平安って何?人生の嵐の中で平安を得る「忙しさで自分を削っていませんか?」

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はじめに

今日は、聖書の中に書かれている、「平安」について解説します。

日本の大手時計メーカーが毎年行っているアンケートによると、なんと60%以上の人が自分には一日の時間が足らないと感じています。

そんな時代において、常に複数のことに取り組むマルチタスク化を求められる現代人は、休憩時間でさえもマルチタスク化しています。
昼休みに何をしたいかを調査すると、食事や、SNS、動画視聴に、家事、等々、全てを合算すると約90分もあるのですが、日本人の平均的な昼休み時間はたった50分しかありません。まるで豊かさを求めて、自分を削っていくような生活のように思えますよね。では生きていくうえで本当になくてはならないものは何でしょうか。これさえあれば生きていけるというのは何でしょうか。

この記事を読めば、聖書に書かれた平安がわかるようになり、人生の歩みを踏み出すための力を得ることが出来ます。

ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた聖書の終末預言シリーズ動画や、日常生活にすぐに適用できる3分の短い聖書のメッセージ動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」「聖書をもっと学んでみたいな」という方は、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。

聖書は平安について何と言っているのか。

結論を一言でいうと、 平安とは神が造り出してくださる心の処方箋 です。

「平安」はすべての人に必要

すこし前に、仕事をリタイアした一部の中高年の方々が都会を離れ、海外に移住したり、国内の地方に住まいを構えることがもてはやされました。また、最近では、パソコン一つで仕事ができるようになった働き盛りの世代でも、「田舎暮らし」や「シンプルライフ」を求めて地方へ移住する方々がいます。

これらのトレンドは仕事に埋没してしまった生活が、実は人の本来の姿ではなかったということを物語っています。また、疲れ切った生活の中で傷ついた全ての人が、どうにかして安らぎを求めている証拠でもあります。
私たちの心は、いろんなことにアンテナを張り、刺激を求め、社会とのつながりを求めますが、それらのうち多くのものは、しばらくすれば心から消え去ってしまうものです。世界中をにぎわすニュースも、SNSでトレンド入りする言葉にしてもそうです。

しかし、もし人が本当に価値ある言葉に心が動かされ、価値のある動機によって心が刺激され満たされると、心は再び、生き生きと躍動を始めます。その言葉こそが「平安」です。

世界のベストセラー、聖書には「平安」とはこのようなものだと記されています。

そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

聖書(ピリピ4:7)

ここで使われている「平安」という言葉は「調和」「一致」「平和」「安心」「安全」「繁栄」「至福」に置き換えることが出来る豊かな意味を持っています。
言い換えれば、「神の平安」を見出す人はその人生において、これまでの経験や知識では理解できないほど豊かで、様々な価値を見出すことができるということです。
聖書の神様は、このプレゼントを私たちに受け取ってほしいと願い、この平安によって私たちを守りたいと、私たちの心を気遣ってくださるのです。

平安は具体的な約束から来る

イエス・キリストが弟子たちと船で湖の向こう岸に渡ろうとしたストーリーがあります(マルコ4章)。

弟子たちの幾人かはその湖の漁師たちでしたが、彼らは湖の途中で経験したことのない嵐に遭遇し、驚き、死をも覚悟しました。しかし驚いたことにその嵐の中でもイエス・キリストは船の中で眠っていたのです。慌てて弟子たちがイエスを起こすと、イエスは起き上がって、嵐を叱りつけられると嵐はすっかりおさまってしまいました。
その時にイエスが弟子たちに言われたのは次のような言葉です。

「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」

聖書(マルコ4:40)

湖の漁師であった弟子たちには、自分たちを馬鹿にしたような言葉と思ったはずです。「この湖で長年漁師をしてきたが、こんな嵐は経験をしたことがなかった。慌ててしまっても当然です」という弟子たちの言葉が聞こえてきそうです。

しかし、イエス・キリストが「信仰がないのか」と言われたことに注目してください。信仰とは信頼することです。
何に信頼するのか?それは、イエス・キリストの言葉に信頼するのです。
弟子もイエスも同じ船に乗りながら、嵐のなかでまったく違う気持ちになった理由を考えてください。

実は船に乗る時に、イエス・キリストは、こう言われていました。

さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われた。

聖書(マルコ4:35)

神の子であるイエス・キリストの言葉には誤りがなく確かなものです。ですので「向こう岸に渡ろう」と言われた言葉には、「私たちは向こう岸に行くことができる」という約束が込められています。
ですので荒れ狂う波に翻弄される船の中でも、イエス・キリストは約束による「平安」の中で眠りにつくことが出来ました。一方、その言葉をただの言葉だとしか考えなかった弟子たちは、目の前に迫る嵐に目を奪われ、恐ろしさで心が震えてしまう経験をしたのです。
聖書にこのような言葉があります。

草はしおれ、花は散る。
しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。

聖書(イザヤ40:8)

神様は私たちと、神様ご自身の言葉によって永遠に、決して変わることのない契約を結ばれました。
私たちの人生という船にイエス・キリストをお迎えし、人生のかじ取りをお任せするのであれば、あなたとも「向こう岸に渡す」と約束をされた方が、あなたの人生を最後まで面倒を見て下さり、共に歩んで下さいます。

聖書の神様は、具体的な方法で私たちに平安を得る方法を教えてくださいます。そして神の平安を持つことこそが、時間に負われ疲れた心を優しく覆い、癒してくれるのです。

まとめ

 平安とは神が造り出してくださる心の処方箋 です。

1.世界のトレンドの背後に聖書の真理がある

2.神の平安は私たちの心を守る

3.平安は神のことばによる具体的な約束から来る

参考:思い煩いからの解放(J.E.ハガイ いのちのことば社)
新聖書註解新約3(いのちのことば社)
聖書辞典(いのちのことば社)
   セイコー時間白書2020(セイコーホールディングス)
   

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