【人生を変える聖書のメッセージ#12】信仰は旅である④みことばに信頼する(詩篇119:41-49)

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はじめに

私が、父を始めとするクリスチャンではない人からよく聞いてきた言葉があります。それは、「教会ってのは、弱い人の集まりでしょ?」精神的に自立できずに、お互いの傷を舐めあっている集団に見える人もいるようです。確かに、世の中の流れ、常識は、「負けないようにもっと強くなろう」「人に迷惑かけないように自立しよう。」

仮死状態で生まれ、脳性まひの後遺症を持つ熊谷晋一郎(くまがや しんいちろう)さんがインタビューで言った言葉を紹介します。「一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ」

私は、この言葉にハッとさせられました。確かに、私たちは「他人に依存しないこと」を自立と捉えがちだなと。この言葉から、少し聖書的な観点で考えてみましょう。自立とは、自分の力だけで生きることではなく、むしろ、私たちをお造りになられた、創造主、神様に頼って生きていくことです。辞書を引くと、依存という言葉は、頼ると同じ意味です。神様を頼り、信頼している人は弱いのでしょうか?いいえ、本当に強い人、自立している人とは、自分の弱さ、罪を知り、神の強さにより頼む人のことです。そして、お互いに助け合う人たちです。

今日のメッセージの聖書箇所である詩篇119編を書いた、この詩人は、自分の弱さを知っていました。彼には苦難を通っていたし、孤独も経験していました。彼は、詩篇119篇19節で告白しています。「 私は地では旅人です。」しかし、彼は強さを持っていました。なぜなら、彼は、自分の力に依り頼むのではなく、みことばを信頼していたからです。今日は、「Faith is a journey」信仰は旅であるというシリーズの第4回目。「みことばに信頼する」と言うタイトルで、共に主の語りかけを聞いて参りましょう。

みことばを信頼するならば、そのとおりになる

今日のテーマでもありますが、今日のポイントはズバリ、「みことばを信頼するならば、そのとおりになる。」ということです。

【主】よ。あなたの恵みと、 あなたの救いとが、みことばのとおりに、 私にもたらされますように。

聖書(詩編119:41)

この「みことば」というヘブル語は、トーラーです。トーラーとは何か?モーセ五書、つまり、創世記、出エジプト、レビ、民数記、申命記のことです。トーラーには色々なことが書いていますが、その中でも大切なのは契約とも言えます。なぜ、この詩人が、神の恵みと、 神の救いとが、みことば(トーラー)のとおりに、 私にもたらされますように。といったのか。それは、神の恵みとは、「契約に基づく愛」だからです。恵みというヘブル語のへセドは、もともと、「契約により永遠に変わることのない愛」という意味です。そして、神の救いとは、「契約に基づき、この世の圧迫によるくびきを打ち砕き、人々に自由をもたらす救いのみわざ」であるからです。つまり、神は契約に基づく、神の変わらない真実さのゆえに、ご自身のみことばを果たされるということです。

信仰は旅であるシリーズの第一回の時の信仰の二面性の話を覚えていますか?「エムナ」神の真実さ。私たちは変わっても、揺れ動いても、実際そうなりますが、神は変わりません。ここに土台をおく、信頼するなら、大丈夫である。その真実さは、神の霊感によって書かれた、みことばとして私たちの元にあらわされています。それが、聖書です。これはただの文字ではありません。神の霊感、聖霊によって書かれた、神のことばです。そして、ことばは神であった。みことばはイエス・キリストのそのものです。

詩篇119は詩篇で一番長く、176節までありますが、繰り返される言葉が「みことば」です。どこを切っても、金太郎飴のように、みことばが出てきます。そして、41節の「みことばのとおり」という言葉は、詩篇119編に10回も出てきます。

私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください。

聖書(詩篇119:25)

私のたましいは悲しみのために涙を流しています。みことばのとおりに私を堅くささえてください。

聖書(詩編119:28)

