【人生を変える聖書のメッセージ#6】人生の圧倒的な勝利者になる「あなたは何と戦っていますか?」ローマ人への手紙8章31-39節

何と戦っていますか?
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はじめに

キリスト教の歴史において、間違った勝利主義があったことは否めません。例えば、十字軍などはその例だと言えるかもしれません。また、勝利主義ではありませんが、最近では繁栄の神学というものも話題になりました。祝福や繁栄は神の御心なのだから、どんな状況も祈って宣言すれば、その通り勝ち取っていくことができるというものです。

すべてが間違っているとは思いません。でも、自分中心、個人中心で物事を見ているように感じたり、「何かが変だな」という違和感を感じるのは私だけではないでしょう。イエス様のイメージを見ても、実は国や民族が持つ文化・背景によって違います。

今日の箇所には、「勝利」という言葉が出てきます。そして、ローマ人への手紙8章35-39節は、37節を境に対象になっています。これは聖書によく見られる修辞法の一つで、真ん中の37節が一番重要な箇所であることがわかります。

しかし、 私たちは、 私たちを愛してくださった方によって、 これらすべてのことの中にあっても、 圧倒的な勝利者となるのです。

聖書(ローマ人への手紙8:37)

私たちは賛美などで「勝利勝利!」とよく歌いますが、キリスト者にとっての勝利とは一体何なのか考えてみたいと思います。

皆さんはどう思いますか?私たちクリスチャンは何と戦って、何に勝利しようとしているのでしょうか?皆さんは何に対して葛藤し、何に勝利しようとしているのでしょうか?生活で起こる諸問題に勝つためでしょうか?敵や悪に勝つためでしょうか?弱い自分に勝って、もっと強くなるためでしょうか?

冒頭に申し上げたように、気をつけないと、キリスト者の中にも、間違った勝利主義に陥ることがあります。今日は、主にある勝利について、主に聞いてまいりたいと思います。

圧倒的な勝利者

キリスト者にとって勝利とは何でしょうか?勝利とは何かを知るためには、私たちが何に対して勝利するのかを知らなくてはいけません。私たちが戦う対象は何なのでしょうか?今日のメインの箇所、37節を読んでみましょう。

しかし、 私たちは、 私たちを愛してくださった方によって、 これらすべてのことの中にあっても、 圧倒的な勝利者となるのです。

聖書(ローマ人への手紙8:37)


「これらすべてのことの中にあっても、」→これがキーフレーズですね。
これらすべてのこととはどのようなことでしょうか?ローマ書を書いたパウロは、非常にテンポよく、4つのことを並べたてます。

① 敵対するもの

31 では、 これらのことからどう言えるでしょう。 神が私たちの味方であるなら、 だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、 ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、 どうして、 御子といっしょにすべてのものを、 私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

聖書(ローマ人への手紙8:31-32)

② 訴えるもの

神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。 神が義と認めてくださるのです。

聖書(ローマ人への手紙8:33)

③ 罪に定めようとするもの

罪に定めようとするのはだれですか。 死んでくださった方、 いや、 よみがえられた方であるキリスト・イエスが、 神の右の座に着き、 私たちのためにとりなしていてくださるのです。

聖書(ローマ人への手紙8:34)


私たちに敵対し、私たちを訴え、私たちを罪に定めようとするものは誰でしょう?これらのフレーズで真っ先に思い浮かぶのは、サタンです。ヘブル語で「サタン」は“敵対者、誘惑者”という意味で、ギリシャ語の「ディアボロス」は“訴える者”という意味です。サタンは、訴え、罪に定める者です。
サタンは、人に人を訴えさせ、神に人を訴え、人に神を訴える破壊と分裂の霊です。

韓国で牧会していた時、ずっと心の中の声に悩まされているという人の相談を受けました。
「お前はダメなやつだ」「お前は生きていても無駄だ」
一人でいるとこのような声が聞こえ、死にたくなるまでになるそうです。
結局、その人は教会に来て、この声がサタンであることがわかり、イエス様を求めた時に解放されました。確かに、私たちにはサタンが突っつくことのできる、足場があります。それは、私たちの中にある罪です。この罪の力が私たちを誘惑し、私たちに戦いを挑むのです。

④ キリストの愛から引き離すもの

次にパウロは「キリストの愛から引き離すもの」があると言いました。

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。 患難ですか、 苦しみですか、
迫害ですか、 飢えですか、 裸ですか、 危険ですか、 剣ですか。

聖書(ローマ人への手紙8:35)


