今回は、なぜ神が全能なら、願いを聞くどころか無視し、一方的な要求でがんじがらめにするのか?「宗教って束縛するでしょ?」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて3年のこうきさんがゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
取り上げて欲しい疑問や話題があれば、ぜひYouTube動画のコメントでリクエストをお願いします。
神様は私たちの願いごとを無視して、一方的な要求をしてくる?
こうきさん、今回はどんな質問でしょうか?
今回は、なぜ神さまが全能なら、願い事を聞くどころか無視し、一方的な要求でがんじがらめにするのか?という質問です。YouTubeのコメントで来ておりました。
なるほど。こうきさんは、どう思いますか?
僕はこのような感覚はありませんでした。
願い事を無視されている、という点では分からなくもないのですが、一方的な要求をされているとは、僕は感じていないです。
クリスチャンになってからは、「神様は願いをいつも聞いてくれている。ただ、それに答えてくれるかどうかは、神様次第である。僕にとって聞いた方がいいことはすぐに聞いてくださるだろうし、違うのならばその時には聞かれない。」そんな感覚でいます。
なるほど。
結論から言うと、「神は全能者でもあるが、主権者でもある」ということです。
神は全能者であり、主権者
全能者の側面しかなければ、人間は「神様はなんでもできるのに、なぜ聞いてくれないんだ」となりますよね。
ただし、主権者の側面もある。主権者というのは、すべてのコントロールの権利が神様にあるということです。
質問者の方は、神様を全能者という側面でしか見ていない可能性があります。
神様に期待している一方で、神様を自分の思うようにコントロールしたい思いがあるのかな?と思います。
神様は私たちの願いを無視することもできるんです。なぜなら主権者だからです。
神様は、私たちの祈りを全部知ってくれている。ただし、それに答えてくださるかどうかは、神さまが、答えた方がいいと思ったら答えてくれるし、今は答えない方が僕らにとって良いと思えば答えないし、という感じですかね。
全能者の側面しか無いのなら、「何でこうするんですか」って言いたくなりますよね。何でもできるのに、何でしないの?と。
しかし、神様は、同時に主権者なんですよ。
どういうことかというと、主権者というのは神様が全てのことをコントロールしていて、神様に支配権があるということです。
すべての主権を持っておられる方なので、この質問された方はもしかすると、神様を全能者としてしか見てないのかな?と思います。神様の前での立場をわきまえる必要があるのかなと。
全能だからといって、全て人間の思い通りにするわけではないし、思い通りにしないからといって、神様が責められる筋合いはないっていうことですね。
「願いを無視する」とありますが、主権者なので無視してもいいんですよね、神様は。なぜ神様が人間の願い事をすべて聞かなくてはいけないのかと、いうことです。ちょっときつい言い方ですが。
この質問をされた方は、神様が全能であるということは信じているから、自分より上には見ている。けれど、言うことを聞いて何でもやって欲しいって思うってことですかね?
