【人生を変える聖書のメッセージ#26】イエス・キリストは希望「人生の霧の中でも前に進める秘訣」(ペテロの手紙第一2章6-8節)

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はじめに

本も出している有名なブロガーのちきりんさんがこのように言っていました。

SNS 時代になって急増してるのが「勝手に失望し、勝手に裏切られる人たちだ」

ネット上には、有名人にたいして「◯◯さんがそんなこと言うなんて失望しました」とか、
「昔はすばらしかった○○さんがひどく変わってしまってがっかりです」みたいに嘆き、怒る人がたくさんいる。

これは「○○さんが嫌いです」とは違い、失望している人たちの多くは、「もともとは期待していた」ので、裏切られたと感じ、ショックを受けているのだ。

なぜ、勝手に失望するのか?
ちきりんさんは、このように分析します。

「自分を完璧に肯定してくれる人、完璧に共感できる誰かを探す人が多いから」だと。
「勝手に」という意味は、SNS上では実際に会って話すわけでないので、勝手に期待を膨らませ、勝手に失望し、勝手にそれをぶちまけるからです。

ちきりんさんの結論は次のようにものでした。

失望するのは、人に高い期待を持っているからです。
 「目標は低くもちましょう。」 

しかし、今日の聖書の箇所を読むと驚くことが書いています。

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彼に信頼する者は、決して失望させられることがない

なぜなら、 聖書にこうあるからです。「見よ。 わたしはシオンに、 選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。 」

聖書(1ペテロ2:6)

聖書は、彼に信頼する者は、決して失望させられることがないと言っています。
これは、驚くべきことではないでしょうか?
信頼するなら、決して失望させられることのない人がいると言っているのです!

そんな人いますか?
今までの人生でいましたか?

親はどうでしょうか?もしかすると、親は私たちが最初に失望する人かもしれません。
親友はどうでしょうか?親には言えなことも言える仲間ができ、たくさんの楽しさを共有する友達。でも同じくらい、そんな素晴らしい仲間からの裏切りや失望も経験します。
恋人はどうでしょうか?失望して別れることがある一方、ある人はあまり失望しないかもしれません。お互い失望させないように頑張っている間は。

結婚相手はどうでしょうか?
結婚相手に求めることでよく聞くのが、「優しい人」

この人こそ!と思える素敵な人に出会います。
そう!この人こそ、私を理解し、私のどんな欠点も優しく包んでくれる。
癒してくれるだろう!
付き合ってる時には、そのように思います。

しかし、結婚こそ、なんでしょうか?(耳を傾ける)失望の連続であります。
ここでアーメンは言わないでください。結婚は素晴らしいので。

つまり、何が言いたいかというと、この世には、失望させられない完璧な人なんていないんですよね。経験上。
だから、私たちは諦めを学ぶんです。
あるところは我慢して、折り合っていくことを学ぶんです。
それを社会は大人というんです。

しかし、聖書は、絶対に失望させられない方がいると言っているんです。

なぜなら、 聖書にこうあるからです。「見よ。 わたしはシオンに、 選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。 」

聖書(1ペテロ2:6)

彼とは?
 クリスマスにお生れになった、イエス・キリストのことです。 

ここで、「聖書にこうあるからです」とあるのは、このイエスキリストがお生れになるという預言は、イエス様が実際にお生れになる2000年前のさらに700年前に預言者イザヤを通して語られ、記されてた聖書の箇所のことです。

シオンとは、エルサレムのことであり、「選ばれた石」という表現は来るべきキリストを表しています。

あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。

聖書(ダニエル 2:34)

キリストとは、日本語で、救い主、ヘブル語ではメシヤであり、全て同じ意味です。

そして、「尊い礎石」という表現も来るべき救い主、メシヤを表しています。

あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

聖書(エペソ 2:20)

イエス様が生まれる700年前に、救い主・キリストであられるイエス様を信頼するなら、決して失望することはないと聖書は言っており、実際に今から2000前にイエス様が希望としてお生れになられました。

