「牧師のために祈る責任」聖書(1テモテ5:17-25)

20200607
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17 よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。
18 聖書に「脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない」、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と言われているからです。
19 長老に対する訴えは、二人か三人の証人がいなければ、受理してはいけません。
20 罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。そうすれば、ほかの人たちも恐れを抱くでしょう。
21 私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちの前で、あなたに厳かに命じます。これらのことを先入観なしに守り、何事もえこひいきせずに行いなさい。
22 だれにも性急に按手をしてはいけません。また、ほかの人の罪に加担してはいけません。自分を清く保ちなさい。
23 これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい。
24 ある人たちの罪は、さばきを受ける前から明らかですが、ほかの人たちの罪は後で明らかになります。
25 同じように、良い行いも明らかですが、そうでない場合でも、隠れたままでいることはありません。

聖書(1テモテ5:17-25)

はじめに

牧師の不祥事、カルト化、そのようなニュースは定期的に耳に入ってきます。

なぜ、そのようなことが起き続けるのか?

牧師のスキャンダルの相談に乗ったことのある心理臨床家は、一つの理由として牧師の仕事の過酷さ、プレッシャーやストレスが引き金になるとも言っています。

牧師を辞めたと言う若者のインタビュー記事を読みました。
彼は、神学校のときに、ある教授からこのようなことを聞いたそうです。

「信徒さんたちは、あなたの頭が悪いこと、性格が悪いこと、顔が悪いこと、説教が眠いことは忍耐してくださる。でも、金と性と名誉欲での失敗は許されない。辞めるしかない」

確かに、牧師は失敗が赦されなく、常に人の批判を受ける存在です。
このプレッシャーを考える時に、牧師を愛によって支える教会員の存在は不可欠です。

でも、金と性と名誉欲でのスキャンダルは教会を破壊するほどで、牧師の責任は大きく、牧師が暴走してもいけません。

じゃあ、リーダーは不要?そんなことはない。
聖書は牧師という賜物と召しの重要性を認めています。

教会として、牧師という存在をどのように受け入れ、どのように付き合っていけば良いのか?
開拓がスタートしたガーデンチャーチにとっても、これはとても重要なテーマです。

牧師報酬や教会の体制についても、決めるべきことがあります。

そんな時、まず聖書はなんと言っているのか?
それをみんなで受け止めて、聖霊によって一致していくことが重要だと示されました。

共に、「牧師のために祈る責任」というタイトルで主の言葉を聞いて参りましょう。

牧師のために祈る

今日の箇所はパウロが若い牧師であるテモテに書いた手紙です。
手紙の中に「長老」と出てきます。

まずは、聖書は、長老を何と定義しているかを説明します。

新約時代、「長老」と「監督」とはほぼ同義語として用いられていたようです。
今でいう「牧師」や「教師」と考えてよいでしょう。

今日の教会では、牧師と長老が別々の役割を持っている教会が多いですが、もともとは同じです。

そして、長老には2種類いて、みことばを教える教師的な長老と、牧会的な長老がいたようです。

大切なのは、牧師という肩書きではなく、牧師が何をしているかです。

17 よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。

聖書(1テモテ5:17)

なぜ、神様が教会に監督者である牧師を立てるのか?
それはみことばと祈りによって教会員を指導するためです。

教会の頭はキリストです。
牧師は頭ではありません。

牧師はむしろ、教会員にみことばを熱心に指導し、祈ることで、教会に仕えるしもべなのです。

二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。

この分には、牧師に対する教会員のふさわしい態度が語られています。

「二倍の」のギリシャ語「ティメー」には二重の意味があります。

「尊敬する」 と「代価を払う」です。

一つ目は、尊敬です。

12 兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人たちを重んじ、
13 その働きのゆえに、愛をもって、この上ない尊敬を払いなさい。また、お互いに平和を保ちなさい。

聖書(1テサロニケ 5:12-13)

二つ目は、指導に対する代価、つまり報酬です。

18節から、明らかにパウロは、牧師が謝礼(給料)を得ることは当然であると言っています。

18 聖書に「脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない」、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と言われているからです。

聖書(1テモテ5:18)

ちなみに、自分で稼いで宣教していたパウロは特別です。

教会は牧師を経済的にも支える責任があるのはみことばにかなっています。

僕は、ガーデンチャーチのみなさんが、この思いを持ってくださっていることに感謝を持っています。

しかし、条件がありますよね?

みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。

牧師が、聖書を真実に、また深く研究し、聖徒たちをみことばによって養うべきです。

もし、牧師がみことばを蔑ろにし、他の奉仕やバイトで忙しいなら、問題が起こる可能性があります。

教会員が不満を持ったり、魂が渇いてしまうのです。

旧約聖書を見ると、祭司やレビ人はイスラエルの民の十一献金で養われていました。
みことばを教え、幕屋で仕えることに集中するための神様の命令です。

重要なのは、牧師に牧師の仕事に集中させる責任が教会にはあるということです。

また、牧師は責任のある立場にある以上、攻撃も多くなります。
なので、パウロは、牧師に対する不満は、必ず2,3人以上で行われるべきだと言います。

19 長老に対する訴えは、二人か三人の証人がいなければ、受理してはいけません。

聖書(1テモテ5:19)

虚偽告訴を防止するためです。
そのようなものがあれば、20節のように、教会全体で大事として対処しないさいとまで言っています。

20 罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。そうすれば、ほかの人たちも恐れを抱くでしょう。

聖書(1テモテ5:20)

なぜ、ここまで牧師に対して愛を示せだの、尊敬しなさいだの、簡単に訴えるななど言えるのか?
それは、実際、それだけの責任とプレッシャーがあるからです。

大川先生→牧師にしかわからないよ。

正直それはある。思っていても言えない。感じていても言えない。
また、僕は毎週日曜のメッセージだけで10時間から15時間は準備します。
YouTubeでは毎週3分メッセージを5本。テーマ別を1~2本作っています。

もちろん、牧会的な奉仕もどんどんしたいと思っていますが、まず多くの人がみことばに飢え渇いていると感じているので、最優先の奉仕だと思っています。

しかし、ここで問題になるわけです。
現実を見ると、権力を持った牧師が暴走するケースが少なくない。

教会のお金を握る牧師。
権威で人々をコントロールする牧師。

最近、カルトを調べていて、カルトには特徴があるようです。

ウィリアムウッド先生の「教会がカルト化するとき」という本によると、

カルトとは、ある人間か、観念か、物に対して、過度の忠誠心 献身を表し、非倫理的な方法で 人を操作したり、高圧的な手段により人を説得したり、 コントロールしたりしようとする集団、あるいは運動である。

特に危ないのは、牧師の権威によってのマインドコントロール。
牧師の哲学や聖書の解釈が支配する場合もありますが、怖いのはみことばによってもコントロールする場合があるということです。

これは恐ろしいことです。

神はこう言ってます。「献金をもっと捧げなさい」と言って、罪悪感を与えたり、
できていないと「従っていない」と恐怖心を植えられたりします。

もし牧師や教会がカルト化すれば2.3人で証言すればいいのですが、一旦カルト化すれば、なかなか止められないというのが現状です。

じゃあ、どうすればいいのか?

聖書は牧師を尊敬し権威を認めている。
しかし、現実は暴走する牧師もいる。

じゃあ、どうすればいいのか?

みなさんどうします?

このようなことが問題となり、カトリックからプロテスタントが生まれ、制度や組織によって問題を解決しようと様々な教団教派も生まれました。

しかし、どの教団も、牧会システムも一長一短があります。

じゃあ、どうすればいいのか?これが今日のポイントです。

牧師のために祈る。

牧師に愛と尊敬を持ちつつ、牧師が暴走しないようにする。

牧師も人間である以上、これは、神様にしかできないのではないでしょうか?

だからこそ、みなさん、ぜひ私のために祈ってください。

牧師が常に神様に教えられ、謙遜にされ、愛にみち、みことばを真っ直ぐに解き明かし、祈る人になるように。
牧師が様々な誘惑に合わないように。
罪を犯せば、悔い改めるように。

もし、牧師が暴走しても、祈らなければいけません。

諦めてはいけません。

なぜなら、教会の頭は牧師ではなく、キリストだからです。

24 ある人たちの罪は、さばきを受ける前から明らかですが、ほかの人たちの罪は後で明らかになります。
25 同じように、良い行いも明らかですが、そうでない場合でも、隠れたままでいることはありません。

聖書(1テモテ5:24-25)

牧師がみことばを間違って教え、神の群れを間違った方向に導くなら、重い責任があると聖書に書いています。

イエス様は、当時の指導者のパリサイ人や律法学者を一番叱責しました。
なぜ?みことばを教えるものの責任があるからです。

みなさん、牧師たちのために祈りましょう。
そして、私のために祈ってください。

私たちが勘違いしてしまうのは、牧師がスーパーマンだと思うところです。
しかし、違いますよね?

しかし、スーパーマンはイエス様のみです。

私たちは、教会のかしらであるイエス様を信じ、牧師に愛と尊敬を表し、
イエス様を信じ、牧師が暴走しないように守りを祈るのです。

牧師は足りないところだらけです。
その足りなさを祈りましょう。

政治家のための4つの祈りを思い出してください。
あれをそのまま祈ってもいいんです。

終わりに

牧師に愛と尊敬を表すこと。でも、牧師が勘違いすると暴走する。
牧師が暴走しないように批判ばかりすると、プレッシャーで潰れる。

この矛盾しそうな状況、どうすれば良いか?

牧師のために祈ることです。

もちろん、組織をしっかり作る。それも大切でしょう。

でも、まずはイエス様に祈ることを習慣とする教会でありたいと思います。

牧師が御言葉と祈りに集中し、教会員のために謙遜に仕えられるように祈る。
牧師が罪に敏感になり、砕かれ、愛にあって成長するように祈る。
牧師が誘惑にあわず、暴走と堕落から守られるように祈る。

もちろん、教会のためにもいっぱい祈りたいですが、今日は牧師のために、私のために祈ってください。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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