【人生を変える聖書のメッセージ#43】導く人がいなければ人は救われない「福音を伝えるのを恐れてはいませんか?」使徒8:26-35

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はじめに

韓国にいる間はずっと、オリュン教会で伝道師として牧会をさせていただきました。

オリュン教会で働いた最初の2年は、正直に言いますと、とってもしんどかったです。

なぜかというと、誰も救われなかったからです。

シャワーを浴びながら「私は何のためにこんなに一生懸命頑張っているんだろう」と神様に愚痴をこぼすこともありました。

私自身、伝道は得意だと思っていました。

大学生の時に、聖霊様に出会い、私の生温かった信仰に一気に火がつきました。

関係を築くこと、教会に誘うことは私にとっては簡単でしたが、その後どうすればわからず、その中で一人だけが他の人の導きで救われました。

なので、オリュン教会でもこう思っていました。

「人ってどうやって救われるんだろう」

でも、神様の憐れみと多くの人の祈りに支えられ、去年の夏に初めて1人が救われて、続けて2人が救われ洗礼を受けました。

先月もまた1人が洗礼を受けました。

私のオリュン教会での最後の一年に、しかもその後半になんと4人が救われたのです。

このことを通して、神様が私に教えてくださったことは、「伝道はとてもシンプルだ」ということです。

実は、私は小学5年生の頃に、同級生の女の子にみんなの前で「ゆうき、キリスト信じているの?気持ち悪い!」と拒絶されてから、人に福音を伝えることが怖くなっていたたのです。

伝道という漢字は「道を伝える」とあります。

しかし、福音を伝えずにどうやって人が救われるでしょうか?

今日の使徒の働き8章は、ピリピがエチオピアの宦官を導く場面です。

「導く人がいなければ」というタイトルでみ言葉から学んでいきたいと思います。

ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画を見ることができます。少しでも興味のある方は、ぜひ、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。

今日の箇所から三つのことがわかります。

①人々は福音を知らない

どういうことか?多くの人は知ってて信じないのではなく、知らないから信じていないということです。

本当?と思われる方がいるかもしれませんが、実はこの言葉は韓国人の牧師から聞いた言葉です。

クリスチャンの多いあの韓国でさえ、この言葉が真実ならば、日本はさらにそうであるはずです。

ピリポが出会った、エチオピヤ人の女王カンダケの宦官という人もそうでした。

そこで、 彼は立って出かけた。 すると、 そこに、 エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、 女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。 彼は礼拝のためエルサレムに上り、

聖書(使徒の働き8:27)

当時のエチオピアは非常に文化の発展したエジプトの南にあり、カンダケとは、名前ではなくエジプトのパロ、ローマのシーザーといったように、女王の位を表す役職名です。

女王の息子が実際の王でしたが、神格化されており、女王であるカンダケが実際に国を動かしていたのです。

その高官とありますから、今でいう財務大臣といったところでしょう。

なぜ、エチオピアの財務大臣が、エルサレムに礼拝に行くのでしょうか?

彼が異邦人だったという説もありますが、おそらく彼はユダヤ人だったからエルサレムに礼拝に行ったのです。

離散したユダヤ人の子孫か、宦官になる前に改宗したのか。

一般的に聖書では最初の異邦人の改宗者は使徒10章のコルネリオであって、もし、この宦官が異邦人初の回心者だったなら、ルカはそのことを書き記したはずです。

異邦人の回心について、エルサレム教会で最初に問題になったのはコルネリオの時です。

また、異邦人が熱心にヘブル語を勉強し、イザヤ書を朗読していることが不自然です。

彼が異邦人であったか、ユダヤ人であったかは別としても、この箇所からはっきり分かることは、彼は文化の発展した国で、能力と地位を兼ね備えた財務大臣であり、はるばるエルサレムに礼拝に来るほど熱心な信仰者だったということです。

しかし、彼にも決定的に欠けていることが一つありました。

それは、聖書の本質である福音を知らないということです。

旧約新約と突き通して語られているイエスキリストの福音がわからなければ、いくら聖書を一生懸命読んでも、研究しても、何が何だかさっぱりわかりません。

30-31節を読んでみましょう。

30 そこでピリポが走って行くと、 預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、 「あなたは、 読んでいることが、 わかりますか」と言った。
31 すると、 その人は、 「導く人がなければ、 どうしてわかりましょう」と言った。 そして、 馬車に乗っていっしょにすわるように、 ピリポに頼んだ。