【主】よ。 あなたの恵みと、 あなたの救いとが、みことばのとおりに、私にもたらされますように。

聖書(詩編119:41)

私は心を尽くして、 あなたに請い求めます。どうか、みことばのとおりに、私をあわれんでください。

聖書(詩編119:58)

【主】よ。あなたは、みことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました。

聖書(詩編119:65)

どうか、 あなたのしもべへのみことばのとおりに、あなたの恵みが私の慰めとなりますように。

聖書(詩編119:76)

私はひどく悩んでいます。【主】よ。 みことばのとおりに私を生かしてください。

聖書(詩編119:107)

みことばのとおりに私をささえ、私を生かしてください。私の望みのことで私をはずかしめないようにしてください。

聖書(詩編119:116)

私の叫びが御前に近づきますように。【主】よ。みことばのとおりに、私に悟りを与えてください。

聖書(詩編119:169)

私の切なる願いが御前に届きますように。みことばのとおりに私を救い出してください。

聖書(詩編119:170)

この詩人が望んでいたことは、みことばの約束、神の真実さが、私の人生で、現実で、実生活で、そのとおりに現れることだということです。私たちは、果たして、現実の中で、実生活の中で本当に「みことばのとおりに」なることを信じているでしょうか?学校の中で、職場の中で、家庭の中で、地域の中で、日本の中で。

呪われた島ピトケアン島の真実

かなり前ですが、フジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」で「呪われた島ピトケアン島の真実」という放送がありました。1789年、イギリスの軍艦バウンティ号で反乱が起こりました。反乱者たちの一部は、船を降りてピトケアン島に上陸し、島民とともに共同体を築きました。彼らは政治的な拘束から解放されて、自由に生きることを願っていました。しかし、9年が経った後、殺人、暴力、不道徳、アルコール中毒などが共同体を揺るがすようになりました。これに疑いを抱いた指導者フレッチャー·クリスチャンは自殺してしまい、残りの人々はイギリスに帰ることにしました。ところが、船が出帆する2ヶ月前、イギリス人水夫ジョン・アダムスは倉庫で偶然に聖書を一冊見つけました。彼は聖書を読む中で自分の罪を悔い改め、主イエスに出会いました。そして、イギリス行きの船に乗らずに、聖書とともに島に残りました。ジョン・アダムズは子供たちのために、聖書を使った教育をして読み書きや道徳を教えました。アダムズは聖書によって、ピトケアン島の秩序を立て直していきました。罪に染まっていたピトケアン島は、一冊 の聖書によって生まれ変わる機会を得、島の人々がみな救われました。彼がピトケアン島に来てから24年後の1814年、イギリス海軍船が来島し、この時初めてアダムズがバウンティ号の反乱メンバーの生き残りであることが判明しました。
しかし、アダムズが罪に問われることはありませんでした。聖書により、島を平和に治めていたことが評価され、恩赦が与えられ、彼は、64歳で死去するまでピトケアン島に住み続けました。

みことばに信頼した結果

みことばに信頼すると何が起こるのでしょうか?みことばのとおりになって、この話のように、証が生まれるのです。聖書のみことばは、人を変え、秩序を正し、平和を生み出し、状況を変える力があります。詩編119篇45-46節を読んでみましょう。この詩人は、45-46節で、みことばの結果を、すでに起こっているかのように宣言します。

そうして私は広やかに歩いて行くでしょう。それは私が、あなたの戒めを求めているからです。

聖書(詩編119:45)


45節の「広やかに」とは、苦難や圧制から自由となるという意味です。主への信頼は、自由を生みます。

権威に信頼することは、平安と守りを受けるからです。私たちはこのことを誤解しがちです。親に守られていることに気がつかず、自由がない!と反抗する青年。信仰もそうです。神にコントロールされていると考えるか、守られていると考えるか。しかし、事実、神への信頼はその人を自由にします。福音は縛られているものを解放します。イエス様はイザヤ書を読み、宣言されました。