クリスマスは、神が昔から約束されていた希望の成就です。

つまずいて失望する人もいる

しかし、注目したいことが、次の7-8節に書いてあります。
そこを見ると、信頼するならば失望することのないイエス様に、つまずいて失望する人がいると書いています。

7 したがって、 より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、 より頼んでいない人々にとっては、 「家を建てる者たちが捨てた石、 それが礎の石となった」のであって、
8 「つまずきの石、 妨げの岩」なのです。 彼らがつまずくのは、 みことばに従わないからですが、 またそうなるように定められていたのです。

聖書(1ペテロ2:7-8)

イエス様は信頼する人にとって、人生の土台になるような礎石になり、 信頼しない人にとっては、つまずきの石になると言っているのです。 

私たちは、自分のことを完璧に、完璧とまではいかなくても、ある程度理解してくれる人を探します。
しかし、信頼に比例して、期待を裏切られ、傷つき、失望します。
すると、失望をその人のせいにできます。

そして、ついに、完璧な神に出会います。
しかし、失望します。
相変わらず、完璧な神のせいにする私たちがいます。

どこに問題があるかは、明らかです。
私たちです。

失望する人は、自分の見方で、人や神を見ます。
自分の正しさ、基準で神さえもジャッジします。

自分の思い通りに神様が動いてくれないから、失望するのです。

聖書の御言葉も、原因は神にではなく、神の「みことばに従わない」私たちにあると言っています。

「つまずきの石、 妨げの岩」なのです。 彼らがつまずくのは、 みことばに従わないからですが、 またそうなるように定められていたのです。

聖書(1ペテロ2:8)

イエス様がキリストであることは、みことばにはっきりと書いています。
しかし、それをそのまま受け入れるのではなく、自分の思っていたキリストが強すぎてつまずいたのです。

2000年前に人々はこのように思ったでしょう。
あのヨセフのせがれ、田舎のイエスがキリストなわけないだろう?
キリストは、ローマ帝国から解放してくださるダビデのような軍事的リーダーであるはずだ!
ほらみろ!神を冒涜したので、十字架で死んだじゃないか。ユダヤ人の王なのに自分でさえ救うことができなかったじゃないか。

23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、聖書はここで終わりません。
24 しかし、 ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、 召された者にとっては、キリストは神の力、 神の知恵なのです。
25 なぜなら、 神の愚かさは人よりも賢く、 神の弱さは人よりも強いからです。

聖書(1コリント1:23-25)

神に失望したとき

 フィリップ・ヤンシーの「神に失望したとき」と言う本があります。 

ヤンシーが出会ったリチャードは神学生の時に、神に失望しました。

神を信じる人が病気にかかって死ぬ。この世の不公平。
神を愛し、祈り続けても、祈りが答えられない。

神は沈黙されておられるのか?
隠れておられるのか?

リチャードはそこにつまずいてしまいました。

リチャードだけではありません。
私たちも、神は沈黙されておられるのか?と思いたくなる時があります。

礼拝の途中で見たビデオを覚えておられるでしょうか?
日本には様々な希望とは言えない問題があります。

望んで生まれたわけではない家庭で虐待される子供たち。
孤独で誰にもみまもられずに亡くなって行く人たち。
希望を持てずに自ら命を絶って行った人たち。

愛の神様、義なる神様は、この状況にただ沈黙しておられるのか?
なぜ、何もされないのか?

不公平さと神の沈黙を通ったヨブ

聖書の中で、この世の不公平さと神は沈黙しておられるのかと言う問題を扱っている箇所があります。

 ヨブ記 です。

神ご自身が正しいと認めた義人ヨブに不幸がふりかかる。
ヨブの友人たちは、ヨブに原因があると主張する。
神を愛し、正しいことをするなら、神が苦しめるはずはない。
苦しみがあるのは、あなたに原因があるからだ。

神の沈黙は続き、ヨブは不平不満をぶちまけ、絶望し、死を望んだが、断固として神に希望を置くことをやめませんでした。
ヨブは、信じられる理由が何もない時に信じました。
何も見えない、聞こえない、霧の真ん中で、神様に信頼し続けたのです。

見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。

聖書(ヨブ13:15)