聖書(使徒の働き8:30-31)

導くと訳されている言葉の言語は「ホラゲオ」と言い、本来「教える」という意味です。

つまり、教えてくれる人がいないのに、どうやって理解できますか?という意味です。

申命記によると、宦官は宮や会堂に入れないので、もしかしたら彼は聖書の教えを聞くことができず、外で一人イザヤ書を読んでいたのかもしれません。

多くの人がこのエチオピアの宦官のようです。

福音を知ってて信じないのではなく、知らないから信じることができないということです。

私が献身に導かれ会社を辞める時、多くの会社の同僚や上司は、「なんで辞めるの?」と聞いてきました。

私は「牧師になるので会社を辞めると言いました。」

すると、ほとんどの人が、「牧師って何?」「え教会?ミサ?神父さんになるの?」

ほぼすべての人が今まで牧師に会ったことはなく、教会にも行ったことすらないのです。

私は思いました。「ああ、想像以上に日本人はキリスト教を知らないんだな」

日本には教会が8000あります。 

(日本には郵便局は24000 、小学校は22000、コンビニは41000あります。)

歩いていける距離にすぐあるので誰でも知っているのです。

日本には、お寺は80000, 神社は70000

神社とお寺を合わせたら教会の約20倍あります。

石を投げれば当たるほど、多いのです。

なので、神社とお寺は日本人なら誰でも知ってるけど、教会は知らないんです。

もちろん、キリスト教に対して、良くないイメージを持っている人、敵対する人もいるでしょう。

昔の大迫害が原因とも言われていますし、オウム真理教のような新興宗教が原因だとも言えるかもしれません。

でも、若い世代はそうでもないというのが私の感覚です。

たとえ、人々が「え、教会?遠慮しておきます」「興味ありません」「宗教は危なそうだから」と反応するかもしれません。

でも、それは無知なだけ。知らないだけなのです。

逆を言えばそんなに悪いイメージもあまりついてないということです。

ちなみに、韓国はプロテスタントが20%ほどいてキリスト教が日本より浸透しているため、逆に日本よりも伝道が難しい面もあります。

それは、過去に教会に通っていたけど、何かにつまずいてマイナスイメージを持っている人です。

そのような人を伝道するのは容易ではありません。

それに比べれば、日本人、特に若者は伝道するチャンスが逆にたくさんあると私は思っています。

オリュン教会日本語礼拝部では、今年の後半から続けて3人の人が洗礼を受けました(当時)。

その一つのきっかけは、「バイブルスタディ」です。

オンヌリ教会のテキストを使っていますが、この本のいいところは、まだ救われていない人向けに「イエスキリストはどういう方か」という福音について聖書から学ぶ4回のセクションがあることです。

面白いことに、最初は皆イエス様が誰で、何をして、今何をしているかを知りません。

しかし、聖書を通してイエスさまが神であり、人であること、私たちの罪のために死なれたこと、復活されて今の世界を治められていることを知ると、すんなり信仰告白します。

なぜなら、ただ単純に福音をしらなかったからなのです。

次にこの箇所からわかることは、

②誰もが福音を求めている

宦官はピリポに向かって言った。 「預言者はだれについて、 こう言っているのですか。 どうか教えてください。 自分についてですか。 それとも、 だれかほかの人についてですか。 」

聖書(使徒の働き8:34)

