教会の2つの目的①「なぜ、この教会は存在するのか?」聖書(マタイ22:35-40)

20210613
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35 そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
36 「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
38 これが、重要な第一の戒めです。
39 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
40 この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

聖書(マタイ22:35-40)

はじめに

アメリカで面白いアンケート調査がありました。

教会コンサルタントのウィン・アーンが、「なぜ、この教会は存在するのか?」と言う調査をしたのです。

みなさんも、考えてみてください。

「なぜ、札幌ガーデンチャーチは存在するのか?」

調査結果によると、教会員の89%が「教会は自分の家族と自分の必要を満たすために存在する」と答えました。
多くの人にとって牧師の役割とは、すでに「囲い」の中にいる羊の幸福を守り、脱落者をできるだけ少なくすることでした。

「教会の目的はこの世をイエス・キリストに導くことだ」と答えたのは11パーセントだけでした。

同じ教会の牧師に同じ質問をしたところ、驚くべきことが起こりました。
なんと結果は正反対になったのです。

つまり、調査の対象となった牧師90%は、「教会の目的はこの世をイエス・キリストに導くことだ」と答え、10%が教会員の必要に応えることと答えたのです。

みなさんは、どっちの答えが正しいと思いますか?

ある意味、両方間違ってはいません。
しかし、これには順番があります。

まず、第一に、私たち人間の心の必要が満たされる必要があります。

福音の本質は、神に愛されることです。つまり、恵みによる救いです。

神に愛されていることが体験できていないならば、神を愛する愛も湧いてきません。

次に、愛されたものは、他の人を愛するようになっていきます。

コップに水が注がれて、自分の喉を潤すことができます。
コップに水が溢れて、他人に飲ませることができます。

どちらにせよ、神の愛が心に注がれていても、溢れていない人は、「教会は自分の家族と自分の必要を満たすために存在する」と答えがちなのです

今まで、SGCのメッセージシリーズ「教会とは何か?」を見てきた人は気付きませんか?

「教会は自分の家族と自分の必要を満たすために存在する」このフレーズの間違いを。

これは、教会が自分と離れた対象になっているのです。

聖書は、あなたが教会だと言っているのです。

なので、私を満たすのは、教会のかしらであるキリストであって、教会のからだである私は、他の人の必要を満たすために動いていくのです。

みなさんは救われていますね?
なら、みなさんは、教会です。

もはや、教会に満たされないといけない存在ではなく、他人を満たしていく目的を持った教会です。

教会が存在する意味

では、教会の存在目的を聖書は何と言っているのでしょうか?

教会の存在目的は、次の二つの聖句に要約されます。

  • ①神を愛し、隣人を愛するため 聖書(マタイ22:37-39)
  • ②神の国の拡大のため 聖書(マタイ28:19-20)

ほとんど全ての教会が、この二つの聖句を掲げています。
ウェブサイトに載っているのも、この二つがほとんどです。

今日は、①神を愛し、隣人を愛するため

これについて、見ていきます。

イエス様を試みるために、パリサイ人は質問をします。

35 そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
36 「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」

聖書(マタイ22:35-36)

イエス様はこう答えました。

37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
38 これが、重要な第一の戒めです。

聖書(マタイ22:37-38)

これは、旧約聖書の申命記6:5に書いています。

あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

聖書(申命記6:5)

この申命記6:5は、ユダヤ人が毎日暗唱していたみことばでした。
もちろん、現代でも同じです。

2000年以上も、世界中に散らばったユダヤ人たちが、毎日暗唱し、神の大事な教えとして守り抜いてきた習慣です。
4節の冒頭の「聞きなさい」のヘブライ語「シェマー」から、この箇所自体「シェマーの祈り」と言われています。

「心」(カルディア) 、「いのち」(プシュケ-)、「知力」(ディアノイア)は、区分されて重ならない人間の3つの部分を指すのではありません。
これは、人間の人格を包括的に表し、神を全人格的に愛すべきことを強調しています。

つまり、あなたの全人格で、精一杯、神を愛せよということです。

教会である私たちの目的は、神を愛することです。
だから、教会で最も大切なのは、神の愛に応えて、神に礼拝することです。

隣人を愛しなさい

39 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。

2番目の戒めは、

これは、レビ記19:18に出てきます。

あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。

聖書(レビ記19:18)

教会である私たちの目的は、隣人を愛することです。
もちろん、同じからだである教会の人々も隣人だし、教会外の人も隣人です。

だから、教会の活動は、キリストの愛を周りに証しすることが中心になります。

言い換えれば、神の愛の福音によって、周りの人の関係を修復していくことです。

イエス様は、最後にこのよう言いいました。

40 この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

聖書(マタイ22:40)

