今回は、従えないなら地獄に落とすのは脅迫ではないですか?「地獄に落とすってやばくね?」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて3年のこうきさんがゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
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今日どんな質問でしょうか?
今日の質問は、聖書に書かれていることに従えないなら地獄に落とすというのは、脅迫ではないでしょうか?という質問です。
従わないなら地獄行き=脅迫?
神に従えないなら地獄に落とすって、「ひどい神様」みたいな印象ということですね。
こうきさんは、どう思いますか?
確かに脅迫のように感じることもありますよね。
ただ、僕はあまりそういう感覚ではないんです。どちらかと言うと、自分は罪人だなぁと認識していて、正しく生きることの方向性を見誤っている中で、神様は「こういう風にするのがいいんだよ」っていう道を見せてもらってるという感覚です。
なので、その道を行かないなら地獄に落ちるよっていうのは、優しさであり警告なような感じです。
脅迫というように思う人も多いかもしれないですね。
本当に、心から全員天国行けばいいなと思うんですが、なんでもありだと基準がなくなりますよね。
例えば犯罪を犯した人も、牢屋に入れられるのは脅迫だ!みたいなことにも、似てることかなと思います。
赤信号を渡ったら車にひかれるよっていうのは、脅迫ではなく、「警告」ですよね。
そうですね。だから、神様は地獄に落としたいんじゃなくて、警告してくださっている。
愛し合うことが人にとって良いし、良い方に向かって行くのが社会全体としてももちろん良いですよね。
それに従わないで、好き勝手やる人は、同じところにいたら危険ですよね。正しい人を守る意味で、神様の基準があると思います。
結論言うと、従えないから落とすんじゃないんです。
最初から僕らは、聖書を見ると、地獄行きなんです。聖書では、人間はみな罪人なので、僕らはスタンダードで地獄なんです、辛いけど。
人間はみな罪人であり、スタンダードで地獄行き…
それを最初知ったときは、びっくりしました。
神様が「従わないなら地獄に落とすなんて!」というのは、被害者意識があると思います。
あなたが、もし罪が全くない善人だったら天国に行けるはずです。
人間はスタンダードで地獄行きということが信じられない人は、天国に行けるように自分なりに頑張ればいいし、そう信じて、天国行くっていう確信がどこかで持てればいいじゃないですか。
でも、その天国があるかどうかも分からないのかもしれない。その人の定義の天国はなんだろうか? 人それぞれのイメージがあるのかもしれません。
僕は、聖書の天国と地獄は信じています。
僕らは聖書の言うとおり、罪人だと思っています。犯罪者ではないにしても、心の中で人を裁いちゃうし、嘘をついたり、傷つけてしまったり。
だいたいノンクリスチャンの人と聖書勉強をしたら、みんな分かります。今まで、自分に罪がないって言った人は1人もいなかったです。
中には、自分に罪は一切ないと言う人もいるとは思うんですが、少なくとも僕の周りでは、聖書の「罪人」の意味を学んだら、「自分は罪人です」ってみんな認めるんですね。
そういう罪悪感みたいのが、人間には備わっていて、自分は罪を犯しちゃうなって思っている。
それを認識しているなら、僕らは天国に行かせてくださいって願うことができます。
神様を、キリストを信じれば天国に行けるんですから。それだけです、自分の努力で行けることではないんです。
「自分には罪があります。イエスさまが十字架にかかられて、そのおかげで私の罪が赦されて、3日後に復活されたというのを、よく分からなくても、信じれば救われると書いてあるので、信じたいです。」これで十分です。
神様は脅迫したことはないです。
ただ、重要ですが、一部のクリスチャンは脅迫として使う場合があります。
どういうことですか?
例えば、家族に伝道する時に「信じなかったら地獄行くよ」って言ってしまうみたいなことです。
間違いではないんですが、言われた方は、いきなり脅迫されてるように感じるかもしれないです。
神様は、いきなり地獄行くよなんて言わないですよ。少なくとも聖書を買って、聖書を開いたらそう書いてあるけど、開かなければ別に知らないままの可能性が十分にあります。
なるほど。話が少し変わってしまうかもしれないですが、聖書を知ると自分が罪人なんだということに気付く。でも、それを学ばなければ、罪の意識に苛まれることはないんじゃないですか?