患難、 苦しみ、 迫害、 飢え、 裸、 危険、 剣とは、実際に、パウロ自身が経験してきた困難です。
36節で、

「あなたのために、 私たちは一日中、死に定められている。私たちは、 ほふられる羊とみなされた。 」と書いてあるとおりです。

聖書(ローマ人への手紙8:36)


と詩篇を引用しながら、自分の身に起きている苦難は神の許しの中で起こっているといいます。
少し前の箇所を見ても、パウロは、クリスチャンになっても苦難は無くならないとはっきりと言っているのです。

もし子どもであるなら、 相続人でもあります。 私たちがキリストと、 栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、 私たちは神の相続人であり、 キリストとの共同相続人であります。

聖書(ローマ人への手紙8:17)

① 敵対するもの
② 訴えるもの
③ 罪に定めようとするもの
④ キリストの愛から引き離すもの


これらのものを通して、パウロが伝えたかったことは、私たちがサタンをボコボコにし、全く苦難のない生活を手に入れるために勝利しなさいということではありません。

パウロが、いや聖書が伝えていることは、これらのものが、「私たちと神様を引き離そうとする原因」であり、キリストの愛から離れないことによって勝利しなさいということです。キリストの愛から離れないことはなぜ、大切なのでしょうか?

それは、私たちの勝利は私たちの力や努力、頑張りによるものではないからです。私たちの勝利は、すでに勝利を取られたイエスキリストのものです。すでに十字架で勝利を取られたキリストにあって、私たちはキリストの勝利に預かることができるのです。

いつの日からか、私たちも、サタンの誘惑や、困難に陥った時に、気付いたら自分の力で勝利しようと頑張ってしまうことがあります。だから、悩むし、疲れるし、もういいやと諦めたくなるのです。勘違いしてはいけません。 私たちが救われたのはキリストの勝利の故であり、私たちが今、生きているのもキリストの勝利の故なのです。 私たちは、今でも、キリストの恵みなしでは、生きることの出来ないものなのです。

だからこそ、私たちが個人的に困難に勝利していくことがクリスチャンの姿なのではなく、キリストの愛に留まること、キリストから離れないことが勝利なのです。勝利は神の側にあります。自分主体でものを見てはいないでしょうか?個人的な勝利ではなく、すでにつながっていて、すでに関係は回復しています。そこから離れさせる力、疑わせる力に対して勝利するのであって、救いを得るために勝利するのではありません。

だからこそ、パウロは、私たちの勝利の土台をはっきりと示しました。

31 では、 これらのことからどう言えるでしょう。 神が私たちの味方であるなら、 だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、 ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、 どうして、 御子といっしょにすべてのものを、 私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。 神が義と認めてくださるのです。
34 罪に定めようとするのはだれですか。 死んでくださった方、 いや、 よみがえられた方であるキリスト・イエスが、 神の右の座に着き、 私たちのためにとりなしていてくださるのです。

聖書(ローマ人への手紙8:31-34)


これらは神が私たちを愛してくださってが故にしてくださった事実です。神は、私たちのために御子を遣わし、十字架上で全人類の罪を背負い死なれ、三日後に復活されました。
キリストの十字架の贖いによって、私たちは義とされました。神によって義とされました。そして、私たちの味方であるイエス様は、今も私たちのために祈ってくださっているのです。

現代は、パウロが生きていた状況とはかなり違うので、少なくとも日本は飢えや剣の脅威に今はないかもしれません。しかし、私たちの人生においても、神の愛を疑わせる出来事は多くあります。受験や事業の失敗、家族の問題、経済的な困難、親しい者の死、孤独や癒されない病、いまだ聞かれない祈りの課題などです。

そのような、困難を通ると、「神は本当にいるのだろうか?」「なぜ、愛の神がいるのに、私の人生にこんなことが起こった、起こっているのだろうか?」「神は私を見捨てたんだろうか?」そう思うことがあります。

そして、そんな時にサタンは、ささやくのです。「神はお前を裁いているんだ。当然の報いだ。」「なんで、神様がお前を愛しているのなら、お前の人生にこんなことが起きるんだ?」「そもそも、本当に神なんかいると思ってるのか?」「信仰信仰じゃなくて、もっと論理的に考えろよ」

イザヤ書36章でもアッシリヤ王から遣わされたラブシャケがヒゼキヤ王とイスラエルをののしって言いました。
「いったい、 おまえは何に拠り頼んでいるのか。」
それは、まさにサタンのやり方そのものです。