律法と預言者とは、律法と預言書のこと。
つまり、旧約聖書のことです。

イエス様は、旧約聖書の教えを要約すると、「神と隣人を愛すること」だと断言されたのです。

これを新約聖書でイエス様が言っているので、私たちも誰かに「聖書の教えの中で一番大切なのはなんなの?」と質問されたらこう答えていいということです。

「神と隣人を愛すること」

つまり、聖書は愛の関係を一番大切にしています。

聖書だけではなく、私たちの日常生活において、人生に置いて、「人間関係」が最も大事です。

そこに愛があるととても幸せに感じます。

「誰かと良い関係を築いているとき」「愛する家族と過ごす時」「誰かを好きになったとき」「誰かの役にたっているとき」

一方、そこに愛がなければ、私たちは不幸を感じます。

「誰かとの関係が壊れているとき」「失恋、離婚など、愛する人と別れた時」「誰かにバカにされ、嫌われ、いじめられたとき」「誰の役にもたっていないと感じる時」
「一人ぼっちだと感じている時」

心理学者のアドラーは、私たちの日常の悩みの90%は人間関係からくると言いました。

だから、人間をそのように造った神が書いた聖書にも「愛の関係」が大事だよと書いているのです

「神を愛し、隣人を愛する」これを追い求めなさい。
これは、命令だよ。

あなたが幸せになるためだ、と。

しかし、順序があります。

それは、まず神を愛すること。それが先だということです。

神との愛の関係がなければ、他の人と愛の関係を築くことは不可能です。

断言します。

他の人と愛の関係を築くことは不可能です。

なぜでしょうか?

私たちはお互いに罪を持っている不完全な存在だからです。

みなさんがそれを経験しているはずです。

信じれば、裏切られる。
近づけば、離れられる。

期待に応えられず、悲しませてしまった。
誰かを傷つけてしまった。

家族でも、喧嘩がないわけではありません。
親子や兄弟で揉めて、殺し合うこともあります。

親しい関係こそ、難しさを感じることもあるのです。

愛していたからこそ、裏切られた時に、大きく傷つき、それが憎しみに変わるのです。

だから、誰もが、適切な距離を身につけます。

だから、「親しき中にも礼儀あり」という諺が生まれました。

ハリネズミのジレンマ

「ハリネズミのジレンマ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

針に身を包むハリネズミ同士が体を寄せ合えば、お互いの針で相手を傷つけてしまうことになります。

このことから、人間関係においても、相手に近づきたいけど、傷つけてしまう・傷つけられる可能性があるから近づけないという悩みが生じたり、
相手を傷つけない適度な距離感が大切であることなどをたとえた表現が、「ハリネズミのジレンマ」です。

この針こそが、罪なのです。

だから、愛し合いたいけど、愛しきれないジレンマを抱えて悩むのです。

では、この罪はどう処理すればいいのでしょうか?

ここで、つながるわけです。
だから、イエス様がこの地上にこられ、私たち全人類の罪を背負われて、十字架にかかり罪を処罰されたのだと。

特別な人だけの罪を赦したのではなく、全人類です。

なぜ?

私たちは、クリスチャンであろうと、なかろうと、関係の中で生きているので、全員の罪が処理される必要があったのです。

キリストが復活によって、罪の力を打ち破ったように、私たちもキリストの復活を信じる信仰と、聖霊の力によって、罪の力を打ち破り、お互いに愛し合うことが可能になっていくのです。

まず、十字架の縦。神との関係の回復が起こります。
聖書は関係の回復をを和解と言います。

14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。

聖書(エペソ2:14-16)

次に横の関係が回復します。

17 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
18 このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。

聖書(エペソ2:17-19)

横の関係の回復。

それは、コミュニティーを築いていきます。

「あなたがた」つまり、私たち。
明らかに、3人以上です。

キリストによって変えられた私たちは、同じ神の国民であり、なんですか?

神の家族なのです。

これが、教会です。

事実、このエペソ書の次の箇所は、教会に話が広がっていきます。

20 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。
21 このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。
22 あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

聖書(エペソ2:20-22)

神を愛し、隣人を愛することは、私たち全ての人にとって大切な教えです。
しかし、これは同時に、教会の目的でもあるのです。

世の中の問題のほとんどが壊れた関係が原因です。

人々は、真の愛を求めています。
真の愛によって、壊れない本当の関係を。

それは神の愛です。
イエス・キリストの十字架の愛です。
その愛を経験しているのが、教会なのです。

私たちは、この愛を持って、私たちの周りの関係の回復を祈ります。
祈るだけではく、福音を伝えます。

福音によって現実の生活のあらゆる壊れた関係が回復するように、導き、教え、助けます。

これが、教会の目的です。

福音によって、関係を回復する役目を教会は持っているのです。

終わりに

教会の存在目的を聖書は何と言っているのでしょうか?

  • ①神を愛し、隣人を愛するため 聖書(マタイ22:37-39)
  • ②神の国の拡大のため 聖書(マタイ28:19-20)

今日は、①神を愛し、隣人を愛するためを見てきました。

まず、神を愛すること。それによって、神との関係が回復し、神の愛によって、人々を愛せるようになります。

教会に愛してもらう存在ではなく、人々を愛していく教会として、進んでいきましょう。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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