自己否定の2つのかたち①反抗「なぜ、サウルはダビデを殺したかったのか?」(1サムエル 18:7-8)

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あなたの周りに、「この人って怒るタイミングわかんないんだよなあ」とか「いつもイライラしてるから気使うんだよなあ」という人いませんか?
逆に「私はダメなやつだ」「なんでいつもこうなんだろう」といつも否定的にぐちぐち言っている人いませんか?

両方のタイプの残念な結末は、「一緒にいると疲れるので人が離れていく」ということです。

実は、両方とも「自分ってダメだなあ」という自己否定が原因です。

ありのままの自分を認めずに、否定ばかりしている人は、周りの人も自分を否定していると錯覚する傾向があります。
そして、冒頭の2つの反応に分かれるのです。

「俺はダメじゃない。これ以上、俺を否定するな!」と反抗するタイプ。
「どうせ私は何もできないんだ。価値なんてないんだ」と悲観するタイプ。

通常は、どちらかの性質が強いが、両方を併せ持つハイブリッドタイプが多いようです。

 聖書に出てくる「反抗タイプ」はサウルです。 

7  女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」
8  サウルは、このことばを聞いて激しく怒り、不機嫌になって言った。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あれにないのは王位だけだ。」

聖書(1サムエル 18:7-8)

この怒りの引き金は、イスラエルの民がサウルよりもダビデを評価する歌でした。
サウルは、ダビデの存在のせいで自分が否定されていると感じたのです。

しかし、この歌もダビデもただの引き金にすぎず、元々彼は自分に自信がなく自己否定をしている傾向があったことが聖書を読めばわかります。

サウルが王として選ばれる時、彼は隠れました。

7  女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」
人々はさらに、主に「あの人はもう、ここに来ているのですか」と尋ねた。主は「見よ、彼は荷物の間に隠れている」と言われた。

聖書(1サムエル  10:22)

人の目を恐れて隠れることは謙遜なのでしょうか?
神が「あなたを王として選んだ」と言われれば、そのことをすんなり受け入れ、喜んんで王として民に仕えることもまた謙遜な姿なのです。

サウルに必要だったのは、弱さを持ったありのままの自分を神の前で受け入れることです。
彼は多くの失敗をしますが、その都度、ダビデのようにすぐに神に謝り、再スタートを切ればよかったのです。

私たちに怒りや不機嫌になる癖があるなら、自分を否定していないか確かめてみましょう。

今日の祈り 今日の祈り
神様、あなたが愛しておられ、選ばれたありのままの自分を認めます。あらゆる不必要な自己否定を消し去ってください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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