【人生を変える聖書のメッセージ#特別編】本当の必要「人は自分のニーズ気づいていない」使徒3:1-8

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はじめに

私が銀行にいた時の主な仕事は、一人であらゆる商品をお客様に提案する営業でした。
預金、金融商品、不動産、保険、遺言、節税対策なんでも一人で窓口になって、その手数料を利益にするのです。

そこで、一番大切にしていたことは、ニーズ喚起です。
ニーズ換気とは難しい言葉に聞こえますが、簡単です。
お客様が本当に必要なものを、引き出しすことです。

売れない営業マンには特徴があって、自分が提案したい商品をとにかく進めるタイプです。
それを押し売りと言います。

しかし、本来は、お客様の必要を、プロの視点で一緒に考えてるニーズ喚起に90%の時間をかけるべきなのです。

ちゃんとお客様の必要を聞き出せれば、商品を提案する段階で断られることはほぼありません。
むしろ、お客様の方から、「ありがとうね」と感謝されることが多かったことを覚えています。

なぜか、ゆうき牧師の営業講座みたいになってしまって申し訳ありませんが、私が言いたいのはこれです。

人は、自分のニーズ、必要に気づいていないことが多いということです。

先ほど、読んでいただいた聖書の箇所に出てきた、足の不自由な人も同じでした。
彼は、自分の本当の必要を知らずに、毎日、宮で施しを求める生活を過ごしていたのです。

聖書は、「私たちの本当の必要は何なのか?」という問いへの答えをもっています。
なぜならば、この聖書は、私たち人間をお造りになられた、神が書かれたからです。

今日は、私たちの「本当の必要」は何なのか?ということを共に聖書から聞いて参りたいと思います。

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生まれつき足の不自由な人の話

1-2節を共に読んでみましょう。

1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
2 すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。

聖書(使徒3:1-2)

イエス様の弟子であるペテロとヨハネは、毎日祈るために主の宮に行きましたが、そこに生まれつき足の不自由な男性がいました。

律法によると、彼は汚れた状態にある人で、共同体の中心部には入れない哀れな人でした。
そして、宮には多くの人々が毎日やってくるために、その男性は、宮の門にいて、通り過ぎる人がお金をくれるのを待っていたのです。
自分では働けないからです。
しかも、2節にあるように毎日です。

そこに、ペテロとヨハネが通り過ぎたので、この男性は施しを求めました。

彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。

聖書(使徒3:3)

ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。

聖書(使徒3:4)

男性は、期待しました。なぜですか?
お金がもらえると思ったからです。

男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。

聖書(使徒3:5)

しかし、こう言うわけです。

すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、

聖書(使徒3:6)

彼はとても失望したことでしょう。
落ち込んだでしょう。言葉も出なかったでしょう。はっ?

イエス・キリストの御名による癒し

しかし、ペテロとヨハネがそのように言って、右手で手を引っ張り上げると彼はどうなりましたか?

7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。

聖書(使徒3:8-8)

この箇所は、とても重要です。

なぜなら、この箇所を信じることは、私たちの信仰が、お話の世界か現実の世界で起こることがどちらかであるかを示すからです。
聖書は、単なるお話の世界。空想、たとえ話であって、勇気や励ましはくれるけど、現実に起こるかと言われれば、自信がない。と思っている人は少なくないかもしれません。

しかし!イエス・キリストの御名は、足の不自由な人を実際に癒す力があるのです!
アーメンでしょうか?

足の癒しよりもっとすごいこと

しかし、みなさん!足を癒すことよりも、もっとすごいことがここで起こっていることに注目しなければいけません。

それは、彼が生ける神イエス・キリストに出会ったということです。

8節をもう一度読みます。

おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。

聖書(使徒3:8)

この8節を聖書に詳しいユダヤ人が見たら、一発で何を言いたいかがわかるでしょう。これは、メシア預言です。つまり救い主なる神がこの世に来られるという預言です。

5 そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。
6 そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。

聖書(イザヤ35:5-6)

メシア、救い主が来たら、次のことが起こるという預言です。
つまり、イエス様が、盲人の目を開き、人々を癒されたのは、メシア・救い主がこの地上に来られた!というしるしなのです。

