いますぐ避けるべき苦難②「〇〇ならいますぐ逃げろ」聖書(マタイ6:13)

20220227
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私たちを試みにあわせないで、 悪からお救いください。』

聖書(マタイ6:13)

はじめに

人生には誘惑があります。

誘惑と聞くとどんなイメージがありますか?

例えば、不倫とか、不正、犯罪で人生台無しするとかですね?

ネットに人生を台無しにする「3つの甘い誘惑」とありました。

  1. 自分の“正しさ”に酔いしれる誘惑「あの芸能人は許せませんよね」
  2. リスクや後悔ばかり考えて今を楽しめない誘惑「〇〇ならどうしよう?〇〇ならよかったのにね」
  3. 決めつけてしまう誘惑「〇〇はこうあるべきだ」

これらがなぜ、誘惑かというと、対人関係を壊したり、今を楽しめなかったり、人の粗探しや陰口で時間を浪費することになります。

こう考えると、人生には本質から逸れてしまう、誘惑がたくさんあることになります。

今日は、いますぐ避けるべき苦難②ということで、この誘惑について聖書からお話しします。

誘惑からくる苦難

聖書を見ると、通るべき苦難と、通らなくてもよい苦難があることを今まで見てきました。

前回は、「自分の過ちからくる苦難」でした。
今回は、「誘惑の中で起こる苦難」です。

冒頭の話のように、誘惑は私たちの人生にトラブルや、苦難を巻き起こします。
なので、誘惑の中で起こる苦難や、誘惑の結果起こる苦難は、避けるべきです。

まず、次のことをはっきりさせましょう。

①試練と誘惑の違い

試練と誘惑の違いについて知ることは、とても大切です。

試練とは神が私たちを成長させるために許すものです。

聖書にははっきりと神は私たちに試練を与えると書いていますね。
この試練は、苦難であっても、良いものということができます。

では、一方誘惑とは何でしょうか?

誘惑とは私たちを滅ぼすためにサタンが行うことです。

ここではっきりさせたいことは、神様は絶対に誘惑しないということです。これははっきりと聖書に書いています。

だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれかを誘惑することもありません。

聖書(ヤコブの手紙 1:13)

では、 私たちを誘惑するのは誰でしょうか?
それがサタンです。サタンとは悪魔や、悪霊とも言われます。

まず、ここでしっかりと覚えておきたい事は、神は私たちを誘惑はしません。しかし、サタンはすると言うことです。

では、次に、誘惑と試練に対して、どのように向き合えば良いかを聖書からみていきましょう。

②誘惑の場合は避ける

私たちを試みにあわせないで、 悪からお救いください。』

聖書(マタイ6:13)

試みと訳されているギリシャ語はペイラスモス「試練と誘惑」と二つの意味があります。

聖書を理解するためには、「文脈」が大事です。

あわせないで→避ける。

神が与える試練は良いもので避ける必要はないので、これは誘惑のことです。

実際、今読んだのは新改訳ですが、新共同訳という聖書の訳には誘惑に合わせずとあります。

わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

聖書・ 新共同訳(マタイの福音書6:13)

他にも聖書にはサタンの誘惑に陥らないように祈りなさいという箇所がたくさん出てきます。

誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」

聖書(マタイの福音書26:41)

つまり、誘惑が来たなら、避けましょうということです。

逃げるは恥だが、役に立つということです。

お酒が誘惑になる人は、自分がいつも失敗する環境や状況を考えて避けるべきです。

飲み会に行ったら、周りに飲まれてしまう人は、飲み会に行かないのも一つです。

あなたがポルノを見るときは、どんな時でしょうか?
ストレスが溜まっている時?一人の時?

すぐにブチギレてしまう?自分の言動に問題がある?

見ている動画や、映画、ゲーム、友達の影響があるかもしれません。
その場合、それらの誘惑とは距離を置く必要があるかもしれません。

人は環境に弱いんです。

ジムローンは、あなたの周りの5人の平均があなたといいます。
あなたは、一番時間を過ごす5人の人に似てくるのです。

マルチン・ルターが誘惑について記した次のような言葉があります。
「頭の上を誘惑の鳥が飛び回ることは、だれにも避けることができない。 しかし、その誘惑の鳥が、髪の毛の中に巣を作ってしまうのを防ぐことはできる」

誘惑そのものを完全に取り除くことはできなくても、その誘惑を放置して、頭に住まわせるかは、あなた次第だということです。

聖書の人物にとっても、女性の誘惑は大きな罠になります。
サムソン、ダビデ、ソロモンとたくさんいます。

その中でも、誘惑を避けたのが、創世記のヨセフです。

11 このようなある日のこと、彼が仕事をしようとして家に入ると、家の中には、家の者が一人もいなかった。
12 彼女はヨセフの上着をつかんで、「一緒に寝ましょう」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、彼女から逃れて外へ出た。

聖書(創世記 39:11-12)

