【人生の危機の乗り越え方④】ただ神を信じる(ヘブル11:6)

crisis4
この記事は約3分で読めます。

神が私の状況を知っており、私を心配してくださり、私と私の状況を変えることができることはわかった。
じゃあ、どうすればいいのか?

 聖書は、ただ神を信じなさい。それでOKと言っています。 

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。

聖書(ヘブル11:6

神に「近づく者」の近くと言うギリシャ語は、現在時制が使われています。 
つまり、継続的に神の近くに行けということです。 

私たちの人生には、毎日はトラブルがあります。 
だからこそ、毎日、継続的に、神がおられることと、神が報いてくださる方であられることを、 信じるのです。 

いや、もっと強い言葉です。 
「信じなければならないのです。」 

エジプトの考古学者たちが3000年前の古墳を発掘していた時のことです。 
発見したミイラのわきに1つの小さな瓶がありました。 
ところが、運搬してしていた人が、うっかりその瓶を割ってしまいました。 
瓶が割れてしまいましたが、その中にはいくつかのエンドウ豆がありました。 

殻はひからびていて、石のように固くなっていました。 
なぜ古代エジプト人たちは瓶の中ににエンドウ豆を人れてともに葬ったのでしょうか? 
おそらく来世への望みのためでしょう。 

その豆を蒔いたところ、驚いたことに30日後に青い芽が出てきました。 
3000年間沈黙を守ってきたいのちが、眠りから覚めたのです。 

第2次世界大戦が終わった後、ケルンにある地下の壁から次のような文章が発見されました。 
「私は太陽が光を放たないときも太陽があることを信じ、愛が感じられなくても愛を信じ、私の人生の中で神が沈黙しておられるように感じても、私はその神を信じる」 
いつか、戦争が終わって故郷に帰れる日を待ち望んでいた戦争捕虜が記したものです。 

私たちの状況がどんなに悲惨でも、神様が沈黙されているように見放されていると思っても、 
全く、変化する希望が見えなくても、芽を出したエンドウ豆のように 
みなさん、2000年前の十字架のみわざには力があるのです。 

なぜなら、イエス様の十字架は、死を打ち破ったからです。 
死んでいても、生きる。 
どんな絶望も、希望に変わるのです。

今日の祈り 今日の祈り
神様が私の人生の危機を解決してくださることをただ信じます。 イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

【参考文献】回復への道 (リック ウォレン)2005/9/1

回復への道 (セレブレイト・リカバリー・シリーズ—山上の説教の8原則に基づく回復プログラム)
聖書理解に役立つ3大特典を無料でプレゼント中!↓
友だち追加
この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

ゆうき牧師をフォローする
3分メッセージ
ゆうき牧師をフォローする
タイトルとURLをコピーしました