クリスチャンになっても、さまざまな試練や苦難は起こります。でも、神様が私たちに与えた勝利とは、「それでも」神を信じ続けるかということ。「どんな状況でも」神の揺るがない愛にとどまることです。何かに失敗したとしても、経済的な困難の中にいたとしても、親しい者の死に直面しても、いまだ聞かれない祈りの課題があったとしてもです。クリスチャンに成っても、「なんでこんなことが起こるんだ?」と思うその只中であっても、決して揺るがないイエス様を信じ続けることが勝利なのです。

長崎の日本二十六聖人「12歳のルドビコ茨木」

日本はローマ帝国時代の大迫害を除けば、歴史上で最も殉教者の多い国だと言われていますが、「日本最初の殉教者」と言われているのは、1597年に豊臣秀吉の命令によって殺された長崎の日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)です。この中には、26人中の最年少で、当時12歳のルドビコ茨木がいました。

12歳のルドビコ少年が捕らえられたときのことについて、ルイス・フロイスは次のように記しています。
彼は、殉教する前に、手に縛られ、耳を剃がれましたが、天使のような顔で喜び溢れ、『天にまします、めでたし』とその他の祈りを唱えていた。」と言います。

処刑の執行責任者であった寺沢半三郎はこう言いました。
『そなたの命は私の手中にある。キリシタンの教えを捨て、もし私に仕える気があれば、そなたを助けよう』しかし、ルドビコ少年は答えます。『そのような条件であるならば、生命を望みません。つかのまの生命と永遠の生命を交換するのは意味のないことです』

刑場に到着すると、彼は、十字架を見て歓喜したといいます。その中で、ルドビコ少年はこう言いました。
「私の十字架はどこにあるのですか?」
子供の背丈に合わせて準備された十字架に、彼は情熱をもってそこに走り寄ったと言います。

フロイトはこう書き記しています。
ルドビコ少年は十字架につけられた時、意外な喜びを見せ、『パライソ(註:天国)、パライソ、イエズス、マリア』と言いながら信者未信者を問わず人々を驚かせた。そのことで彼の心には聖霊の恵みが宿っていることがよく表れていた。

もし、これから自分がこのような迫害にあったらどうしようと思うことがあります。正直言うと、恐いし、自分には無理だと思ってしまいます。でも、自分にできないからこそ、神業であって、これがキリストにある圧倒的な勝利なのだと思います。

状況が好転するために勝利を求める。もちろん、それも必要です。問題がなくなるように勝利を求める。もちろん、それも必要です。人が変わるように勝利を求める。もちろん、それも必要です。
 しかし、本当の勝利は、外側や内側、どのような劣悪な環境の中においても、揺るがない信仰を持つことです。その信仰は、私たちの決断や意志を土台にしているのではありません。 

38 私はこう確信しています。 死も、 いのちも、 御使いも、 権威ある者も、 今あるものも、 後に来るものも、 力ある者も、
39 高さも、 深さも、 そのほかのどんな被造物も、 私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、 私たちを引き離すことはできません。

聖書(ローマ人への手紙8:38-39)


これらの単語をいちいち解説する必要はあまりありません。ここで言いたいことは、キリストの愛から引き離すものは何もない、存在しないということです。忘れないでください。あなたが手を離しても、キリストはあなたの手を離しません。

まとめ

今、あなたに戦いを挑んでくるものは何でしょうか?あなたに敵対し、あなたを訴え、あなたを罪に定めようとする声がありますか?サタンは、あなたを惑わすことはできても、あなたとイエス様との関係を直接断ち切ることはできません。今起こっている状況を見て、心の中から湧き上がる不信仰と戦っている方はいらっしゃるでしょうか?怒り、欲望、偽り、恐れ、罪の力と戦っている方はいらっしゃるでしょうか?

神が与えてくださる勝利は、圧倒的な勝利です。やっと勝利するのではなく、一方的に、相手にならないほどに、勝つ勝利です。すでにキリストは、サタンの頭を踏み砕き、罪と死の力に打ち勝たれました。イエスをキリストだと告白して信じる者には、この復活の力が内在しています。復活の力とは、罪と死に打ち勝つ力です。この復活の霊、イエス様の霊である、聖霊様が私たちの内側におられるのです。

 神を、いつ、どこにいても認めましょう。 そして、その神から目を離さないでください。そして今日も、生活の場に豊かに臨まれる神の御手を信じてください。そうすれば、新しい力と勇気を得ることができます。

しかし、 私たちは、 私たちを愛してくださった方によって、 これらすべてのことの中にあっても、 圧倒的な勝利者となるのです。

聖書(ローマ人への手紙8:37)

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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