聖餐式の意味①「最後の晩餐の種なしパン」聖書(マタイ26:26, レビ記 23:5-6)

20210606
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また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

聖書(マタイ26:26)

5 第一の月の十四日には夕暮れに過越のいけにえを主に献げる。
6 この月の十五日は主への種なしパンの祭りである。七日間、あなたがたは種なしパンを食べる。

聖書(レビ記 23:5-6)

はじめに

あまり、儀式や格式にこだわらないプロテスタン教会の中でも、重要だと言われ、全ての教会で行われる儀式が2つあります。

それは何でしょうか?

洗礼式と聖餐式です。

なぜ、この二つが重要なのでしょうか?

それは、聖書にキリストご自身が「行いなさい」と命令されているのが、この洗礼と聖餐式だからです。

この聖餐式は、プロテスタントの呼び名であって、カトリックでは、ミサとか聖体の秘跡、正教会では、聖体礼儀、聖体機密と呼ばれます。
カトリックでは毎日、この聖餐式を行うと聞きました。

それほど、重要なのがこの聖餐式なのです。

後ほど聖餐式をしますので、今日は、この聖餐式の意味を旧約聖書の過越の祭りから学んでいきたいと思います。

聖餐式の意味が旧約聖書から理解できると、聖餐式がただのプログラムではなく、深い意味をもった礼拝行為であることがわかるようになります。

それがわかると、毎月の聖餐式を、より深く感謝して受けることが可能になります。

聖餐式の始まり

聖餐式の原点は、旧約聖書の過越の祭りにあります。

今日は、聖餐式のパンだけに焦点を当てます。
来月は、ぶどう酒についても説明します。

 今日の結論は、一言でいうと、「聖餐式のパンは、過越の祭りのパンと同じもので、イエス・キリストのからだを表している」ということです。 

①過越の祭りとは?

そもそも、過越の祭りって何?という人も多いと思うので、簡単に説明します。

「過越の祭り」は、ユダヤ教三大祭の一つです。
ユダヤ教と言っても、クリスチャンと同じ旧約聖書が元になっていますし、私たちにも大いに関係ある祭りです。

ちなみに、ユダヤ教の三大祭はヘブル語で、

  • ペサハ(過越祭)
  • シャブオット(七週の祭り)
  • スコット(仮庵の祭り)

です。
これらは、旧約聖書で、毎年行う事が義務づけられているお祭りなので、どんなに世俗的なイスラエル人も参加するというのも特徴の一つです。

この三大祭りにそれぞれ、イエス・キリストが隠れています。
今度、機会があれば、取り上げます。

旧約聖書を理解すれば、楽しいですよ。どこを切っても、イエス・キリストが出てくるので。

5 第一の月の十四日には夕暮れに過越のいけにえを主に献げる。
6 この月の十五日は主への種なしパンの祭りである。七日間、あなたがたは種なしパンを食べる。

聖書(レビ記 23:5-6)

ペサハ(過越祭)の起源はというと、旧約聖書の出エジプト記です。

エジプト人の奴隷であったユダヤ人たちが、当時の指導者モーセに率いられてエジプトを脱出する時の話です。
イスラエル 民族がエジプトを脱出する時に、エジプトのファラオは妨害し、その度に神様は、10つの災いをエジプトに下します。

最後の災いとして、神様はエジプト中の初子(ういご)を殺します。
その時、神の命令により、小羊の血を入口に塗ったイスラエル人の家だけは、子供が死ななかった。

つまり、「災いが過ぎ越した」という出来事から、その出来事は、過越しと言われ、そのことを祝う祭りが、過越しの祭りと言われています。

この過越しの祭りは、現代イスラエルでも毎年祝日として一週間の間、祝われます。

その中で、もっとも大切なのが、最初の夜のセデルと呼ばれる晩ごはんです。

色々な料理が振る舞われますが、主食は種無しパンと呼ばれる「マッツァ」です。

②過越のパンに隠されたイエス

この種なしパンは罪のないメシヤであるイエス・キリストの身体を象徴しています。

種なしパンの種ってなんでしょう?

イースト菌のことです。酵母です。
種があるとパンが膨らみますが、種のないパンは、ぺちゃんこです。

それが、「マッツァ」です。

なので、聖餐式をするとき、できれば、バターロールや食パンよりも、クラッカーのようなペチャンコのパンを使った方が、意味があります。

なぜ、種なしパンが、キリストを表すのか?

