【人生を変える聖書のメッセージ#55】一致とは何か?「日韓中は、正しい歴史認識や話し合いによって一致できるのか?」2歴代誌5:13-14

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はじめに

2017年に香港で行われた東アジアキリスト者大会に参加して、学んだことを一つ分かち合いたいと思います。
それは「一致」です。

私は、言葉も文化も違う、日本、韓国、中国の三国の一致を見て、体験しました。
その一致は、どこから来るのか?
今日は、「一致」というテーマで御言葉から見て行きたいと思います。

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まず、初めに、

①一致とは、神様の奇跡である。

23 その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。
24 その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真ん中で祝福を受ける。
25 万軍の【主】は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」

聖書(イザヤ19:23-25)

エジプトとアッシリヤは、歴史を通して見ると、イスラエルの大敵でした。
しかし、このイザヤの預言では、エジプトとアッシリヤが、イスラエルと一緒に唯一の創造者を礼拝する時が来ると言っているのです。
これは、「人間には、どう考えても、理解できない、想像できないこと。」だということです。

この箇所は、東アジアキリスト者大会が始まった2011年から中心となっている聖句です。
これは、人間的な、表面的な一致とは違います。

クリスチャンでなくても、日韓中の青年たちは友達になれるでしょう。親友になれるでしょう。
しかし、同じ神を礼拝することによってもたらされる、霊的な一致は、主の奇跡、御業なのです。

私が、韓国に三年間た時のことです。
CCCを通して多くの出会いもあり、何度も旅行もしたし、韓国人の美しい妻もできたし、韓国という国が好きだったんです。

韓国では、日本語礼拝で韓国の方を牧会する機会もありました。
韓国のために祈ってました。
韓国のクリスチャンをとても尊敬していました。

そして、教会でも、神学校でも日韓関係の和解のために、調べ、日韓のクリスチャンとディスカッションもたくさんしていました。

でも、ある時、神様が私に言いました。
あなたは日韓の和解のために色々と調べて論議してるけど、あなたは韓国を日本と同じように愛しているのか?
日本のように、あなた自身のように愛しているのか?
あなたは心から愛しているか?

その時、私の中にある愛がいかに小さいかを教えられました。
自分の中には、愛がないのです。

神さまの愛が必要だとわかりました。
頭では知っていました。しかし、頭で理解することと、体験して教えられることは違うものです。

日韓中が一致することは可能なのだろうか?

可能です。
しかし、それが起こるとしたら、まず私たちがイエスさまの愛に満たされ、神の愛にあって一つになることしかありません。
それは、奇跡の御業なのです。

②一致とは、神様の国である。

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

聖書(1ペテロ2:9 )

東アジアキリスト者大会で、3カ国の青年が集まる時、実は集まっているのは3カ国の青年だけではありませんでした。
留学、移民などにより複数の文化のアイデンティティを持っている人、脱北者、在日韓国人、中国朝鮮族、アメリカ人宣教師などの3カ国だけのアイデンティティだけでは説明できない多様な背景の参加者が共に集いました。

それぞれが、それぞれの文化、しかも複雑かつ、繊細な背景を持っていました。

台湾と日本人のハーフで、新宿シャローム教会で中国語礼拝の長老をしている方と同じグループになりました。
最後の日に、三ヶ国で別れて、それぞれの国で分かち合うフィードバックの時間がありました。

日本人の分かち合いの場所に、彼が来たので、軽い気持ちで「〜さんは中国の方じゃないんですか?」と言ってしまいました。
自分で発した言葉で「あっ、変なこと言ってしまった」と思ったんです。

彼は「私は、日本人の方に来たいんです。日本に住んでいた方がずっと長いんだから」と言いました。
彼は怒りませんでしたが、ほんの少しだけ変な空気になってしまいました。

やはり、それぞれが特有のアイデンティティを持っているので、気を遣わなければいけません。

それぞれが特有のアイデンティティを持っていますが、私たちには、全員が共通する、共有できる、確固たるアイデンティティがあります。
それは、神の子供というアイデンティティ。
神の国の国民というアイデンティティ。
選ばれた種族、 王である祭司、 聖なる国民、 神の所有とされた民というアイデンティティです。

聖書が言っている通り、私たちの国籍は天にあるからです。(参照:ピリピ3:20)

このアイデンティティは、もともとイスラエルに与えられましたが、イエスさまの十字架と復活によって、異邦人にも広がりました。
私たちは、信仰によって、イスラエルに接ぎ木され、選ばれた種族、 王である祭司、 聖なる国民、 神の所有とされた民というアイデンティティを持つものとされました。

それは、アダムとエバの時から、イスラエルを通して表されて来た、神の国のアイデンティティです。

東京から来ていた明石先生が早天礼拝でこの箇所からこのようにおっしゃっていました。
「一つの国のクリスチャンが集まって、一カ国語で賛美する状態が異常なのです。三カ国が集まって、それぞれの言語で礼拝するのが正常。」