それが、あるんです。
クリスチャンじゃなくても、聖書を知らなくても、罪悪感で自殺する人がいますから。
僕らは、罪悪感を必ず感じます。理由は、良心があるからです。
ノンクリスチャンであっても、人間に良心を神様が備えて作っています。
人間に備わる罪悪感と良心
良心というのは、本能的に悪いことは悪いって分かるようなシステムです。
子供でもそうです。嘘をついて、もじもじしたり、悪いことをして、そわそわしますよね。子供は、聖書の罪人のことなんて学んでいないのに。それは、良心あるからです。
駄目でしょうって言ったら、ごめんなさいって言うじゃないですか。小さければ小さいほど素直なので、嘘ついてごめんなさいとすぐに認めると思います。
しかし、聖書的に言うと、僕ら人間の良心は罪で腐敗してるので、良心も歪んでしまっているんです。
完璧に、罪か罪じゃないかというのを見分けることはできないです。
自分には罪がない、別に俺は罪人じゃないっていう風なことを言ってる方も、実際見たことあるんです。
それは、本心では罪意識があるけれども、「そうじゃない!」と思いたいっていうことですかね。
その方にそう言ったら怒るかもしれないけど、そういうことです。
少なくとも罪という概念は認識してるわけじゃないですか。
なるほど。自分には罪がないって思いたいという気持ちからなんでしょうね。
もし地獄に行くのが嫌だったら、次の3つのことを伝えたいですね。
①天国も地獄も信じるかはあなた次第
1つ目、天国も地獄も信じなければいいんですよ。解放されると思います。
聖書にははっきりと地獄はあると書いてあるけど、信じなければいいんじゃないですかということ。
ただ、人間は誰もが死ぬことは分かっているので、万が一、死んだ後に聖書に書いている天国と地獄があったならば、後悔するんじゃないかなと思います。言い方がちょっと脅迫っぽいかな? ただ、僕は本当に、信じた方がいいと思いますけどね。
②脅迫に感じるなら、罪悪感があるということ
2つ目、そもそも脅迫に感じるのであれば、あなたには罪悪感があるということです。
神様に罪が赦された感覚がある人は、脅迫に感じません。なので、神様との関係をしっかり見る必要があります。
もしクリスチャンであれば、「赦された」と聞くとホッとするんです。こんな自分でも生きていいんだ、ありがたいなっていう神様への感謝が生まれます。
罪責感や脅迫されている感覚がクリスチャンになっても抜けない人は、イエス様の十字架の愛に、もっとたっぷり浸かる必要があります。
③イエス・キリストの福音は無償なので受け入れませんか?
3つ目、キリストの福音は無償であるので素直に受け入れませんか?ということ。僕はおすすめします。
どうですか、こうきさんは今日の話を聞いて。
罪悪感というのは、ノンクリスチャンの時も感じていました。赦されているっていうのは、とても大きな愛ですよね。それを素直に受け取るというところが、とても重要かなと思いました。
今回の質問者の方にはなぜ、そういう風に思うのかっていうことを聞いてみたいです。
コメントの質問だと、その人の深い所までは分からないので、表面的な理解になってしまい、もし勘違いしていたりとか誤解があったら申し訳ないです。
できる範囲で、このように私たち精一杯答えていきたいと思いますので、今後もわからないことや、聞きたいことがあればコメントで教えてください。
まとめ
Q .従えないなら地獄に落とすのは脅迫ではないですか?「地獄に落とすってやばくね?」
A .人間はみな罪人であり、スタンダードで地獄行きだと聖書に書かれています。しかし、それは脅迫ではなく私たちクリスチャンは「警告」と捉えています。
人間には罪悪感と良心が備わっていますが、それも完璧な良心ではありません。イエス・キリストの十字架によって、罪が赦されたことを受け入れているクリスチャンは、脅迫ではなく、感謝を覚えます。
①天国も地獄も信じるかはあなた次第であること
②脅迫に感じるのであればあなたに「罪悪感」があるということ
③イエス・キリストの福音は無償で、信じるだけで天国へ行けると聖書にあるので、受け入れませんか?とおすすめしたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。