それは、パン種は罪を表すからです。

6 あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。
7 新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。
8 ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。

聖書(1コリント5:6-8)

この箇所自体ちょっと難しく感じますが、要するに、私たちの体をパンとたとえ、種を罪としているのです。

つまり、種なしパンとは、罪のないからだ。
それを示すのは、罪のない子羊、イエス・キリストです。

また、種なしパン「マッツァ」は、焼く前にフォークで両面に多数の穴をあけます。

この穴はイエスキリストが、十字架で刺された釘の穴を表しています。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。

聖書(ゼカリヤ12:10)

筋(焼き色)も付いており、それはイエス様が受けられた、鞭打ちの跡を表わしています。

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。 それなのに、私たちは思った。 神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。

聖書(イザヤ53:4)

これらは、メシアを待ち望むイスラエル人に対する「イエスがメシヤだ」という隠されたメッセージです。
過越の祭りの儀式は、ユダヤ人の間で何千年にもわたって行われていますが、ほとんどの人が、その真の意味を知りません。

また、過越の祭りの食卓に何枚もの種なしパンが、積まれます。

しかし、儀式では3枚だけが使われます。
3つの層に分かれた布袋のそれぞれに一枚ずつマッツァを入れます。
その中でも、主役は真ん中の1枚です。

これを「アフィコーメン(デザートの意、後に来る者という解釈も)」と呼んでいますが、真ん中のマッツァを半分に割って亜麻布に包んで、一家の父親が家の中に隠します。
そして、過越の祭りの最後に、子どもたちが大騒ぎしながらそれを探します。
最初に、隠された種なしパンの「アフィコーメン」を見つけた子どもがご褒美をもらいます。

これは、なぜするのかラビも説明できないようです。

しかし、新約聖書を読んでいくなら、ピンと来るはずです。

なぜ、3枚だけ使うのでしょう?
これは、「父・御子・御霊」の 三位一体の神を表しています。

なぜ、真ん中だけ隠されるのでしょう?
イエスだけが取り出され、十字架に死に、アフィコーメンと同じ亜麻布に包まれ、墓に葬られました。
そして、探し出され、見つかることは復活を意味します。
ご褒美は、永遠のいのちです。

なぜ、新約聖書を知らない、イエスをメシヤ と信じないユダヤ人がわざわざ一枚の種無しパンだけ、亜麻布に包むのでしょう?
なぜ、隠し、見つけるのでしょう?

実は、過越の祭りが、イエス様を表すためのものとして、神様が用意されていたしか考えられないように思います。

③聖餐式=最後の晩餐=過越の祭りの食事

「過越のパンに隠されたイエス」を証明する大事な場面があります。

マタイ26:26の「最後の晩餐」の場面です。

ここで、まず覚えておきたいことは、「最後の晩餐」は過越しの祭りの夜の食事「セデル」だということです。

最後の晩餐といえば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の絵が有名です。
あの絵は、かなり西洋のイメージに変色されています。

しかし、実際は、最後の晩餐は、旧約聖書の「過越の祭り」の食事です。
最後の晩餐という言葉がものすごく特別感を感じさせますが、ユダヤ人なんら毎年春に必ず行う過越の祭りの夕食なのです。

つまり、イエスキリストが聖餐式という新しい儀式を作ったのではなく、
旧約聖書に書いてあり、ユダヤ人がずっと行って来た過越の祭りの本当の意味を、イエスキリストが解き明かしたのが、最後の晩餐なのです。

そこでイエスはこのように言いました。

また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

聖書(マタイ26:26)

ここで、イエスがとったパンはなんですか?
もうお分かりですね。

種なしパン「マッツァ」
しかも、三枚のうち、真ん中のアフィコーメンです。

この時、イエス様の12弟子たちには、「取って 食べなさい。これはわたしのからだです」という意味を理解していたかはわかりません。
しかし、その時か、少なくても後に、この種無しパンがメシアの体、イエス様の身体を指しているのだということに気づきました。

終わりに

ここまでの三つのポイントを一旦、まとめましょう。

  • ①過越の祭りとは?
    出エジプト記に「毎年行いなさい」と書いてあるユダヤ教三大祭の一つで、一週間、種無しパンと呼ばれる「マッツァ」を食べます。
  • ②過越のパンに隠されたイエス
    過越の食事での種なしパン「マッツァ」は、罪のないメシヤを象徴しています。
  • ③聖餐式=最後の晩餐=過越の祭りの食事
    聖餐式のもととなる最後の晩餐は、当時の過越の祭りの食事であり、これら三つのルーツは同じであることがわかります。

つまり、「聖餐式のパンは、過越の祭りのパンと同じもので、イエス・キリストのからだを表している」

最後に、ここから、どんな意味があるのかをお話しします。

過越の祭りの本来の意味を考えれば、ヒントが見えてきます。
過越の祭りをイスラエル人たちが毎年繰り返す理由は、聖書が命じているということですが、これは、奴隷の身分からの解放という歴史的事実を記憶し続けるためです。

これは、現代を生きる私たちを含む全人類への象徴的なメッセージです。

私たちは、罪を持って生まれ、いわば、罪の奴隷でした。
しかし、キリストは十字架で私たちの罪のために打たれ、死なれ、罪の奴隷の身分からの解放を成し遂げてくださったのです。

まるで、過越のパンをフォークで刺すように。

いつか、イスラエル人がこの奥義に気づく時がきます。
今は、一足先に、この奥義を知った私たちが、まずこの聖餐式を通して、キリストを覚え、礼拝して行きたいと思います。

賛美を一曲歌って、聖餐式に移ります。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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