【聖書が教える人生の意味#11】なぜ人生には試練や困難があるのか?②「試練と誘惑の違い」聖書(ヤコブの手紙1:13、マタイの福音書6:13)

聖書が教える人生の意味11
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はじめに

皆さん、こんにちは。
札幌駅徒歩5分、ビジネスマン向けの教会、札幌ガーデンチャーチのゆうき牧師と申します。

今日は、「なぜ人生には試練や困難があるのか?」の二つ目の理由をお話しします。
私たちの人生には、病気、家族の死、人間関係や仕事、経済的な問題など、さまざまな問題が起こります。

前回は、「神が私たちを成長させるためにあえて許されるから」だと言う理由を聖書からお話ししました。

しかし、人生に問題がある理由は、実はそれだけではありません。
もし、それだけなら、全ての問題を神が起こしているとも考えられてしまうからです。

実は、聖書にははっきりと、人生の問題を二つに分けて説明しています。

それは、「試練と誘惑」です。

この記事を読むとで、試練と誘惑の違いがわかれば、ある問題は真っ向から戦い、ある問題は最初から避けるなどの対処法の違いがわかるようになります。

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「なぜ人生には試練や困難があるのか?」

今日は2つ目の理由をお話します。

 一言で言うならば、「サタンが誘惑するから」だと聖書は言っています。 

①試練と誘惑の違い

まず試練と誘惑の違いについて説明します。

前回の動画は、「試練」についての説明でした。
試練とは神が私たちの信仰を成長するために、許すものだということでした。

聖書にははっきりと神は私たちに試練を与えると書いています。

では、一方誘惑とは何でしょうか?

誘惑とは私たちを滅ぼすためにサタンが行うことです。

ここではっきりさせたいことは、神様は絶対に誘惑しないということです。これははっきりと聖書に書いています。

だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれかを誘惑することもありません。

聖書(ヤコブの手紙 1:13)

では、私たちを誘惑するのは誰でしょうか?
それがサタンです。サタンとは悪魔や、悪霊とも言われます。

まず、ここでしっかりと覚えておきたい事は、神は私たちを誘惑はしません。しかし、サタンはすると言うことです。

その上で、1つ覚えておきたいことがあります。神様は時としてサタンが私たちを誘惑することを、許すことがあります。
その例が、聖書のヨブ記と言うところにあります。

このヨブ記の主人公である、ヨブと言う人物は神も認めたほど正しい人物でした。
このヨブの物語には読者だけ知っている裏のストーリーがあります。
それはこのヨブと言う男がこれから通る様々な困難や問題はサタンによる誘惑であったと言うことです。

ヨブ記の、1番最初人でこのサタンは、天国の神様のもとに現れるシーンが出てきます。
そこでサタンは神様に、ヨブを誘惑する許可を貰います。ここから神の許しなくしてはサタンが人を誘惑することができないと言うこともわかるわけです。
ちょっとそのシーンを読んでみましょう。

7 主はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
8 主はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」
9 サタンは主に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。
10 あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。
11 しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
12 主はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。

聖書(ヨブ記1:7-12)

最後の12節が強烈ですね。

神様はサタンがヨブを誘惑することを許可したんです。
何故でしょうか?

神様がサタンが誘惑することを許可する時には必ず条件があります。
それは誘惑される人物が、必ず信仰によって乗り越えることができると神が信じている場合です。

ぜひ前回の試練についても思い出して欲しいのですが、神は乗り越えられない試練を人に与える事はなさりません。

なのでサタンが人を誘惑する時、ここで言えばヨブが必ず神を信頼してこの誘惑をはねのけることができる、この試練を乗り越えることができると神は確信していたからこんなことが起こりました。

ちょっと考えてみたいと思います、ヨブ記を読んだことがある方はわかると思うんですが、ヨブが体験するこのサタンの誘惑は半端ありません。

私は牧師ですが、正直ヨブと同じ誘惑は絶対に通りたくありません。
それが神様の試練だとしても絶対に嫌です。
乗り越えれる自信が正直ないんです。

これどういうことかと言うとヨブだからできたんです。
なので今までの話を聞いて、自分も呼ぶのようなサタンの誘惑を神様が許したらどうしよう。
自分にはそんな自信がない。
怖いなぁと思った方がいると思いますが、確かな事は、あなたはヨブではないと言うことです。

