【人生を変える聖書のメッセージ#16】成功はゴールじゃない「ヨセフの物語から見る成功に潜む罠」

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はじめに

成功とは何でしょうか?あるいは、成功している人と言って思いつくイメージはどのようなものでしょうか?

一口に「成功」といっても、その定義は人によってさまざまです。ある人にとっては家族との時間であったり、お金であったり、地位や名誉だったりと千差万別なものです。しかし、たとえ、私たちが自分の追い求める成功を手に入れたとしても、その先に待っているものは何でしょうか?また、もし、成功することが人生の目的だとしたら、望んだ成功を手に入れられなかった人の人生は、どう評価すれば良いでしょうか?聖書を読んでいくならば、 「成功はゴールではない」 ということがわかります。

勘違いしたくないのは、聖書が、成功自体を否定しているわけではありません。今日の箇所の主人公であるヨセフは、あらゆる点で成功したと聖書は言っています。

彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。

聖書(創世記39:3)


成功でいうならば、ヨセフは歴史上、最も成功したうちの一人です。しかし、人生には、成功よりももっと、大切なことがあるのです。「成功はゴールじゃない」からです。

ヨセフのサクセスストーリー

囚人からエジプト宰相へ

ヨセフは、たった一日でエジプトの宰相になりました。

39 パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。
40 あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。 」

聖書(創世記41:39-40)


ヨセフは、神として崇めれていたパロからこのように言われました。41-44節に記された一連の場面は、エジプトの高官たちの就任式の様子です。

41 パロはなおヨセフに言った。「さあ、 私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」
42 そこで、 パロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。
43 そして、 自分の第二の車に彼を乗せた。そこで人々は彼の前で「ひざまずけ」と叫んだ。こうして彼にエジプト全土を支配させた。
44 パロはヨセフに言った。「私はパロだ。しかし、あなたの許しなくしては、エジプト中で、だれも手足を上げることもできない。 」

聖書(創世記41:41-44)


王が指輪を手からはずしてヨセフの手にはめることは、王の権威の委任を象徴しました。亜麻布の衣服を着て、金の首飾りを首に掛けることは、夢の解き明かしに対する報いでした。そして、ヨセフは「第二の車」を与えられました。「第二の車」とは、エジプトのNO.2が乗る車のことです。

直前まで監獄にいたヘブル人の青年が、エジプトの宰相となり、エジプトのすべての民が彼の命令に従うことになったのです。エジプトの宰相になる前は、濡れ衣を着せられ、およそ13年間も囚人だったヨセフ。囚人から天下のエジプトの宰相。ナンバー2。これ以上の逆転人生、サクセスストーリーはないでしょう。ヨセフが一夜にして手に入れたものは何でしょうか?天下のエジプトでの権力、富、名声。

もし、聖書が、私たち人生のゴールは成功だというならば、ヨセフのストーリーはこれ以上ない例です。メッセージの結論も、「どうやったら、ヨセフのようになれるのか?」とハウツーに近くなります。しかし、権力、富、名声を手にするといった成功はゴールではありません。なぜでしょうか?

それは、権力、富、名声を手にすればするほど、むしろ誘惑が大きくなるからです。どのような誘惑でしょうか?神様から離れてしまう誘惑です。神様に頼らなくなるという誘惑です。もし、私たちがどんなに社会的な成功を収めたとしても、神様から離れてしまうならば、事実、それは大きな失敗です。なぜなら、成功はゴールではなく、神様が共におられる関係こそが、人生においてもっとも大事であるからです。逆を言えば、私たちが失敗したとしても、苦難の中を通っていても、それもゴールにはなり得ません。

「私の人生は終わった」と思ってたとしても、決して終わりません。むしろ、苦難の時にこそ、神様に祈る方が多いのではないでしょうか?もうどうしようもなくなって神様しかいないからです。そういう時にイエス様に出会うという人も少なくありません。しかし、平穏な時、問題がない時、成功している時にも、神を求め祈れるかと言われればどうでしょう?

イエス様は、「金持ちが神の国に入るよりは、 らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」と言われました。

16 すると、 ひとりの人がイエスのもとに来て言った。 「先生。 永遠のいのちを得るためには、 どんな良いことをしたらよいのでしょうか。 」
17 イエスは彼に言われた。 「なぜ、 良いことについて、 わたしに尋ねるのですか。 良い方は、 ひとりだけです。 もし、 いのちに入りたいと思うなら、 戒めを守りなさい。」
18 彼は「どの戒めですか」と言った。 そこで、 イエスは言われた。 「殺してはならない。 姦淫してはならない。 盗んではならない。 偽証をしてはならない。
19 父と母を敬え。 あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。 」
20 この青年はイエスに言った。 「そのようなことはみな、 守っております。 何がまだ欠けているのでしょうか。 」
21 イエスは彼に言われた。 「もし、 あなたが完全になりたいなら、 帰って、 あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。 そうすれば、 あなたは天に宝を積むことになります。 そのうえで、 わたしについて来なさい。 」
22 ところが、 青年はこのことばを聞くと、 悲しんで去って行った。 この人は多くの財産を持っていたからである。
23 それから、 イエスは弟子たちに言われた。 「まことに、 あなたがたに告げます。 金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。
24 まことに、 あなたがたにもう一度、 告げます。 金持ちが神の国に入るよりは、 らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。 」

