促すものです。

警報がなったら、緊張しますよね?
お、警報なってる、でもあと5分寝よ。なんて人はいないと思います。

ここでは、そのような強い言葉が使われています。

何を注意するのか?

主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。

聖書(マルコ13:36)

聖書の他の箇所を見ると、この「眠っている」という表現は、霊的に眠っている状態だという事がわかります。

明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。 」

聖書(エペソ 5:14)

霊的に眠っている人は、キリストの光で目を覚ます必要があるのです。

私たちはどうでしょうか?
忙しくも、平和な日常を過ごしている中で、実は霊的に眠ってしまっている可能性があります。

問題は、当の本人がそれに気づかない事です。茹でガエルのように。
サタンは、様々な誘惑で私たちを眠らせようとします。
イエス様が来る時に、霊的に眠っている人を多くして、サタンはみちずれにしたいのです。

飢え乾きがあるうちは大丈夫です。罪悪感があるうちはまだ良いのです。
なぜなら、主を求めるからです。

今日、主は語られているのです。
「何をしているんだ!目を覚ませ!」

また、この霊的に眠っている状態と、祈りが強く関係があることが他の箇所からわかります。
イエス様が、十字架にかかる前に、ゲッセマネの園で、弟子たちと祈っていた場面です。

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

聖書(マタイ26:41)

この箇所でも、同じアラート(警報)のギリシャ語が使われています。

でも、実際はどうでしたか?
弟子たちは、祈れと言われたのに、眠ってしまいました。
そして、イエス様に1時間でも祈っていられないのか!と怒られます。
しかも、三回連続で祈れなくて眠りこけます。

正直に答えてください。
祈り始めて5分以内に眠くなる人!もしくは、祈ろう!と思ってもすぐに眠くなり、三日坊主になる人!

私もです。
祈ると眠くなる時があります。それは真実です。
なぜなら、祈りは霊的な戦いでもあるからです。

一日に何時間も祈るチョー・ヨンギ先生も、正直に言っていました。
「祈りは戦いだ」
祈り始めると、攻撃があるし、気がちるし、眠くなる。
でも、そこで負けてはいけない。と。

祈るなら、奇跡が起こることをサタンはしっているのです!

ルカの福音書にも、今日のマルコ13章と同じ内容の箇所があります。
そこにも、目を覚まして「祈りなさい」と書いています。

34 あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。
35 その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。
36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」

聖書(ルカ 21:34-36)

「目を覚ましていなさい」ということの、一つ目の意味は、①注意して祈ること(33, 36)です。

では、「目を覚ましていなさい」ということの、もう一つの意味は、何でしょう?

②責任を果たすこと(34)

それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。

聖書(マルコ13:34)

なぜ、ただ目を覚ませとだけ言わずに、イエス様は、「仕事を割り当てて責任を持たせ」というたとえをはなしたのでしょう?
それは、私たちには、任せられた責任があるからです。

マタイの福音書にも、今日のマルコ13章と同じ内容の箇所があります。
そこには、しもべの例えが書いています。

45 主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべとは、いったいだれでしょう。
46 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

聖書(マタイ24:45-46)

目を覚ましているしもべは、「任された責任を忠実に果たすしもべ」だという事が強調されています。

そして、その後は、花婿を迎える10人の花嫁の例えが続きます。
油を用意しておく、忠実な5人の花嫁と、そうでない5人の比較。
強調点は、「任された責任を忠実に果たすしもべ」です。

そして、そのあとの例えに、あの有名なタラントの例えが続きます。
あのタラントの例えって、イエス様の再臨の話の中で出てきたものだということを知っていましたか?

任されていたものを忠実に管理したしもべは、『よくやった。良い忠実なしもべだ。』と褒められます。
ここでも、強調点は、「任された責任を忠実に果たすしもべ」です。

神様が私たちに割り当てられている責任とは何でしょうか?
ちょっと、考えてみてください。

イエス様があなたに、任せている責任は何でしょう?
再び、イエス様が来られた時、何を持って「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言われるのでしょうか?

