【人生を変える聖書のメッセージ#23】善悪の知識の木⑤第二のアダムの従順「罪を一言を表すと?」ローマ5:12-21

善悪の知識の木
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はじめに

キャサリン・デイビスという人が作った賛美歌「万物は生きている」の歌詞にこのようなことがあります。

「主が定められた法則に従って、星はその軌道を回り、太陽も光を放つ。」

万物の動きには「従って」という表現がぴったりです。
神が、太陽の名を呼び、するべきことを教えられると、太陽や無数の星はそれに従います。

星・惑星の中にある電子。
魚の細胞の中の分子さえも神の命令に従います。
神様がお造りになられたすべてのものは、完璧な従順により、秩序を保っています。

しかし、私たちはこの従順という言葉の価値がどんどん薄くなっている時代に生きています。

以前は、学校の生徒が先生に従うことは当たり前でした。
そこにあまり理由は入りませんでした。
しかし、今は子供の顔色を伺っている先生もいます。

また、家庭でも子供が両親に従うことが当たり前でなくなっています。
結果的に、子供のしたいことに従ってしまっている親も少なくないかもしれません。

聖書は、この従順をとても大切にしています。
なぜ、でしょうか?
それは、神様に造られたものの中で、人間だけが、自由意志を持つからです。
人間だけが、自分の意思で、自発的に従うか、従わないかを選択することができるからです。
そして、神に従順するならば、人間は本当の幸せを得ることができるからです。

先週のメッセージ。
権威に対する忠実な姿勢。
百人隊長の従順。

全人類の歴史の中で、神様に完璧に、従順した人はたった1人だけいました。
それは、イエス・キリストです。
不従順の第一のアダムとの比較から、イエス様は第二のアダムとも言われています。

聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。

聖書(1コリント15:45)

第一の人は地から出て、 土で造られた者ですが、 第二の人は天から出た者です。

聖書(1コリント15:47)

今回のローマ書もまた、善悪の知識の木の実を食べたアダムの不従順と、イエスさまの従順が比較されています。

今日は、善悪の知識の木シリーズの最終回。
このイエス様の従順が私たちの実生活にどのような影響があるのか、共にローマ書から見ていきましょう。

ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画を見ることができます。少しでも興味のある方は、ぜひ、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。

【①罪→全人類】アダムの不従順

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、−−それというのも全人類が罪を犯したからです。

聖書(ローマ5:12)

12節を通してわかることは、「アダムを通して罪が全人類に入った。」ということです。

どのようにして、罪が全人類に入ったのか?
それが、今まで見てきた善悪の知識の木の実をアダムが食べたことを通してです。

罪の根源を一言を表すと、「神のみことばへの不従順」です。
いいですか?従順というのが聖書の大きなテーマの一つなのです。

そして、聖書は、アダムだけではなく、全人類も罪を犯したと言っています。

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、−−それというのも全人類が罪を犯したからです。

聖書(ローマ5:12)

アダムが罪を犯したのは別にいいけど、それはアダムであって、俺じゃない。とはいかない。ということです。

聖書を見ると、一人の罪は、全集団に影響するということがわかります。
現代の個人主義とは異なる、ヘブライ的な考えです。

ヨシュア記のアカンの例。聖絶のものを隠しました。

では、自分が罪人であるかどうかは、どのようにしてわかるのでしょうか?
勘の良い人は、社会の様々な問題を見て、あるいは、自分自身を見て、自分は罪人だというかもしれません。

しかし、その主観的な基準では不十分です。
神様は、正確で客観的な基準を、すでに人間に与えておられることを知っていますか?
それは、イスラエルに与えられた律法です。

というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。

聖書(ローマ5:13)

律法を通して、私たちは、自分が罪人であることを知ることができます。
なぜなら、律法を完全に守ることができる人は、誰一人としていないからです。

聖書からわかること、それは、「私たちは、アダムの罪の性質を受け継ぎ、例外なくみな罪人である。そして、神様に完璧に従順することができなくなった」ということです。

【②義→信じる者】イエス様の従順

先ほど、「私たちは、アダムの罪の性質を受け継ぎ、例外なくみな罪人である」と言いました。
しかし、イエス様の従順によって、次のこともまた真理となりました。

「私たちは、キリストの義の性質を受け継ぎ、キリストによって義とされる」

15-17節には、アダムとイエス様の三つのことが比較されています。

  1. 違反と恵み
  2. 罪と義
  3. 死といのち

15 ただし、恵みには違反の場合とは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。
16 また、賜物には、罪を犯したひとりによる場合と違った点があります。さばきの場合は、 一つの違反のために罪に定められたのですが、恵みの場合は、多くの違反が義と認められるからです。
17 もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。

聖書(ローマ5:15-17)