彼は誰の御名によって歩くことができるようになったのですか?
イエス・キリストです。

彼は癒された後、なぜ、宮に入っていったのですか?
イエス・キリストを褒めたたるためです。

「そうか!このお方がメシア・救い主だったんだ!」
実際に、身体を癒し、魂をよみがえさせ、心を喜びで満たしてくださるお方。

そうです。この男性は、神であられるイエス・キリストに出会ったのです。
生きて働かれる神に出会ったという感動、魂の満たし、これこそが人間にとって、人生でもっとも必要なことなのです。

必要の3つの段階

実は、この男性の必要には三つの段階がありました。
一つ目は、お金が欲しいという必要です。何かが手にはいれば。
二つ目は、足が癒され歩けるようになるという必要。問題が解決されたら。
三つ目は、救い主イエス・キリストに出会うという必要。

一番目に、多くの人々は、お金があれば幸せになれると思います。
しかし、お金で満たせないものがあることは明らかです。

イギリスの世界的ロックバンドクイーンのボーカル。フレディ・マーキュリーはこう言いました。
「すべてを手に入れても、いまだ孤独のどん底にいることがどれほど辛いか想像できるかい?」
この足の不自由な男性はこの必要にしか気づいていませんでした。

二番目の段階は、いやいやお金ではない。でも、問題が解決すれば私たちは幸せになるだろうという考えです。
今、自分が抱えてる「この病気」が癒されたら、私は幸せになる。
今、家族の中にある「この問題」が解決できたら、幸せになる。

また、この資格を取れば、あの学校にはいったら、あの会社に入ったら、私は幸せになる。
と皆さん思ってはいないでしょうか?
本当にそうでしょうか?みなさん。

いいえ、私はそうではないと思います。

良い学校に入っても、良い会社に入っても、次は、安定した生活基盤が欲しい。
良い結婚相手が見つかった。すると次は、子供に良い教育をさせたい。そのためにはお金がもっと必要。
ある友達との関係が良くなっても、家族の関係、会社の人間関係、ご近所さんとの関係。
私たちのニーズが完全に満たされることはないのです。

決して埋められない虚しさ

大学卒業後、私が入社した銀行には多くの野心や希望を持った若者たちが集っていました。
おお、この人東大なんだ。慶応ボーイだ。キラキラしてるな。ボストン採用ってなんだ。

丸の内に30階建の本社ビルがあって、僕もあの時は気分がよかったですね。

しかし、研修も終わり、間も無く支店に配属されて行きます。
そこで、現実を見るのです。
「え、全然華やかじゃないじゃん」「こんなはずではなかったのに…」
先輩から、「これが社会というもんだよ」と諭されながら、年々、妥協し、三年もするといわゆる企業戦士になっいきます。

そんな新入社員にも、後輩ができ、かつての先輩と同じようなことを言います。
「これが社会というものだよ。若造君。」

私が、「牧師になるから銀行辞めます」と言った時、多くの人から意外な反応がありました。
「そんなに人生をかけて打ち込めるものがあって、飯田君が羨ましい」
その時、私は肌を持って実感しました。
多くの人は良い会社に入っても、決して埋められない虚しさを持っているんだと。

有名な数学者パスカルは言いました。
「人間の心の中には神によってしか埋められない空間がある。」

私たちの本当の必要はなんでしょうか?
それが、三つ目の段階。
今も生きておられる神イエス・キリストに出会うという必要です。

天地万物を創造され、私たち全人類のすべての罪を背負われ、十字架に付けれられ、墓に葬られ、三日後に蘇られ、今も生きておられる生ける神、救い主イエス・キリストに出会う必要です。

まとめ

イエスさまは、私たちの魂の渇きを満たされるお方、私たちの深い悲しみを賛美に変えられるお方、私たちの救い主です。
 
聖書はイエスさまについてこう語っています。

神である主の霊が、わたしの上にある。【主】はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、

聖書(イザヤ61:1 )

【主】の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、

聖書(イザヤ 61:2)

イエス様は、死んでしまった過去の人物でも、口もきけない像や絵でもありません。
今も生きておられ、この場所に確かにおられ、私の、あなたの人生に介入されるお方です。

もし、あなたが今、人生で困難を感じているなら。
魂に渇きを感じるなら。虚しさや問題を抱えておられるなら。

私たちの本当の必要を知り、その必要を埋めることのできるお方、救い主イエス様に出会うチャンスではないでしょうか?

最後に、今日の箇所をもう一度お読みします。

6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、 歩きなさい」と言って、
7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。

聖書(使徒3:6-7)
この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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