ヨセフは誘惑に対して、逃げたんです。

誘惑に対しては、戦わないことです。
おそらく、言葉で説明しても、言いくるめられる可能性があったはずです。

しかし、誘惑に対してはもっと知恵が必要です。
本来、家の中で誘惑してくる女性と一対一になる状況になっているのが、ヨセフの爪の甘さです。

実際、誘惑を拒否して逃げましたが、目撃者が一人もいないので、ヨセフはこの女性にはめられて、この後牢獄に入ります。

でも、誘惑に対して、断固拒否して逃げたヨセフを神様が見ていたので、彼は牢獄から出て、エジプトの総理大臣になるのです。

これは一種の神様のテストだったとも言えるでしょう。

イエス様の種まきの例えにも、誘惑に負ける人と、その残念な結果が出てきます。

道端に落ちたものとは、みことばを聞いても信じて救われないように、後で悪魔が来て、その心からみことばを取り去ってしまう、そのような人たちのことです。

聖書(ルカ8:12)

これは、悪魔の誘惑に負けた人のことです。

茨の中に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らはみことばを聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。

聖書(ルカ 8:14)

「生活における思い煩いや、富や、快楽」これらは誘惑だということです。

もし、皆さんの頭の中に、これらのものが巣を作っているなら、注意してください。

どんなにカッコつけて「クリスチャンであっても世の中の人に影響を与えるために素晴らしい生活をするべきだ!」「お金を稼ぐことは悪いことじゃない」と言っても、私たちは誘惑には弱いんのです。

イエス様が、具体的に、生活の悩み、金、快楽と言っているくらいです。

そういう人は、残念ながら、みことばの実が結べません。

つまり、結果として、神の力が働かず、影響力はありません。

お金持ちが、人の人生を変えることはありません。

人の人生を変える影響力は、みことばと神の力からくるからです。

お金があっても、なくても関係ありません。

みことばがあなたの魂、実生活で身を結んでいるかが重要です。

③誘惑が試練である時は立ち向かう

1つ覚えておきたいことがあります。神様は時としてサタンが私たちを誘惑することを、許すことがあります。

その例が、聖書のヨブ記と言うところにあります。

このヨブ記の主人公である、ヨブと言う人物は神も認めたほど正しい人物でした。
このヨブの物語には読者だけ知っている裏のストーリーがあります。
それはこのヨブと言う男がこれから通る様々な困難や問題はサタンによる誘惑であったと言うことです。

ヨブ記の、1番最初人でこのサタンは、天国の神様のもとに現れるシーンが出てきます。
そこでサタンは神様に、ヨブを誘惑する許可を貰います。ここから神の許しなくしてはサタンが人を誘惑することができないと言うこともわかるわけです。
ちょっとそのシーンを読んでみましょう。

7 主はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
8 主はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」
9 サタンは主に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。
10 あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。
11 しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
12 主はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。

聖書(ヨブ記1:7-12)

最後の12節が強烈ですね。

神様はサタンがヨブを誘惑することを許可したんです。
何故でしょうか?

神様がサタンが誘惑することを許可する時には必ず条件があります。
それは誘惑される人物が、必ず信仰によって乗り越えることができると神が信じている場合です。

神は乗り越えられない試練を人に与える事はなさりません。

なのでサタンが人を誘惑する時、ここで言えばヨブが必ず神を信頼してこの誘惑をはねのけることができる、この試練を乗り越えることができると神は確信していたからこんなことが起こりました。

ちょっと考えてみたいと思います、ヨブ記を読んだことがある方はわかると思うんですが、ヨブが体験するこのサタンの誘惑は半端ありません。

私は牧師ですが、正直ヨブと同じ誘惑は絶対に通りたくありません。
それが神様の試練だとしても絶対に嫌です。
乗り越えれる自信が正直ないんです。

これどういうことかと言うとヨブだからできたんです。
なので今までの話を聞いて、自分も呼ぶのようなサタンの誘惑を神様が許したらどうしよう。
自分にはそんな自信がない。
怖いなぁと思った方がいると思いますが、 確かな事は、あなたはヨブではないと言うことです。

じゃあ、ここまでの話で思うわけです。
結局、誘惑は避けるのがいいのか?それとも試練として立ち向かうのがいいのか?

これが、今日覚えてほしい適用です。

まず誘惑に合わないように祈りましょう。
でも、それでも誘惑が来たら、みことばと祈りで立ち向かうのです。

9 堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。
10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

聖書(1ペテロ5:9-10)

ぜひ、この二つのことを知ってください。

私たちはサタンや誘惑には弱い。
神はサタンや誘惑に動じない。

サタンや罪の誘惑に立ち向かう秘訣は、「謙遜さ」です。

自分は弱いです。助けてください。
あなたの力によってのみ、私は固く立つことができます。

常に、謙虚に、神の力を求めていく必要があるのです

終わりに

  • ①試練と誘惑の違い
  • ②誘惑の場合は避ける
  • ③誘惑が試練である時は立ち向かう

サタンがあなたを誘惑する分野は何でしょうか?

あなたが弱い部分。

言葉の失敗?距離感?傷つきやすい?憶測して落ち込みやすい?悩みすぎ?調子に乗る?
生活の思い煩い?富?快楽?

人それぞれ違うでしょう。

まず、自分がそれらをちゃんと、避けているかどうか、確認しましょう。

また、サタンの攻撃に、みことばによって、対抗できる信仰があるかどうかも、チェックしましょう。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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