なぜ、成功を神のために用いるのか?成功を目指すなら絶対に覚えておくこと「神の呪いは私たちの成功を阻む」

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はじめに

世の中の価値観として、成功はゴールだと言う考え方が一般的です。

大金持ちになって、海外で暮らす。
ビジネスを成功させて、有名になる。
自分のなりたいことを実現させる。

これらのことを果たした時、その人は成功したと感じるのです。

しかし、その先には何が待っているのでしょうか?
おそらく、その人は、次の成功に向かって走り出すのでしょう。

皆さんの目指す成功はどのような姿でしょうか?
それを達成した後のことをあなたは考えていますか?

前回の記事では、成功とは「神の計画を成し遂げるための手段」だと言うことを聖書から学びました。

つまり、成功はゴールではなく、成功した後に何をするのかにより大きな意味を持っていると言うことなのです。

では、なぜ、成功を神のために用いらなければならないのでしょうか?
なぜ、それが、大事なのでしょうか?

今日の記事を読めば「成功を神のために用いる理由」を聖書から知ることができます。

この記事は2020年に出版した「仕事と聖書」という本の内容が元になっています。
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「なぜ、成功を神のために用いるのか?」

今日はその3つの理由の一番目です。
 それは、「成功は、神が目的を持って与えるものだから」です。 

神の目的を果たすために成功があると言うことです。
成功は、あなたのためではないのです。

ん?どう言うことだろうと思いますか?

まず大前提として、成功は、神が与えるものだと言うことを覚えなければいけません。

私たちが成功は「自分が手に入れた」と錯覚しがちです。
そうではありません。
多くの成功者が、「運」が良かったとも言うくらい、成功は簡単ではありません。

聖書は、運ではなく成功の裏にある「神」の影響を語っています。

ヨセフが成功したのは、彼が何か素晴らしい業績を残したからではありません。
エジプトの総理大臣になる前日まで彼は、囚人として牢獄にいました。

別にファラオのもとで働いていたわけではないですし、総理大臣からはもっとも遠い場所にいました。
しかし、彼は一夜で総理大臣になったのです。

いやいや、ヨセフには夢を解き明かす能力があり、彼が悩んでいたファラオの夢を解き明かしたから、彼は成功したんだという人がいるかもしれません。
しかし、その解き明かしこそ、神様の超自然的なちからによって成されたものです。

つまり、彼の成功は、彼の能力や業績とは直接関係ないのです。
会社でも、能力がずば抜けている人が必ずしも、出世するわけではありません。
能力や業績以外にも様々な要因が複雑に絡み、出世できるかが決まるのです。

主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。

聖書(創世記39・2-3)

監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。

聖書(創世記39・23)

なぜ、成功は神が与えたと言い切れるのでしょうか?
それは、私たちの人生で起こる全てのことは神の許しの中で起こっているからです。
神の許しとは神の摂理と言い換えることもできます。

成功するために、私たちは幾分か努力をします。
だからといって、成功は俺が手に入れだんだという態度は間違っています。

なぜなら、私たちの成功は「何が起こるか分からない人生」の中で起こっていることであるからです。
私たちは、事実、明日さえどうなるかわかりません。
今ある成功が、永遠に続くかどうかは保証されていないのです。

私たちの人生には思いもよらない大波や嵐が吹くことがあるのです。

聖書の中に出てくるヨブはあらゆる点で成功した人物でした。
しかし、一夜にして財産は盗まれ、子供たちは死にました。
その後、自分自身も重い皮膚病になり、兄弟や知人も去っていきました。

しかし、彼は、そんな状態でも自分に成功を与え、またとることもできる神様を認めました。

そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

聖書(ヨブ1・21)

成功も失敗も、主の主権の中に起こることだ。と捉えるるなら、誘惑に打ち勝てるし、失敗しても立ち上がれるのです。

聖書の中で、神様が成功を与えたと言うことを直接的に書いている箇所があります。

神様は、イサクの結婚を成功させた。

しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。主人のところへ行けるように、私を帰らせてください」と言った。

聖書(創世記24・56)

神様は、ユダのヒゼキヤ王の軍事を成功させた。

主は彼とともにおられた。彼はどこへ出て行っても成功を収めた。彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかった。

聖書(2列王記18・7)

神様は、ネヘミヤの城壁再建プロジェクトを成功させた。

私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたには、エルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」

聖書(ネヘミヤ2・20)

これらの成功は、全て神様のご計画の成就のために用いられました。
イサクの結婚によって、ヤコブ、つまりイスラエルが生まれました。
ヒゼキヤの信仰による劇的な勝利は、イスラエルの民や聖書を読む現代の私たちを励ましました。
ネヘミヤの城壁再建は、イスラエルの民の社会生活と経済生活を確立させました。

神様が与える成功は、神様の目的があるということです。
彼らは物事の成功の背後に神様がおられることを知っており、それを告白していました。
これが、成功に対する正しい態度です。

逆に、神様が関与しない成功は虚しいのです。

主が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ守る者の見張りはむなしい。

聖書(詩篇127・1)

成功は神様の祝福と言い換えるならば、神様の呪いは私たちを成功に導きません。

あなたは目の見えない人が暗闇で手さぐりするように、真昼に手さぐりするようになる。あなたは何をしても成功せず、いつも虐げられ、略奪されるだけである。あなたを救う者はいない。

聖書(申命記28・29)

そして、神様と神様を愛するものに敵対するものは成功しません。
しかし、主は私とともにいて、荒々しい勇士のようです。ですから、私を迫害する者たちはつまずき、勝つことができません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、忘れられることのない永久の恥となります。

聖書(エレミヤ 20・11)

私たちには、神様の大きな計画を全て理解することはできません。
しかし、自分の成功が神様の偉大な計画のために用いられるということを知っているかは重要です。

成功は「自分が手に入れるもの」ではなく、「神様が目的を持って与えるもの」なのです。

聖書の中で、成功とは神様が事を成し遂げると言うことを直接的に書いている箇所があります。

わたしが、このわたしが語り、彼を呼んだのだ。わたしは彼を来させ、彼の行うことを成功させる。

聖書(イザヤ48・15)

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。

聖書(イザヤ55・11)

神様が語ったことば。
それが、事を成し遂げるのです。

神様は、私たちにみことばを語られます。
ある人は夢や幻、声を聞いたり、思いが与えられたりします。
全ての人には聖書を通して神様のご計画がすでに語られています。

一つは、この世における神の国の実現です。
神の支配ということです。

ヨセフの成功も、働きも、全てが飢饉からのイスラエルの救いを通し、キリストの誕生、再臨、そして神の国の完成へと向かっているのです。

それは、言い換えれば、神の国と神の義。
だからこそ、イエス様は、私たちにこのように言われたのです。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

聖書(マタイ6・33)

神の国と神の義がまず先です。
そして、ゴールです。

私たちの成功は、神の国の実現においては小さなものに過ぎません。
しかし、私たちの成功を神様は、大きく用いることができるのです。

またイエスは言われた。「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。
それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、
蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」

聖書(マルコ4・30-32)

まとめ

なぜ、成功を神のために用いるのか?

成功は、神が目的を持って与えるものだからです。

次回は、「なぜ、成功を神のために用いるのか?」2番目の理由ついて聖書から説明します。
乞うご期待!

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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