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、 貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。 」

聖書(ルカの福音書4:18-19)


この詩人の告白のように、神への信頼、神のみことばへの信頼は、自由です。

私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、しかも私は恥を見ることはないでしょう。

聖書(詩編119:46)



この「王たち」とは、捕囚から帰還したイスラエルを苦しめたペルシャの君主や、その役人たちを指すとも考えられます。あるいは、世の恐ろしい権力者の象徴として解釈してもいいかもしれません。私たちは、どうでしょうか?みことばを伝えること、証することに恐れを感じていないでしょうか?人の目が気になる。変な風に思われたらどうしよう。はたまた、必要以上にサタンの攻撃にビクビクしていないでしょうか?イエス様も言われました。

18 また、 あなたがたは、 わたしのゆえに、 総督たちや王たちの前に連れて行かれます。 それは、 彼らと異邦人たちにあかしをするためです。
19 人々があなたがたを引き渡したとき、 どのように話そうか、 何を話そうかと心配するには及びません。 話すべきことは、 そのとき示されるからです。
20 というのは、 話すのはあなたがたではなく、 あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。

聖書(マタイの福音書10:18-20)


この詩人には、聖霊により与えられた勇気がありました。それはみことばへの絶対的な信頼です。私たちの人生においても、この詩人のように、苦しみや、試練を通るときが多々あります。しかし、問題は、この詩人のように、私も大胆に宣言できるのか?ということです。現実の状況、環境を見て、本当にみことばとおりになるのだろうか?自分自身を見て、こんな自分に神様は働いてくださるのだろうか?あの人には起こったかもしれないが、俺には起こるとは到底思えない。そのような状況の中で、私たちはどうすれば良いのだと聖書は言っているでしょうか?

どうか、 あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。

聖書(詩篇119:49)


待ち望むのです。待ち望むとは、言い換えれば忍耐です。

聖書学院での経済的な必要と忍耐

もう、6年前のことですが、聖書学院に入学する時に、一年間の学費を払える蓄えはありませんでした。「信仰があればなんとかなるだろう。導いたの神様なんだし」と勢いで入学しました。入学後すぐに試練はきました。ハローワークに通えば、失業保険が出るというのです。失業保険を受け取れば、学費の大部分はまかなえます。しかし、失業保険の規定では、仕事を探している人でしたので、悩みましたが、受け取らないことにしました。神様の御心を歩めば、なんとかなる!そして、案の定、三ヶ月ほどで、月の学費が払えなくなり、学長に呼ばれました。私は、てっきり、「あんた、お金ないのに、信仰で勉強を続けているんか?大した男や!」と褒められると思っていました。しかし、かなりボコボコに怒られました。「うちの娘も銀行員やったけど、三年間の学費全部貯めてたで!あんた銀行員やったのに、計画っちゅうもんないんか?」そして、その翌日、聖書学院の男子寮、私あてに一つの封筒が届きました。それは、ウン十万の税金の請求書でした。すでに一回払ったのに、二発目が遅れてきました。しかも、このタイミングで。私は、その時、ことの重大さに気がつきました。「やべえ。。なんとかならないかもしれない」一人、図書室にこもって、いよいよ祈り始めました。聖書を開きました。聖書にはこう書いていました。

25 だから、 わたしはあなたがたに言います。 自分のいのちのことで、 何を食べようか、 何を飲もうかと心配したり、 また、 からだのことで、 何を着ようかと心配したりしてはいけません。 いのちは食べ物よりたいせつなもの、 からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。 種蒔きもせず、 刈り入れもせず、 倉に納めることもしません。けれども、 あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。 あなたがたは、 鳥よりも、 もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、 心配したからといって、 自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
28 なぜ着物のことで心配するのですか。 野のゆりがどうして育つのか、 よくわきまえなさい。 働きもせず、 紡ぎもしません。
29 しかし、 わたしはあなたがたに言います。 栄華を窮めたソロモンでさえ、 このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
30 きょうあっても、 あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、 神はこれほどに装ってくださるのだから、 ましてあなたがたに、 よくしてくださらないわけがありましょうか。 信仰の薄い人たち。空の鳥を見なさい。野のゆりを見なさい。神の国とその義とをまず第一に求めなさい。