聖書(マタイの福音書19:16-24)

そして、ヨセフの場合は、権力、富、名声だけではありませんでした。

パロはヨセフにツァフェナテ・パネアハという名を与え、 オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを彼の妻にした。 こうしてヨセフはエジプトの地に知れ渡った。

聖書(創世記41:45)

ヨセフは「ツァフェナテ・パネアハ」というエジプトの名前が与えられ、パロから「オンの祭司ポティ·フェラの娘アセナテ」を妻として与えられました。オンは、エジプトにある太陽崇拝の中心地でした。つまり、ここで、ヨセフを襲っているのは、異国エジプトの偶像礼拝の誘惑です。イスラエルの歴史を見ると、偶像礼拝の罪はいつも、彼らと隣同士でした。ソロモンは、外国人の妻をたくさんめとって、彼自身も偶像礼拝に陥りました。

私たちがこのストーリーを読むと、ヨセフだからなのか、「おお、神様がヨセフを祝福してくださったんだ!すげえ神様!」とささっと読み飛ばしてしまいます。しかし、注意深く読んでいくと、成功を手に入れたヨセフは、苦難の時よりも、大きな誘惑に襲われているという現実に気づくのです。

神の計画を信じて誘惑に対応した

そして、ここで私たちが最も気になるのは、ヨセフはどのようにこの誘惑に対応したのかということでしょう。

–ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった–ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。

聖書(創世記41:46)


わずか30歳のヨセフは、「ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。」とあります。パロの王宮にとどまって、夢のような生活を楽しむことはしませんでした。むしろ、彼は意識的にパロの元から去って、「エジプト全土を巡り歩いた」のです。「エジプト全土を巡り歩いた」とはどういうことでしょうか?

やがて来る7年間の大飢饉に備えて、今の7年間の大豊作の時に、できるだけ多くの作物を蓄えておくためにエジプト中を駆け巡って仕事をしたということです。彼は、権力も、富も、名誉にも目をくれずに、いやむしろ、その権力と、富と、立場を最大限利用して、一生懸命働いたのです。

ヨセフは、成功がゴールではなく、これから来るききんに備えるために、今、自分が神様のためにできることを忠実にしたのです。ヨセフは、どうやって、ききんがやって来るということを知っていたんですか?しかも、7年後に7年間という具体的なことまで知っていたんですか?

それは神様のみことばです。

 パロの夢を通して、神様が明らかにされたご計画をそのまま信じた からです。そして、このみことばに対するヨセフの忠実な働きは、のちに、家族の救い、神の契約の成就というもっと大きい神様のご計画のために用いられることになるのです。苦難の中にいようが、成功の中にいようが、大切なのは神様との強い信頼関係の上で、「神様は私をどのように用いようとされているのか?」と神様の視点に自分を合わせていくことです。私の人生は自分のものではない。神様が治めている人生だ。私の持っているもの全てを捧げます。神様、私を用いてください!という信仰が生まれてくるのです。

王妃の立場を捧げたエステル

ペルシャの王妃、イスラエル人のエステルも自分の立場を神様の視点で理解しました。

もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」

聖書(エステル記4:14)


「私は、 死ななければならないのでしたら、 死にます。 」と、 ペルシャの王妃という立場を神様に捧げ 、イスラエル民族の救いという神様の偉大な計画のために用いられたのです。

まとめ

私たちはどうでしょうか?苦難や成功と言った状況や立場に左右されていないでしょうか?

大切なのは、神様との関係です。そして、その神様が、私たちの人生に持っておられるご計画に信頼しましょう。ヨセフのように、今おかれている場所で、持っているもので、神様のためにできることを忠実にしましょう。私たちは今、何に向かって、何を手に入れようと、一生懸命になっているでしょうか?成功はゴールではありません。 成功を求めるのではなく、私たちの成功をご自身のご計画のために用いられる神様に従いましょう。 

–ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった–ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。

聖書(創世記41:46)


苦難や成功と言った状況や立場に左右されずに、どんな時でも神様に忠実に従うことができるように、主の御名によって、祈りましょう。

読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYoutubeでもご視聴いただけます。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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