では、同じく、終末の預言が書かれている黙示録を読んで見たいと思います。

1 また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
2 目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。
3 だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

聖書(黙示録 3:1-3)

ここでも、「目を覚ませ!」とマルコと同じギリシャ語が使われていますが、注目したいのが、2節の「そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。」ということです。

私たち自身が注意して目を覚ましていることはとっても大事です。
でも、今日のメッセージは、そこで終わらないのです。

私たちの周りで眠っている人を目覚めさせること、その責任があるということです。
黙示録は、もっとストレートに、霊的に死にかけている人が周りにいるじゃないか?
見えないのか?力づけなさい!と私たちに言っています。

中国で宣教されている方が、中国の信者は、自分の成長や教会の成長よりも、この福音を人に伝えたい!と思っているとおっしゃっていました。

私は本当に感動しました。
心の中の冷たかった部分が、燃やされ、「そうだな。そうだな。失われた魂に対するイエス様の心ってこれだよな」
羊飼いがいない羊を見て憐れまれたイエス様。
病に苦しみ、罪や悪霊に縛られた人たちの近くに来られ、憐れまれ癒されたイエス様。
これだよな。と心が燃やされたんです。

マルコの福音書の最後は、復活したイエス様が弟子たちに残したお言葉で終わります。

15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。           
17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕

聖書(マルコ16:15-20)

全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
聖霊に満たされ、私がしたように、神の国を証しなさい。

イエス様は、このように命じられ、天に帰られました。
みなさん、これは、イエス様の最後の言葉なんです。
最後の言葉っていうのは、一番大切な言葉なんです。

ゆうき牧師のストーリー

私は、この、「すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」という言葉がどれほど強いかを知っています。

私は2010年、礼拝で、献身を決意しましたが、ミャンマーにいる日本人の宣教師が来ていて、メッセージの最後に招きがありました。
それはイザヤ6:8「誰を遣わそう。誰がわれわれのために行くだろうか」という御言葉に答える者はいるかというチャレンジでした。

勇気を出して、講壇の前に進みました。
その時、今まで経験したことのない主の圧倒的な臨在の前に涙がとまりませんでした。

主はその時、「ついて来なさい」と言われました。

私は「いつですか?」と聞きました。
「今だ」と、とても早く強い口調で主は答えられました。
私はもう一度「いつですか?」と聞きました。また、強く「今だ」と答えられました。

私はそのときの主のとても早く強い、「今だ!」という声を忘れられません。
それは、私が思う以上に、主は緊急を要する働きに、私を遣わしたいのだと感じたからです。

今も滅びゆく、魂がいる。
イエス様が一番、その一人一人、全ての魂に福音が伝えらえるのを望んでおられます。

福音を宣べ伝える

今日の13章でもこのように言っています。

こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。

聖書(マルコ13:10)

なぜですか?
一人も滅びることを望んでおられないからです。

福音を伝えて、その人が受け入れるかは、その人の責任です。
言うなれば、神様の領域です。
しかし、伝えるのは私たちの責任です。

眠っている暇はないのです。
自分のことだけ考えていてはいけないのです。
警告をならさなければいけないのです!

目を覚ませ!

わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。

聖書(エゼキエル3:18 )

まとめ

今日、語られる主の御言葉に心を向けましょう。

目を覚ましなさい!
これは、単なる言葉ではありません。
警告です。

そして、私たちは、
①注意して祈ること(33, 36)
②責任を果たすこと(34)

が語られています。

最後に37節をご一緒にお読みしましょう。

わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」

聖書(マルコ13:37)

イエス様の言葉をよく見てください。
「すべての人に言っているのです。」

すべての人とは誰でしょう?そして、私たちはどうしますか?

聖書理解に役立つ3大特典を無料でプレゼント中!↓
友だち追加
この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

ゆうき牧師をフォローする
人生を変える聖書のメッセージ
ゆうき牧師をフォローする
タイトルとURLをコピーしました