死って何?「死の恐怖に打ち勝つ方法

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はじめに

今日は、どんな人にでも必ずやってくることが決まっている「死」について聖書がどのように語っているのかを見ていきましょう。

「死」は多くの人にとって恐れであり、できれば直視したくないものですよね。人生はむなしいという思いさえももたらします。
直視するのが嫌なものといえば、子供の時の私にとっては暗い場所がそうでした。自宅の部屋から廊下に出る時でさえ、廊下の電気がついていない時は、手探りでスイッチを探しあてるまでは決して目を開けませんでした。私達の人生は「死」を直視せずに、目を閉じたまま手探りで恐る恐る進んでいるようなものです。

この記事を読めば、聖書が死について何を言っているかを知ることができます。それにより、死の恐怖から解放され、人生を自信をもって歩むことが出来るようになります。

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聖書は死について何と言っているのか?

一言でいうと、 「死」は神様との関係の断絶の現れであり、恐れ、不安をもたらしますが、キリストを信じることにより死の恐れから解放されます。 

人が人として生きるということ

死は生に対して生命が失われることを意味するので、死を語る前に生について記します。生とは①存在する、②人生を繁栄させる、③生命を回復する、等の意味があります。
聖書の創世記2:7に人の生命の起源と、他の動植物との違いが記されています。

神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。

聖書(創世記2:7)

ここで記されているのは、人は神によって物質的に造られたばかりでなく、神の息が吹き込まれたことによってようやく、”生きる”ようになったということです。人の生命というのは物質的な側面だけではなく、非常に霊的なものであって、神様とその人との関係に深く関わっています。

死は罪の結果として人類に入った

こうして、神によって生きる者となった人でしたが、神がしてはならないということを行った為に、神が言われたとおりに肉体の死が訪れるようになり、しかも神様との親しい関係の場であったエデンの園からも出なくてはならなくなりました。
このことを聖書はこう記します。

こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──

聖書(ローマ5:12)

ひとりの人とは最初の人アダムです。アダムが神がしてはならないということを行った時、罪と死がセット(一対)になってアダムを覆っただけではなく、この世界全体、全人類に侵入してきました。
神と共に歩むことを止めることは、エデンの園から出たアダムだけにとどまらず、創り主である神に背を向けて自分勝手に生きている私たちもまたそうです。この私たちは罪に覆われ、結果として死の恐れにさいなまれるものとなっているのです。

人は死ぬとどうなるのか?

3つの死があります。肉体の死、霊的な死、そして、永遠の死。3つのことを詳しくはここではお話しはしませんが、聖書でこのように書かれている個所があります。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている・・・

聖書(ヘブル書9:27)

一部の方は肉体の死こそが究極の終わりであり、その後には何もないとおっしゃるかもしれません。しかし、臨死体験をした多くの人が死後の世界を垣間見ておられるのも事実です(オカルトではなく)。人は肉体を持っていると同時に、霊的な存在でもありますので、肉体の死だけで終わるのではなくその後があります。神に背を向けて、神から離れている者には肉体の死、霊的な死の後、さばきの座において不義と認められ、永遠のさばき、永遠の火へと送られるのです。

人は死の恐怖から解放されることはできるのか?

 できます。 

永遠の生命を得るためには何をすればよいでしょうかという問いにイエス様は「戒めをまもりなさい」「私に従ってきなさい」とお答えになられました。

16すると見よ、一人の人がイエスに近づいて来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」
17イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はおひとりです。いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」
18彼は「どの戒めですか」と言った。そこでイエスは答えられた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。
19父と母を敬え。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」
20この青年はイエスに言った。「私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか。」
21イエスは彼に言われた。「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」

聖書(マタイ19:16~21)

永遠の生命はイエスキリストにあります。イエスキリストが私達の罪の代価の身代わりとなり十字架に架かられたこと。そして罪から来る死に打ち勝って蘇られたこと、そして今も生きておられることを信じる人は、罪の赦しを頂くことが出来ます。そして壊れていた神様との関係が完全に回復され、罪から来る報酬である死から、永遠のいのちへの確信が与えられるのです。

まとめ

聖書は死について何と言っているのか?

 「死」は神様との関係の断絶の現れであり、恐れ、不安をもたらしますが、キリストを信じることにより死の恐れから解放されます。 

1.人は神との関係を持つ霊的な存在である。
2.人は罪により一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが決まっています。
3.死とその恐怖を打ち破られたイエス・キリストを信じ従う者には、イエス・キリストと共に生きる特権が与えられます。

参考:聖書辞典(いのちのことば社)
   キリスト教教理入門(いのちのことば社)
   新聖書註解新約3(いのちのことば社)

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