アダムの不従順によって、違反に支配されていたけれども、
イエス様の従順によって、信じるならば、恵みに支配されるのです。

アダムの不従順によって、罪に支配されていたけれども、
イエス様の従順によって、信じるならば、義に支配されるのです。

アダムの不従順によって、死に支配されていたけれども、
イエス様の従順によって、信じるならば、いのちに支配されるのです。

ここでのポイントは、アダムの違反よりも、イエス様の恵みの方がはるかに大きいということです。
イエス様の義は、アダムによってもたらされたどんな罪をも飲み込みます。
イエス様のいのち、死の支配さえにも、完全に打ち勝ちます。

支配という言葉に注目してください。

もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。

聖書(ローマ5:17)

支配の例え「光と闇」

支配ということは、光と闇の関係で表すことができます。

暗闇は、どんなに頑張っても追い出すことはできません。
大声で叫んでも、手をブンブン振っても。
しかし、一つだけ方法があります。

電気をつけると闇は消え去ります。一瞬です。
つまり、闇は光に打ち勝つことはできません。
光の前では、暗闇は一瞬で敗北するのです。

これが、イエス様によって与えられる永遠のいのちの支配の効力です。

パウロは、別の箇所で、「圧倒的な勝利」と言いました。

いいですか?イエス様の支配は、私たちの実生活においても圧倒的なのです。

どうやって罪の力を打ち破ったのか?

では、イエス様は、どのようにして、第一のアダムの罪、死の力を打ち破ったのでしょうか?
それは、完璧な従順です。

すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。

聖書(ローマ5:19)

18節では、義の行為と言っています。

こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。

聖書(ローマ5:18)

アダムは善悪の知識の木の実を食べ、不従順をもたらしました。
しかし、イエス様は完全な人してこの地上に来られ、完璧に従順しました。

「善悪の知識の実を食べてはいけない」という誰にでもできる簡単な命令だったのに、イエス様の従順は十字架というとても難しいものでした。
両方、木です。不思議ですね。

アダムは、ほぼ完璧に近い自由の中での、唯一の命令だったのに、
イエス様は、神の自由を捨てて、罪の世界に身を置いて、全ての誘惑に対して命令を守らなければいけませんでした。

イエス様は、赤ちゃんとして来られ、両親に従うことから始められました。
ある時は、四十日四十夜断食した後に、サタンの誘惑に遭われ、
生涯かけてすべての律法を守られ、最終的には十字架の死によって神への従順を全うされました。

6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

聖書(ピリピ2:6-8)

【適用】

では、今日の箇所で私たちが適用するべきことは何でしょう?
それは、イエス様の従順によってもたらされた、恵み、義、いのちに支配されるということです。

それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。

聖書(ローマ5:21)

私たちは、イエス様の恵み、義、いのちに支配されているでしょうか?
それとも、アダムの違反、罪、死に支配されているでしょうか?

どうすれば、イエス様の恵みに支配される人生を歩むことができるのか?
それは、イエス様に信頼することです。
従順とは単なる行為だけではなく、神様のご人格に信頼する結果、生まれるものです。

イエス様が十字架にかかる前でのゲッセマネでの祈りは、私たちに従順とは何かを示しています。

35 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。 」

聖書(マルコ14:35-36 )

イエス様にも葛藤がありました。
苦しみや、絶望がありました。
でも、イエス様は、最終的に父なる神様に従順します。

なぜ?父なる神、ご自身への信頼です。
イエス様の従順の土台は、神様というお方そのものへの絶対的な信頼なのです。

ですから、私たちの従順の土台も、ここにあるべきです。
イエス様への絶対的な信頼。

もし、私たちの生活に、恵みが乏しく、何かに縛られたり、苦しさや絶望を感じているなら、イエス様に信頼しましょう。
私たちは、私たちの従順さや、能力や、正しさによっては、救われません。
イエス様の従順は完全で、完璧です。

もし、私たちの生活に、義とされたという安心感が乏しいなら、罪悪感に悩まされているなら、イエス様に信頼しましょう。
「こんな自分が生きていていいんだろうか?」
「こんな自分がクリスチャンって言ってていいんだろうか?」
「こんな自分は神様に用いられるはずはないだろう。。。」

そんな想いは今すぐ十字架につけてください。
なぜなら、全て、自分中心の考えだからです。
あなたの考えはあまり関係ありません。神様の一方的な恵みは、どんな罪びとも義と宣告するのです。
あなたが、イエス様を信じるなら、イエス様が完璧に神に従順され完了したことを信じるなら、
あなたは、「義」とされているのです!
受け取ってください!

私たちは、いのちに溢れて生活しているでしょうか?
イエス様を信じる人にはいのちがあふれるのです。

まとめ

イエス様の完璧な従順のおかげで、私たちの従順も簡単なものになりました。
善悪の知識の木の命令くらい、簡単なものになりました。

それは、イエス様に信頼して、つながることです。

ヨハネ15:5でイエス様は言われました。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

聖書(ヨハネ15:5)

真の従順とは、イエス様に信頼し、繋がることです。

光が闇を支配するように、イエス様を信じるお一人お一人の上に、
イエス様の恵み、義、いのちの圧倒的な支配があるように、主の御名によってお祈りします。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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