【悲報】復活を信じる方法「心が〇〇ない限り無理です」聖書(ルカ24:44-53)

20220410
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44 そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」
45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
48 あなたがたは、これらのことの証人となります。
49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
50 それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。
51 そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。
52 彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、
53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。

聖書(ルカ24:44-53)

はじめに

イースターとは何なのでしょう?

聖書には、イースターという言葉は出てきませんが、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、3日目に復活されたことのうち、特に「復活を祝う」ために世界中の教会で祝われているものです。
キリストは、日曜に復活しています。

クリスマスが、イエス様が誕生されたことを祝うなら、イースターはそれの復活版です。

この復活は、聖書の中でも最も大切な出来事の一つです。

なぜ、復活が大切なのでしょうか?

それは、復活を信じることで、私たちは、罪がゆるされ、永遠のいのちが与えられ、天国にいけるからです。
それだけではなく、神の子としての身分が与えれ、神の霊である聖霊が私たちのうちに住まわれるようになります。

一言いうなら、未来や過去が変わるだけではなく、現在の現実が変わります。

罪悪感からの解放、充実感、人生の目的が明確になり、自信がつきます。
愛や喜びが内側から溢れ、結果、人間関係にも良い影響を与えるようになります。

こんな話を聞いたら、「私もクリスチャンになりたい!」と言う人が出てくるでしょう。
むしろ、こんな話をせずとも、聖書やイエス・キリストに興味があり、信じたいという人は私たちが思っている以上に多いです。

しかし、その中で、つまづきになりうるのが、イースターの要「復活」です。
「復活だけは信じれないんです」という方もいるからです。

イエス様を信じたいんだけど、復活がどうもよくわからないから、信じれないというのは、僕にしてみれば、とっても残念です。
本当に信じたいなら、おそらく、本人が一番もどかしいはずです。

しかし、今、世界人口70億人のうち、23億人はクリスチャンのようです。
おそらく、大半は復活を信じているでしょう。

ガーデンチャーチでも、一年で9名が洗礼を受けました。
洗礼を受けたということは、みんな復活を信じたということです。

「復活」を信じる方法

今日、考えたいことは、人は「どうやって、復活を信じることができるか?」ということです。

考えられる選択肢を挙げてみました。
みなさんは、どれだと思いますか?

また、他にも方法があれば、教えてください。

  • ①聖書を勉強すれば信じられる
  • ②良いクリスチャンになれば信じられる
  • ③強い意志があれば信じられる
  • ④感情的な体験をすれば信じられる
  • ⑤復活したキリストを見たら信じられる

どれでしょうか?
正解は、全部、不正解です。

①聖書を勉強すれば信じられる

 →この世にはそこらへんのクリスチャンよりも知識がある、無神論者がいます。 

知識があっても、信じないという選択は可能です。

②良いクリスチャンになれば信じられる

 →良いクリスチャンというか、復活を信じている人がクリスチャンなので、これは矛盾しています。 

③強い意志があれば信じられる

 →これでは、福音が万人向けの無条件ではなくなります。 

私たちの意志は状況で簡単に揺れ動き、クリスチャンになっても意志が弱くなることがあります。

④感情的な体験をすれば信じられる

 →体験は重要ですが、体験がなくても信じることができます。 

また、体験は主観的なので、本人以外はその人が救われているかを判断できず、危険です。

⑤復活したキリストを見たら信じられる

 →見ても信じない人は必ずいます。むしろ、見たほうが信じれないかもしれません。 

そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。

聖書(マタイ 28:17)

じゃあ、正解は?
みなさん、今日の箇所に書いていました。

45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、

聖書(ルカ24:45)

神様に「心を開いてもらう」ことです。

これしかありません。
そもそも、私たちの心は閉じているのです。
罪によって、神がわからなくなっているのです。

目から鱗という諺は聖書の言葉であり、まさに私たちは目が曇っていて、復活も信じれないのです。

実は、イエス様の弟子たちも、みんな、最初は心が開かれていませんでした。

しかし、弟子たちには、このことばが理解できなかった。彼らには分からないように、彼らから隠されていたのであった。彼らは、このことばについてイエスに尋ねるのを恐れていた。

聖書(ルカ9:45)

しかし、今日の箇所で、弟子たちの心はイエス様によって、開かれたのです。

45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、

聖書(ルカ24:45)

ここの「心」の原語のギリシャ語は、「ヌース」と言って、心の理性的方面を表す言葉です。

英語だと、mind「思考・認識・判断」をする心の側面です。

反対に、心が傷つくの心は「heart」ですね。

どういうことかというと、神が私たちの心を開くなら、私たちは、復活を理性的に理解でき、認識し、信じる判断が可能になるということです。

ガーデンチャーチで洗礼を受けた9名は、洗礼を受ける前に、復活を信じました。
それは、本人がどう思おうと、感じようと、神がその人たちの心を開いて、聖書にあることを悟ったからです。

今日も4人の方が洗礼を受けますが、おそらく一部の人は、「え、私は、復活を理性的に理解でき、認識し、信じているかな?」と不安になったかもしれません。

大丈夫です。

4回の聖書の学びの最後で確認し、信じる告白をしたなら、神の力で理解できています。

不安になる理由は、理解できていないのではなく、確信が伴っていないからです。
確信は、信じた後に、深まっていくので、心配は入りません。

今日、ここにおられる方々の中で、ライブを通して見ておられる方々の中で、

どうしても、復活は信じれないという方。
もっと、確信を深めたい方。

解決するには、たった一つの適用しかありません。

祈ることです。
神様が私たちの心を開いて、聖書にある復活を悟れるように、祈ることです。

それだけでいいのか?

いいんです。

今日は、特別に、去年ガーデンチャーチで洗礼を受けた、ちあきさんに「どうやって、キリストを信じるに至ったのか」についての証しをしてもらいます。
「証し」とは、神様が実際に働かれたことを、実体験から言葉を通して証明することです。

終わりに

今日、ここにおられる方々の中で、ライブを通して見ておられる方々の中で、

どうしても、復活は信じれないという方。
もっと、確信を深めたい方。

解決するには、たった一つの適用しかありません。

祈ることです。
神様が私たちの心を開いて、聖書にある復活を悟れるように、祈ることです。

それだけでいいのか?

いいんです。

一緒に祈りましょう。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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