聖書(マタイの福音書6:25-30)


「よし!信じよう!」
しかし、無情にも、何も答えもないまま、一ヶ月、二ヶ月と時は過ぎていきます。一応、朝の4時半に起きて、犬の散歩という学校が唯一公認の謎のアルバイトにも手を染めました。しかし、それも微々たるもので、日に日に、学長の顔を避けるようになりました。図書室に行っては、聖書を開き、「神様!ここにあなたが導いたんじゃないですか?お金足りないの知ってて、私についてきなさい行ったじゃないですか?なぜ、答えてくれないのですか?」

「シーン」答えはありません。

その時、聖書学院に入る前に、カナンプレイズチャーチの長沢崇史先生に相談した時にことを思い出しました。「たかちゃんは、お金とかどうしてるの?大丈夫なの?」会社を辞めてフルタイムでどうやって経済が回るのかがわからなかった私は質問しました。すると、彼は笑いながらこう言ったのです。「ははは、大丈夫だよ。なんとかなるから!」その笑いの意味がわからなかった私は、祈っても祈っても一向にお金が満たされない状況で神様に抗議しました。「あなたがここに遣わしたのです。そして、みことばにはこう書いてます。どうなってるんですか?」
「シーン」

でも、私はとにかく信じてみよう。どうなるか見てみようじゃないか!すると、母教会から献金を送ってくださる方がいらっしゃり、自分のことを話していないはずの奉仕教会でも、日曜の朝に週報ボックスに10万円の封筒が入っていたりと不思議なことが起きはじめました。そして、なんだかんだ、最後の一ヶ月で、なんとか、全ての授業料は満たされました。計算してもよくわかりませんが、とにかくみたされたのです。後は、税金などの未納分が数十万ありました。でも、心はとても軽かったのを覚えています。

そして、卒業式の朝に…
卒業後、すぐに結婚する予定だったので、不安でしたが、全て満たされたのです。

まとめ

今、振り返ってみたら、その時、なぜ、私が最後まで諦めずに主を待ち望むことができたのか。それは、真実な神の約束のみことばがあったからです。

31 そういうわけだから、 何を食べるか、 何を飲むか、 何を着るか、 などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、 異邦人が切に求めているものなのです。 しかし、 あなたがたの天の父は、 それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、 神の国とその義とをまず第一に求めなさい。 そうすれば、 それに加えて、 これらのものはすべて与えられます。
34 だから、 あすのための心配は無用です。 あすのことはあすが心配します。 労苦はその日その日に、 十分あります。

聖書(マタイの福音書6:31-34)

信じて、待ち望むものには、必ず答えてくださる、約束のみことばがあったからこそ、だからこそ、前が見えなくても、待ち望み続けることができたのです。みなさん。日々、握り続けている約束の神のみことがありますか?みなさん。約束のみことばに立っていますか?それとも、他のものに信頼を置いていますか?

主のみことばに信頼しましょう。そして、毎日一日一章を読みましょう。一日一章を通して、主がこの群れに、私たちに語られる、約束のみことばを、共に受け取って行きましょう。聖書が難しくてよくわからないという方。諦めないで、求めてください。主よ!教えてください!目を開いてください!その祈りは必ず答えられますので、待ってください。みことばのとおり、神様の約束が、神の恵みが、神の救いが、私たちの教会、私たちの実生活に現れることを、楽しみながら、ワクワクしながら待ち望みんで行きたいと思います。

読んでくださってありがとうございました!このメッセージはYoutubeでもご視聴いただけます。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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