それか、寂しいのかもしれない。この方のことを、もっとちゃんと聞かないと分からないですけれどね。見当違いの可能性も、もちろんあるとは思うんですが。
神様に対して期待はしてるんだけど、どちらかというと神様をコントロールしようとしてるって感じかな。
「自分の要求に答えて欲しい、なんでしてくれないんですか?」っていう気持ちは分かりますけどね。
でも、それって逆に言えば神様を下に見てることなんですよ。
そう思ってないと思いますよ、そのように自覚はしていないと思うんですが、それだとアラジンの魔法のランプになっちゃうんですよね。人間の願いに神様が従うという構図になります。
神様は愛に基づく答えをくれる
ただ、ここは大事なポイントですが、神様は優しい方なので、私たちの願いを聞いてくれるんですよ。
聖書の中には、願いを聞いてくれるとも書いているんです。
それは、愛に基づく私たち人間への最善の答え方です。
なので、願いが叶えられないとしたら、あなた方が間違った動機で求めていると、聖書に書いてあるんですよね。
神様はいつも願いを知っていて、優しいので答えようとしてくれる方です。
その願いが、あなたのためになってないからこそ、「今は時じゃない」と言っておられる可能性もあります。
あなたのことが憎たらしいから無視しているわけじゃないんです。
「要求でがんじがらめにする」という部分に関しては、神様は要求であなたをがんじがらめにはしてないと思うんです。
聖書には、あなたは自由だと書いてあります。変な話、何をしてもいいんです。
何をしてもいいっていうのは、何かをして、良いか悪いかというジャッジではなくて、良いことも悪いことも私たちにはできる自由が与えられている、ということです。
なので、自分が自分をがんじがらめにしてる可能性もあります。自由にしてもいいけれど、行動の責任を取るのは、自分だということです。
少なくとも、神様は愛のある方なので、がんじがらめにしたいわけではありません。
逆に、「こうしたほうが幸せになるよ」みたいな提案はあるでしょう。
私に従えば幸せになるよ、という提案です。神様に従うのは、人間にとって一番良いことですから。
なので、そうしたらいいと思うし、でも、選択の自由は与えられているので、拒むこともできるわけです。
僕は子供の頃は、親に対してこのようなことを思っていたと思うんですよね。
この方の相談とはちょっと違うかもしれないですけども、例えば僕が、これ買って欲しい、あれやらせてほしい、ゲームもっとしたい、夜も遅くまで起きてあれやこれやしたいって言っていても、親は駄目駄目駄目と。
一方で、あれしなさい、これしなさいみたいなことを言うのは、「なんなんだ!」と子供の僕は思っていました。
でも今、自分が親になってみて思うのは、それはがんじがらめにしたくて、子供をコントロールしたくてしているわけじゃなかったんだということです。中には子供をコントロールしたい親もいると思いますが、人間は完璧ではないので。ただ、愛情を持っていることも多いと思います。教育の一環として。
そう考えると、神様の場合はもっと愛が大きいと思うので、かんじがらめでというのは、気持ちは分からなくもないですけど、そうでもないのかなと思いました。
そうですね。神様は全能者なんだけれども、同時に主権者であるということを僕ら人間は忘れがちです。
もちろん僕らも選択はできますが、神様の主権が私たちをはるかに超えます。
「願い事を叶えてくださる優しい神様」っていうイメージも良いんですが、同時に神様は義なる恐ろしい方でもあるので、ときには命も取られますよね。だから僕ら人間が立場を勘違いしてはいけません。
だからといって、怖い怖いと恐るばかりでは、聖書的にはバランスに欠けています。いい意味で畏れる、礼拝する、ひれ伏す、従っていく、というのが必要です。
イエス様は、人となってこの地上に来てくれて、愛してくれたから、このお方に仕える。赦された喜びから、仕えていく。それがクリスチャンの考え方ですね。
もしかすると他の宗教では、ご利益が欲しいんだったら言うことを聞きなさいっていうものもあるかもしれません。ただ、聖書の神様はそういうことではないんです。
まとめ
Q .なぜ神が全能なら、願いを聞くどころか無視し、一方的な要求でがんじがらめにするのか?「宗教って束縛するでしょ?」
A .神様は全能者であると同時に、主権者でもあることを忘れてはいけないということです。
神様が全てを治められていて、神様の一番良いと思うタイミングで答えてくださることもあれば、愛を持って答えてくださらない時もあるでしょう。
なんでも私たちの願いを聞いてくれるだけでは、神様が人間のコントロール下にあることになってしまいますが、聖書の神様はそのような方ではありません。
これからも、聖書からQ&Aに答えていこうと思いますので、質問があればコメント欄でお知らせください。
今回この質問をくださった方、本当にありがとうございます。もしこのことで、文面だけでは汲み取れずに、言い方がきつかったりとか誤解があれば申し訳ありません。またコメントをいただければと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。