聖書はお金について何と言っているか?「よ~く考えよ~、お金は大事なの~?」

聖書はお金について何と言っているか?
この記事は約6分で読めます。

はじめに

今日は、聖書はお金について何と言っているか?についてお話します。

昔、保険会社のCMで、「よーく考えよー、お金は大事だよー」というフレーズがありました。
覚えていらっしゃる方もいるとおもいます。

皆さんは、お金が大事だと思いますか?

他の人の前で、「お金は大事だよ!」と公言できるでしょうか?

なんか、恥ずかしくないでしょうか?

「お金は大事、でもお金より大事なものがある」といいたくなります。

家族、友情、夢、などなど。

しかし、現実は、ほとんどの人にとって、お金がないと、食べ物は買えないし、息抜きのために友達と出かけることも難しいですよね?

この、大事なんだけど、大事だ!と言い切るのがなんとも難しい、「お金」

聖書はなんと言ってるのか、気になりませんか?

今日の記事を見れば、聖書はお金について何と言っているか?を知ることができます。

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「聖書はお金について何と言っているか?」

 お金とは、「神と人を愛する手段」です。 

お金は、それ自体に価値があるのではなく、どう用いるかによって、価値を発揮するものです。

わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。

聖書(ルカの福音書16・9)

聖書が、お金を手段として扱っていることがわかるのが、このみことばです。

イエス様は弟子たちに、不正な管理人のたとえを語りました。
管理人は、主人から任されていた財産を散財し、解雇されることになりました。この管理人はその整理をするときに、お金を貸していた人たちの証書の金額を少なく書き直させました。それは、解雇された後に、助けてもらうことを期待していたからです。

彼のやっていることはどうみても悪いことですが、主人はこの管理人を褒めたのです。

主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。

聖書(ルカの福音書16・8)

なぜ、イエス様がたとえの中で、この管理人を褒めたのでしょうか?
それは、この管理人は理由はどうであれ、任されたお金を「賢く使った」からです。

この管理人の賢いところは、自分が恩を売るために主人の財産を賢く整理したことだけではありません。
主人がこのことをキャンセルできないようにしたからです。

どういうことかというと、例えば、主人が怒って、「これは管理人が自分の許可なしにしたことだ!」と債務者の借しを元どおりにしてしまっては、管理人の労苦は無駄になります。しかし、彼は絶対にそんなことは起こらないことを知っていました。

なぜでしょうか?

そんなことをすれば、債務者から恨まれるのは主人だからです。
債務者は、管理人から債務を減らしてもらい喜んでいます。しかし、実際は管理人に対してだけではなく、彼の主人を寛大で愛のある主人だと褒めるのです。
主人には、このことをキャンセルすることによって被るリスクを負いたくありません。とりあえず、そのままにしておいて寛大な主人という名声を受け取るしかないのです。
このように、窮地に立たされた管理人は、大きな危機にあって実に賢く対処したのです。

イエス様の次のことばは、彼のやり方を肯定しているわけではないことがわかります。

主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。

聖書(ルカの福音書16・8)

光の子ら、すなわちクリスチャンは「神様が喜ばれることのために、賢くお金を使いなさい」ということが暗示されているのです。

9節に注目してみましょう。

わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。

聖書(ルカの福音書16・9)

「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。」とは当時のユダヤ的表現であって、「この世の富を神様や人々のために用いなさい」と解釈することができます。
「富がなくなったとき」とは、厳密には「終わったとき」と記され、この地上のいのちがなくなるときを指します。
「私たちが稼いだお金を、神様や人々のために用いる」ならば、「この世での人生が終わったとき、天国という永遠の報いとして返ってくる」ということです。

つまり、イエス様がここで言われたことは、

お金は「神と人を愛する手段」であり、生きている間に賢く使いなさい。ということです。

2018年公開の億男という映画をご存知でしょうか?

あらすじは、
主人公の一男(佐藤健)は、兄の残した3千万円の借金を返済するために必死で働いていましたが、妻・万佐子はお金に対するすれ違いから愛想を尽かし、離婚届を残して娘・まどかと一緒に家を出てしまいます。そんな中、一男は突然宝くじで3億円が当たります。「これで借金を返せる。そして、家族の絆を修復することができるはずだ」と思ったが、友人にそのお金をとんずらされてしまって…
といったところです。

この映画のポイントを一言で言えば、
「お金はどう使うかが大切である」ということです。

この映画の中では、お金で「何か」を手にいれようとする人がたくさん出てきます。
お金を手に入れても、何か大事なものを失っていく人もいます。
一男もお金が手に入って借金を返せれば、家族との幸せな生活が手に入るはずだと思っていました。
しかし、現実は違ったのです。

一男は、映画の中でこのように告白します。
「お金に心奪われた瞬時から、本当に大切なものを見失う。」
私たちの社会はお金がとても重要であり、お金で買うことのできるものが多いからこそ、人々はお金に魅了されます。
この映画のように、これから「お金とは何か?」と問う人たちや、その答えを発信していく人はますます増えていくと思います。

クリスチャンこそ「お金とは何か?」と言うことを社会に聖書から発信することができます。
そして、そのためには聖書の価値観の実践による証しが不可欠です。

まとめ

それでは、今日の話をまとめましょう。

聖書はお金について何と言っているか?
お金とは、「神と人を愛する手段」です。

「お金はどう使うかが大切である」ということです。

次回は、「なぜ、お金を神と人のために使うのが聖書的なのか?」について聖書から説明します。
乞うご期待!

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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