最終的に、神様はヨブに現れますが、なぜ?ということには一切触れず、説明をするどころか、最後まで沈黙を守られました。

私たちは、ヨブ記の最初で神様とサタンのやりとりがあったことを知っています。
神様がヨブを見捨てているときでさえも、苦しみに沈黙しているように思えるときでさえも、ヨブは神様あなたを信頼し続けることができるでしょうか?
そのサタンの挑戦に、神様は、私のヨブならできると信じた背景がありました。

しかし、そんなこと知らないヨブは、霧の中で苦しみ続けたのです。

霧の中でも神に信頼し続けたお方

私たちと同じように、神に見捨てられたようにまで感じ、霧の中でも神に信頼し続けたお方がいます。
それは、イエス・キリストご自身でした。

38 そのとき、 イエスは彼らに言われた。 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。 ここを離れないで、 わたしといっしょに目をさましていなさい。 」
39 それから、 イエスは少し進んで行って、 ひれ伏して祈って言われた。 「わが父よ。 できますならば、 この杯をわたしから過ぎ去らせてください。 しかし、 わたしの願うようにではなく、 あなたのみこころのように、 なさってください。 」

聖書(マタイ26:38)

父なる神は、苦しみを取り除くことはしないで、イエス様は十字架につけられました。
十字架上でも、苦しみのあまり、このように叫ばれました。

三時ごろ、 イエスは大声で、 「エリ、 エリ、 レマ、 サバクタニ」と叫ばれた。
これは、 「わが神、 わが神。 どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

聖書(マタイ27:46)

私たちは、神様に言いたくなる時があります。
なぜ、私にこのようなことが起こるのですか?
あなたは愛の神なのではないのですか?
あなたは正しい神なのではないのですか?

なぜ、黙っておられるのですか?
なぜ、祈りの答えてくれないのですか?
私をお見捨てになったのですか?

神様の答えはこうでした。
 「私は、あなたと同じ苦しみを経験したよ。」 

4 まことに、 彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、 私たちは思った。彼は罰せられ、 神に打たれ、 苦しめられたのだと。
5 しかし、 彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、 私たちはいやされた。

聖書(イザヤ53:4-5)

私たちが持っていた神への怒りを、神ご自身が十字架上でお受けになられました。
私たちの神への憎しみは、イエス様の顔に吐かれたつばとなり、ムチとなり、手を刺し通した釘となりました。
ここまで、してくださった神に私たちはこれ以上、何を求めるでしょうか?

私たちに必要なのは、神に説明させることではなく、失望の原因を押し付けることでもなく、私たちの失望を担い、神に見捨てられ、十字架にかかられた神の私たちへの愛を受け取ることです。

信頼を生むもの

 愛されていることがわかり、信頼が生まれます。 

35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。 患難ですか、 苦しみですか、 迫害ですか、 飢えですか、 裸ですか、 危険ですか、 剣ですか。
36 「あなたのために、 私たちは一日中、死に定められている。私たちは、 ほふられる羊とみなされた。 」 と書いてあるとおりです。
37 しかし、 私たちは、 私たちを愛してくださった方によって、 これらすべてのことの中にあっても、 圧倒的な勝利者となるのです。
38 私はこう確信しています。 死も、 いのちも、 御使いも、 権威ある者も、 今あるものも、 後に来るものも、 力ある者も、
39 高さも、 深さも、 そのほかのどんな被造物も、 私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、 私たちを引き離すことはできません。

聖書(ローマ8:35-39)

神が見えない失望の霧の中であっても、神の愛は変わらない。
聖書を通して、神がそのように言われるなら、私はあなたを信じます。

これが信頼です。
そして、私たちが変わっても、私たちの土台である変わらないイエス様こそが、希望であるのです。

まとめ

 クリスマスは私たちの希望であられるイエス様が生まれた日です。 

聖書が言う通り、信じ、受け入れましょう。
私たちの救い主、イエス様が来られた。

このお方を王として、崇め、褒め称え、あなたのお言葉に従います。

たとえ、霧の中を通ったとしても、失望が私たちを取り囲んだとしても、イエス様を信頼します。
あなたのみことばをそのまま信じ、従います。

そのように、神様を礼拝するクリスマスを迎えることができたら幸いです。

最後に6節をもう一度読んで祈りたいと思います。

なぜなら、 聖書にこうあるからです。「見よ。 わたしはシオンに、 選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。 」

聖書(1ペテロ2:6)

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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