逆を言えばもしあなたがヨブよりも強い信仰があるならば、ヨブ以上の試練をあなたが通る可能性だってあります。

②サタンが誘惑する理由

私たちを滅ぼすためです。

神様は私たちの信仰が成長するようにとポジティブな意味を持って、私たちを信頼して試練を与えることがあります。
しかし、サタンは違います。

サタンは私たちを滅ぼすために、潰すために不幸にするために、私達を誘惑します。

聖書にはサタンは御使いに化けると書いています。

しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。

聖書(2コリント人への手紙11:14)

まあ、もともとサタンは天使であったわけです。
これどういうことかと言うと、私たちの周りには天使のような、きらびやかで、魅力的で、一見、素晴らしく見える誘惑が存在するということです。

私たちは気をつけなければなりません。
それは、その背後にサタンがいる可能性があるということです。

では、滅ぼされるとはどういう意味でしょうか。これも聖書に書いています。

14 人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。
15 そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。

聖書(ヤコブの手紙1:14-15)

サタンは私たちが持っている欲望に火をつけ誘惑します。死に行き着くということです。

サタンの策略は巧妙ですが割と同じパターンです。
それは私達を欲に溺れさせ、たかぶらせ、「お前は最高だ」「お前は何でもできる」とどんどん煽ってきます。
そして、私たちが勘違いしたときに、奈落の底までおとすんです。

多くの依存症は最初はほんの少しちょっとしたことがきっかけで始まります。
お酒やタバコもそうですが、まさか自分がここまでお金を使うとは思っていなかった。
辞めたいけど破れなくなるとは思ってもいなかった。

そのように後悔する人は非常に多いです。

よくあるのは麻薬依存症ですが、最初は少しだけでも最終的にはそれがないと生きていけないくらいの依存を生み出します。

世の中に多くの麻薬関係の犯罪やトラブルがあるように、それは人を破滅へと追いやって行きます。

もちろんこれは何かの依存症だけではなく、お金や成功や快楽、仕事であっても私達を破滅へと誘惑するきっかけとなるのです。

もちろんお金も成功も仕事もすべてが悪いわけでありません。

ただサタンはそれらをもたらす神に思いを向けるのではなく、まるでそれを自分がコントロールしているかのように、わたしたちの欲望に火を付け、神から目をそらすために誘惑するのです。

③誘惑に打ち勝つ方法

では、私たちが誘惑に打ち勝つ方法は何でしょうか。

色々な方法はありますが、今日は二つ紹介したいと思います。

一つ目は聖書の御言葉を蓄えることです。

実は神の御子であるイエスキリストもサタンに誘惑されました。

すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」

聖書(マタイの福音書4:3)

ここでの試みる者とはサタンのことです。

ではこのサタンの誘惑をキリストはどのように撃退したのでしょうか。

イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

聖書(マタイの福音書4:4)

聖書のみことばを引用することによってサタンを撃退したんです。何々と書いてあるとはイエスキリストが旧約聖書からみことばを引用したことを表しています。

サタンは私たちを訴え誘惑し時に嘘を用いて誘惑してきます。私たちはその考えに騙されたり確かにそうだなぁそっちの方がいいなあと引き込まれる弱さを持っています。
実際サタンは私たちより賢いということを覚えておいてください。

そんな時私たちは自分の考えや経験や力に頼ることなく、素直に聖書のここに書いてあると神の真理の言葉をサタンに伝えればいいだけなんです。

サタンは神の言葉に反応することはできません。

二つ目の誘惑を退ける方法は祈りです。

実際にこれもイエスキリストがこのように祈りなさいと弟子たちに教えられた主の祈りの中に出てきます。

私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』

聖書(マタイの福音書6:13)

ここでは試みにあわせないでとありますが、本来の意味は誘惑に近いです。

実際、今読んだのは新改訳ですが、新共同訳という聖書の訳には誘惑に合わせずとあります。

わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

聖書・新共同訳(マタイの福音書6:13)

他にも聖書にはサタンの誘惑に陥らないように祈りなさいという箇所がたくさん出てきます。

誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」

聖書(マタイの福音書26:41)

まとめ

「なぜ人生には試練や困難があるのか?」
今日は2つ目の理由をお話しました。

一言で言うならば、「サタンが誘惑するから」だと聖書は言っています。

  • ①試練と誘惑の違い
  • ②サタンが誘惑する理由
  • ③誘惑に打ち勝つ方法

このように、聖書には、人生のなぜ?への答えが書かれています。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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