【聖書が教える人生の意味#7】なぜ、悩みがあるのか?「悩みが確実に減る方法」聖書(ローマ5:12、マタイ6:34)

聖書が教える人生の意味7
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はじめに

今日は、「なぜ、悩みがあるのか?」というテーマについて説明します。

あなたは今、悩み事がありますか?
あるとすれば、それはどんな悩み事ですか?

学校での友だち関係の悩み、勉強の悩み。会社での仕事上の悩み、人間関係の悩み。家庭内での子育ての悩み、家計の経済的な悩み。自分自身の病気など健康面の悩み、美容や肥満、老化に関する悩みなど、人それぞれいろんな悩みがあると思います。

逆に悩み事のない人はこの世に存在するのでしょうか?

私たちが抱える悩みが全てなくなれば、どれだけ幸せになるでしょか。
でも、そんなこと可能なのでしょうか?

そもそも、悩みに「プラスの」意味があるとしたら、悩みに対する見方が少しは変わるかもしれません。

この記事を読むと、「なぜ、悩みがあるのか?」という問いに対する聖書の答えを知ることができます。

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「なぜ、悩みがあるのか?」

 一言で言うならば、「神を求めるため」だと聖書は言っています。 

①悩みをなくすことでない

そもそも、悩み事のない人はこの世に存在するのでしょうか?

この答えは誰もがわかるでしょう。

悩み事の無い人はいません。

この世に、完璧な人はいない以上、悩みのない人間もいないからです。

聖書にもこのように書いています。

義人はいない。一人もいない。

聖書(ローマ3:10)

「義人はいない」とは、悩みもない完璧に正しい人はこの世に存在しないということです。

自分が神の目から見ても、完全に正しく完璧であると思う人はほぼいないと思いますが、私たちは周りの人も同じように、「完全に正しく完璧」でないとしたら、人間関係を含め、さまざまな問題起こることはある意味、当たり前ですよね。

「あの人、なんであんなことするんだ」と腹が立ったり、嫌なことがあると、私たちは悩むのです。

「悩まなければいいのに」と思っても、私たちは完璧ではないので、結局悩み、腹をたて、そんな自分に落ち込み、悩むのです。

ごくたまに「俺は別に悩みなんてない」という人がいます。

しかし、実際はその人は悩み事に気づいていないか、悩みを悩みとして感じていないのです。

例えば、自分が太っていることが気になって、どうしたらやせられるか悩んでいる女性がいるとします。
悩みを解決するために、彼女は、糖質制限ダイエットを実践することにします。
数カ月後には体重もかなり減り、ダイエットに成功しました。

太っているという悩みは解決された様に見えます。

しかし、この女性のもともとの悩みは、彼氏ができないという悩みだったのかもしれません。
その原因を体型だと思って、ダイエットしたのかもしれません。

あるいは、好きな人に「もっとやせたほうがいい」と言われて悩んでいたのかもしれません。

一つの悩みが解決されても、そこにはもっと多くの悩みがくっついている場合はほとんどです。

残念なことに、一つの悩みを克服しても、次の悩みが生まれます。

一つ一つ克服していったとしても、悩みが完璧になくなることはありません。

また、ダイエットとは違って、自分が克服できない悩みも存在します。

たとえば「死への恐怖」です。
いつ、死ぬかは人間にはコントロールできません。

コントロールできないことは、悩まないとする方法もあり、有益ですが、悩みの原因を完全に消すことはできません。

では、なぜ、人生には悩みが尽きないのでしょうか?

②悩みの原因は罪の結果

では、悩みにどう対処していけば良いのでしょうか?

聖書は、逆に悩みをコントロールして格闘したり、見ないふりをしたり、気にしない術を身につけることを推奨していません。
おそらく、巷の多くの自己啓発の本や、インフルエンサーは、そのようなテクニックを教えてくれるでしょう。

聖書は、悩みの原因を「罪」と一言で表しています。

ここでいう罪とは、聖書でいう「原罪」のことで、人類の祖先アダムが犯した罪によって、その後の全ての人間が生まれながらに「罪」を犯す性質を持っているという意味です。

こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──

聖書(ローマ5:12)

ここのちょうど一人の人が、人類の祖先アダムのことです。

そもそも、罪がなければ悩みはありません。

なぜなら、悩みというのは、罪悪感を伴う場合が多いからです。

聖書のダビデという人物は、不倫と殺人の罪を犯し、日々悩み続けていました。
次が彼自身の言葉です。

幸いなことよ。主が咎をお認めにならず。その霊に欺きがない人は。私が黙っていたとき私の骨は疲れきり、私は一日中うめきました。

聖書(詩篇32:2-3)

自分の咎、つまり犯した罪からくる罪悪感が彼を一日中悩ませていたのです。

ちなみに、究極の悩みは「死への恐怖」といいましたが、聖書は「死」は罪からくると言っています。

実は、先ほど読んだ「原罪」の箇所にもそのように書いていました。

こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──

聖書(ローマ5:12)

じゃあ、悩みを解決するにはどうすれば良いのでしょうか?

③悩みを解決できる神に委ねる

まず、聖書は、悩みの原因である「罪」への根本的な対処法を示しています。
それが、有名なイエス・キリストの十字架です。

神であるイエス・キリストが、私たちの犯した小さな罪、心で思った全ての悪を全部背負って、その責めを十字架で負ってくれました。

人は知らず知らず罪を犯しているので、時折、罪悪感を感じますが、その罪に対する罰を神が代わりに死ぬことで、負ってくださったのです。

もっと、深刻に言えば、私たちの代わりに処刑されてくださったのです。

そして、キリストは、三日後に復活されました。

死そのものを乗り越えられたのです。

このことを信じるならば、全ての人の罪は赦され、罪の結果である死の恐怖も解決します。

なぜなら、私たちは死んでも、天国で永遠に生きることが可能になると聖書に書いてあるからです。

しかし、あなたがクリスチャンなら、こう思うでしょう。

信じてはいるけど、悩みは解決しないじゃないか。

その通りです。
聖書ははっきりと、この世に生きている限り、困難や悲しみ、悩みがあると言っています。

なぜなら、私たちはあくまでも、神に赦されいる状態であって、キリストを信じることで、完璧に正しい人間に変わったわけではないからです。

しかし、キリストを信じた人は、悩みを減らすことは可能です。

それは、神に悩みを委ねることです。
神に悩みをぶん投げて、お任せすることです。

キリストはこの様に言われました。

ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

聖書(マタイ6:34)

今日だけでも悩みはたくさんあるんだから、明日のことまで悩むな。
明日は私たちにはわからない。
でも、明日を知っておられる、明日を造られる神に、お任せしなさい。

今日の悩みは、今日、神である私に、任せなさい。

悩んだら、神に相談する。それが祈りです。
悩んだら、神の言葉に信頼する。それが聖書を読むことです。

聖書を読んで神の約束を信頼し、祈って、悩みを委ねる。

そうすれば、悩みはなくならなくても、確実に悩みはたまらなくなります。

まとめ

聖書は、神がこの世を意志や計画性を持って、創られたと言っています。

「なぜ、悩みがあるのか?」
一言で言うならば、「神を求めるため」だと聖書は言っています。

三つのポイントで聖書から悩みについて見てきました。

  • ①悩みをなくすことでない
  • ②悩みの原因は罪の結果
  • ③悩みを解決できる神に委ねる

このように、聖書には、人生のなぜ?への答えが書かれています。
興味を持った方は、一度、聖書を読んでみることをお勧めします。
ご視聴どうもありがとうございました。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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