エチオピアの宦官は真理に飢え渇いていました。

彼に聖書を解き明かす人がいなかったからです。

人々は神様に興味がなさそうに見えます。

生活は豊かだし、神様を求める理由すらなさそうに見えます。

しかし、現実はそうではありません。

経済的にも裕福になり、安全な現代の方が、過去にはなかった様々な問題が起こっています。

うつ病、高い自殺率、ポルノ中毒。

この傾向は特に日本の若者が顕著です。

「私は価値のある人間だ」というアンケートで、「価値がある」と答えた高校生の割合は、

アメリカが89%、中国が88%、韓国が75%に対し、日本は36%でした。

これらの原因はただ一つです。

それは、霊的な渇きです。

これは子供だけではありません。

仕事で成功し、誰もが羨む地位や名誉を得た芸能人やアーティストが自殺するというニュースをよく見ます。

人々は、より良い物や仕事、夢を達成することで魂の飢え乾きを満たそうとします。

しかし、その結果は、虚しさです。

なぜなら、私たちの魂は神様によってでしか満たされません。

有名な数学者であり、また神学者でもあったパスカルは言いました。

「人間の心の中には神によってしか埋められない空間がある。」

なので、私たちは人々を外側で判断するのではなく、聖書を通してすべての人がキリストの福音を求めているということを知らなくてはいけません。

The Souls Cry♪

2010年、神様が私にある歌詞を与えられました。歌詞自体はわずか数分で書き終えました。

それに教会のある兄弟が曲をつけてくれて完成しました。

その翌年、私がエルサレムにいた時、2011/3/11東日本大震災が起こり、この詞が、神さまの日本の魂に対する御心だと気づいたのです。

「The Souls Cry」魂の叫びという曲です。大震災の後に作ったビデオとともにお聞きください。

この叫びに対する答えは何でしょうか?

それは福音です。

今日、最後に学ぶべきことは、

③福音そのものに力がある

ピリポは口を開き、 この聖句から始めて、 イエスのことを彼に宣べ伝えた。

聖書(使徒の働き8:35)

ピリポがしたことは一つだけです。

ただ福音を伝えた。福音を伝えた。

もしかすると、私たちは福音を直接伝えることをあまりにも怖がっているのではないでしょうか?

一緒に食事をして、仲良くなって…それらのことは不可欠です。

でも、いつまでも真理を伝えないなら、その人の本当の必要、魂が満たされるということは起こらないのです。

32節、33節。

32 彼が読んでいた聖書の個所には、 こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として 毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
33 彼は、 卑しめられ、 そのさばきも取り上げられた。 彼の時代のことを、 だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。 」

書(使徒の働き8:32-33)

エチオピアの宦官はこの箇所を読んでもよくわかりませんでした。

でも、ピリピの答えはとてもシンプルでした。

ピリポは口を開き、 この聖句から始めて、 イエスのことを彼に宣べ伝えた。

聖書(使徒の働き8:35)

イエスのことを彼に宣べ伝えた。

ピリピがどれだけの時間を使って、説明したかは書かれていませんが、使徒の働きを書いたルカがこの短い1節にそれを収めたのには意味があります。

つまり、ピリピは、シンプルに、「イエスのことを彼に宣べ伝えた。」ということです。

私たちは、イエスさまが誰であって、何をして、今何をしているかをシンプルに語ればいいんです。

それは牧師でなくてもできます。

イエス様を知っている人は、誰でもできるのです。

すると結果どうなりますか?

36節からのように、自然と洗礼に導かれるのです。

オリュン日本語礼拝でも去年4人の方が4週間のシンプルな聖書勉強を通して洗礼に導かれました(当時)。

なぜ、彼らは救われたんですか?導いた私に特別な能力があったからですか?いいえ、福音そのものに力があるからです。

聖書のみ言葉は生きていて、イエスさまの霊が働かれているからです。

最後に、私たちが忘れてはいけないことがあります。

それは、ピリピの宣教にはダイナミックな聖霊の働きがあったことです。

聖霊が導き、聖霊が彼を連れ去った。

私たちの宣教も同じです。

聖書を教えることは大切です。しかし、聖霊様が働かれなければ誰も聖書を理解できません。

聖霊様に導かれ、救い主イエス・キリストに人格的に出会わなければ、誰も神の身元に行くことをできません。

聖霊と御言葉、この二つが車の両輪のよう噛みあった時、人は救われていくのです。

まとめ

三つのことをもう一度見てみましょう。

①人々は福音を知らない

②誰もが福音を求めている

③福音そのものに力がある

もう一度、シンプルに、福音を伝えることに立ち返りましょう。

私たちには人を救う力はありません。しかし、主にはあるのです。

福音の力に信頼しましょう。聖霊様の導きに信頼しましょう。

恐れないでください。

できない自分を見ないでください。

イエス様を見てください。

私たちに力はないのです。イエスさまの十字架の御業、その福音に力があるのです。

弱い自分を見ないでください。

あなたの周りの人々を見てください。

あなたが伝えなければ、彼らはいつどうやって福音を聞くことができるのでしょうか。

私たちがするべきこと。

それはピリピのように、聖霊様の導きに従い、福音が必要な人に福音を伝えることです。

みなさん、もう一度、イエスさまの福音を握りしめ、聖霊の力によって立ち上がりましょう。

ここにおられる方々が、ますます、聖霊に満たされ救われるべき多くの日本の魂に福音を伝える証人になるよう、イエス様の御名によって祝福いたします。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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