アンガーマネジメント⑩怒りの方向「怒りを相手に向ける人、自分に向ける人」(イザヤ53:5)

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怒った時に、その怒りの感情をどこに向けるかで2通りのタイプに分かれます。

怒りを相手に向ける人。
怒りを自分に向ける人。

ちょっと、考えて見てください。
みなさんは、怒りをどちらに向けがちですか?

 聖書は、怒りは十字架に向けなさいと言っています。 

しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。

聖書(イザヤ53:5

ここでの「彼」とは、イエス・キリストです。
本来は、この神の怒りを受けるのは、罪を持った私たちでした。
しかし、イエス様は、罪がないのに、十字架で神の怒りを受けて裁かれたのです。

驚くべきことは、イエス様が受けた怒りには、私たちの怒りも含まれています。
私たちが誰かに怒ってしてしまった暴言や暴力を、イエス様は代わりに受けられました。

自分自身に怒りを向けている人は、自分自身に対して攻撃的に「ばか!」「役立たず!」「死ねばいい!」「最悪だ!」と言ってしまうことがあります。
自分で自分を殴りたくなることもあるでしょう。
壁に頭をたたきつけたくなったり、怪我をするとわかっているのにガラスにパンチしたり、リストカットなどによって、実際に自分を傷つけることもあります。

やけ酒や、乱暴な運転、自暴自棄な生活なども、自分自身への怒りと攻撃の表れです。

私たちが誰かに怒り、負わせてしまった傷。
私たちが自分に怒り、追ってしまった傷。

どちらも、正しい行動ではありません。
自分を含め誰かを傷つけたことに対し、言い訳や正当化はできません。

しかし、イエス様はその行き場のない怒りを十字架で背負われることを決められたのです。

それは、私たちが、怒りの本質である満たされない心が十字架の力で満たされるためです。

「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし」とある通りです。

それは、私たちが、怒りの本質である傷ついた心が十字架の愛で癒されるためです。

「その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた」とある通りです。

怒りを人に向かわせて、人を赦さないで裁く人。
怒りを自分に向かわせて、自分を赦さず裁く人。

みなさんがどっちであっても、その裁きは十字架でイエス様が背負われました。
代わりに裁かれたのです。

だから、もう裁くのはやめましょう。
怒りの拳を、十字架の前に持っていきましょう。

今日の祈り 今日の祈り
神様、行き場のない怒りが湧き上がった時、どこかにぶつけてしまいます。でも、これからは十字架に持っていきます。癒してください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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