そして、ある参加者はこのように分かち合っていました。
「三ヶ国だけで礼拝してもこんなに素晴らしいのなら、もっとたくさんの民族や国がそれぞれの言語で賛美したら、どれくらい素晴らしいのだろう!」

私は、福音館で、いよいよインターナショナル礼拝が始まる時が来ていると思いました。
英語だけではなく、韓国人、中国人、様々な文化・言語を持つ人たちが集まって礼拝する。
ワクワクします。

③一致とは、神様の臨在である

13 ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、【主】を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と【主】に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち【主】の宮は雲で満ちた。 
14 祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。【主】の栄光が神の宮に満ちたからである。

聖書(2歴代誌5:13-14)

ソロモン王の時、イスラエルに神殿が完成しました。いわゆる第一神殿です。
そして、この箇所には、主の神殿に、主の栄光が満ちたとあります。
雲は、主の栄光の象徴であり、ユダヤ人はシャキーナ・グローリー、主の臨在と言います。

ここで、驚くべきことは、栄光に満ちた主の臨在が現れたのは、民が一致して賛美をささげたときとあります。

ラッパを吹き鳴らす者、 歌うたいたちが、 まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、【主】を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と【主】に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち【主】の宮は雲で満ちた。

聖書(2歴代誌5:13)

東アジアキリスト者大会の最初の開式礼拝の時から、三ヶ国語で賛美をしました。
まだ、参加者は固く、緊張しており、空気はちょっと重かったのを覚えています。
でも、私は、涙をこらえるのに必死でした。

なぜなら、神様の濃い、豊かな臨在に押しつぶされそうになったからです。
三ヶ国のキリスト者がイエスの御名によって集まり、共に創造主に捧げる賛美の麗しさ。
主の臨在は、雰囲気や感情によるものではありません。
空気が重いと感じていても、賛美が盛り上がっていなくても、私の魂は臨在を感じて涙が溢れて来たのです。

プログラムは礼拝漬けで、だいたい夜は各国のために祈ってから、部屋に戻れるのが夜の11時くらい。朝は7時に早天礼拝があります。
私も、夜は部屋で参加者と交わったりして、寝るのが夜中の1時を過ぎていました。
「ああ、明日の朝は体力的にちょっと、遅れて行くかな。休んじゃおうかな」と思いました。

チョイ悪牧師ですね。

しかし、朝目が覚めるのです。
身体は疲れていても、私の魂が「早く礼拝に行きたい!主を賛美したい!御言葉を聞きたい!祈りたい!」と飢え渇くのです。
なぜでしょうか?
それは、そこに主の臨在があるからです。

正しい歴史認識によって、話し合いによって、私たちは本当に一致できるのでしょうか?
交わりによって、仲良しになって、私たちは本当に一致できるのでしょうか?
そこには、必ず限界や歪みが生じます。仲の良い人とは一致できるかもしれないけど、えこひいきや妥協が生じます。

真の一致は、神様の奇跡によって、神様の国のアイデンティティによって、神様の臨在にあってもたらされるのです。
そして、それは、イエスさまの十字架と復活によって。

イエスさまが道であり、真理であり、いのちです。
私たちはイエスさまを信じることによって、神と和解し、お互いとも和解し、一致することができるのです。

まとめ

しかし、ここで終わりではありません。

聖書は、こう言っています。

3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

聖書(エペソ4:3)

「保ちなさい」、しかも、「熱心に」ということは、一致というのは、一回一致すれば終わりということではないということです。

私たちが真の一致を得ることができるのは、神の国が完成するとき、イエスさまが再臨してからです。

2011年の第一回大会から全て参加している、韓国の委員会の牧師が最後にこう言いました。

「みなさんは、他の国の人々とあって、一緒に礼拝し、祈って、一つになったでしょう。でも、お互いを知れば知るほど、一緒にいればいるほど、嫌なところが見えてきて、赦せない、愛せないことも出て来ます。そこからが、真の一致が求められるのです。」

みなさんは、どうでしょうか?
口で、愛すると告白すること、一致すると宣言することと、深く相手を知って、一緒に住んで、お互いの嫌なところもいっぱい知った後で、一致できるかどうかは別です。

人間には不可能に思えます。
しかし、今日の御言葉の通り、私たちが、主にあるならば、一致できるのです。
キリストの血潮により一致し、そして、私たちが一致を保ち続けるとしたら、それもまた、聖霊様の助けによるのです。

主が再び来られるまで、私たちは、一致を熱心に保ちましょう。主に求め続けて行きましょう。

家族の一致のために祈りましょう。
人間関係の一致のために祈りましょう。
クリスチャン同士、教会の一致のために祈りましょう。

一致を妨げている要因が自分自身にないかもチェックしましょう。

2コリント12:20には、一致を妨げる罪として、争い、ねたみ、怒り、横暴、悪口、陰口、高慢が出てきます。

奇跡を起こすことのできる方、神の国の王であられる方、臨在を表されるお方に、私たちの一致を求めて行きたいと思います。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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