心が先か?行動が先か?「理由を求める人。行動を命じる神」聖書(1テサロニケ5:16-18)

20211212
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16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

聖書(1テサロニケ5:16-18

初めに

私たちの脳には、さまざまな「クセ」があるそうです。

例えば、普通、私たちは、楽しいことがあるから、笑うと考えます。

しかし、研究からわかってきたのは、笑顔をつくるから楽しくなるということです。

笑顔の表情をつくると、快楽を生み出すドーパミン系の神経が活発になるそうでで、無理に笑顔をつくったとしても、楽しくなっていくそうです。

これは、かなり大切であって、私たちがいつも不平不満を口にして、恐怖や嫌悪の表情をするなら、脳に恐怖や嫌悪の感情を生むスイッチが入るそうです。

つまり、行動が先で、その後で心が変化するという順番なのです。

誰にでも一度は経験があると思うのは、面倒だと思うこともやり出すと気づいたら思った以上にはかどることです。

例えば、手をつける前は掃除を面倒だと感じていても、いざ掃除を始めてみると気分が乗り、止まらなくなる、あれです。

実は、この行動が、心に影響を与えるという脳の構造は、信仰生活にも適用できる普遍的なルールかもしれません。

心が伴うから、みことばに従うのか?
それとも、みことばに従ったら、心が変化するのか?

みなさんはどっちが、聖書的だと思いますか?

聖書を読んでいくと、これは完全に、「みことばに従ったら、心が変化する」です。

もし、私たちの心、つまり感情が先なら、感情に合わない部分は、切り取って無視するでしょう。
自分の好きなように聖書を読むという最大の落とし穴にはまるのです。

聖書は逆です。

みことばに私を委ねる。みことばの前にへりくだる。みことばに私を変えてもらうのです。

今日は、前回の5つの祈りの話を一旦ストップして、特別なメッセージをします。
しかも、前々回までの、感謝、喜びのメッセージとほとんど同じ箇所です。

今日のメッセージの結論は、「みことばに従ったら、心が変化する」ということです。
これがとにかく大事だということです。

しかし、私たちが聖書を読んでいると、非常に簡単に陥りやすい罠があるのです。

それは、聖書に書いてあることになんでも「理由を求めてしまう」ことです。

理由を求めて人の性質

例えば、今日の箇所を読んでみましょう。

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

聖書(1テサロニケ5・16-18)

聖書は「いつも喜んでいなさい」「絶えず祈りなさい」「すべてのことにおいて感謝しなさい」と命じています。
しかし、よく見てください。

理由が書かれていないのです。

神様は、「あなたが祝福されるから」とか言っていないのです。

私たちがこの箇所を読めば、思うことは「いつもは無理だろ」「喜べと言われても喜べない時があるじゃないか」と、なぜ、聖書がそのように言っているのかに対する理由を考えます。

簡単に言えば、頭で考え始めるのです。

なぜ、理由が欲しいのか?
それは、私たちの「気持ち」がみことばよりも優先してくるからです。

「いやいや無理だろ」というあきらめ。
「私にはできっこない」という失望。
「聖書っておかしいところあるよね」という冷淡な気持ち。
「ふざけんな」という怒りすら生まれるかもしれません。

しかし、これらに欠けていることがあります。

それは、「行動」なのです。

自分の感情に素直になることは大切です。
聖書に対して正しく理解しようと分析し考えるのは大切です。

僕のメッセージは、実は普段は、「感情」と「聖書解釈」をものすごく大切にしています。

でも、今回、神様が僕に語ったのは、「行動が先だ」ということなんです。

今日の箇所を読んで、どんなに自分の感情に向き合っても、聖書の註解書やネットで背景や解釈を理解しても、「行動」がなければ、あなたの生活は変わりません。

あなたが、この聖書の言葉を聞いて、その通り、行動しなければ、ただのお勉強です。

聖書の言葉は、ただの研究対象でも、私たちのディスカッションの本でもありません。

神の言葉です。

神が私たちに知ってほしいこと、してほしいことが書かれている手紙です。

みなさんが、友達や家族から、LINEで「ちょっと、風邪ひいたので、悪いけど薬買ってきてくれる?」と言われたら、どうしますか?

買いに行くでしょう。無理なら断ります。
それは、行動ですよね?

でも、もし、なぜ、この人は風邪を引いたのか?と理由を探し、薬を飲んでもいいのだろうか?と悶々と考え始めたらどうでしょう?
薬という言葉を辞典で引いて、どのような解釈だろうか…

そんな人はいないんです。

買いに行くのが御心か、御心じゃないか?と祈り始め、相手に「しばらく御心を祈るから一週間待って」と返信しますか?
その頃にはその人の風邪は良くなり、もう二度と、頼まれなくなるでしょう。

こう考えたら、滑稽なのですが、私たちはとかく聖書のみことばに対しては、そんな変なことをやってしまうのです。

だから、みことばを読んでも、私たちの生活は変化しないのです。
読んでも、行動しないからです。

行動には、信仰が伴います。

信仰は神の言葉をその通りで間違いない最善なものとして信じることです。

はっきりいうと、理由がなくても、信じれます。

薬買ってきてと言われて、あなたが薬を買いに行くのは、相手が嘘を言っていないと信じているからです。
また、薬を飲めば良くなるだろうと信じているからです。

聖書のことばは神のことば

誰が、先ほどの聖書の箇所を書いたのですか?
パウロ?

パウロを通して、神が私たちに命じているのです。

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

聖書(1テサロニケ5・16-18)

喜ぶ理由や原因を探すのが先ではありません。
いつも、どんな時でも、喜ぶことを実践するのです。

祈る理由を探すのではなく、祈るのです。
「絶えず」とあるので、いつも心の中でも祈るです。

そして、感謝できないことが起きても、感謝するのです。

「全てのことにおいて」とあるので、感謝できないことが起こっても、感謝です。

とにかく、実践してみましょう。

すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

聖書(1テサロニケ5・18)

聖書には、これしか書かれていません。

神様は、私たちが聖句を論じることを望んでおられるのではなく、行動することを望んでおられるということです。

「みことばが語っているから、その通りする」竜也がこの前シェアしていたのが、実はずっと残っています。
まさに、その通りすぎるのです。

ヤコブ書にも実行の重要性が書いています。
重要性というか、行いが不可欠だと言っています。

みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。

聖書(ヤコブ書1・22)

聖書のみことばを聞く人は多くいます。
でも、実行しないで、ただ聞いている人は、自分を欺く人だと聖書は言っているのです。

みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。
眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。

聖書(ヤコブ書1・23-24)

そういう人はまるで、鏡で自分をチェックしても、すぐに忘れてしまう人だというのです。

鏡で、鼻毛が出ていて、気づくとします。
でも、そのまま、外出したら、鼻毛が出たままです。

しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。

聖書(ヤコブ書1・25)

つまり、聖書のみことばは、実行しないと意味がないということです。

で、もちろんですが、注意したいことは、聖霊の力が必要であることは言うまでもありませんね。

今までのメッセージでも再三話してきたように、いつも喜んで、全てのことに感謝することは、人間の力では無理です。

ただ、今日あえて、強調したいことは、一歩踏み出してみるのはあなたの信仰であり、一歩踏み出す時に、聖霊が臨まれると言うことを信じて欲しいのです。

とても難しいことを言っていますが、これをぜひ、体験して欲しいのです。

前々回くらいのメッセージで、感謝できない時に、みことばの通り感謝して、状況が変わった人の話を覚えていますか?

彼らは、みことばに「全てのことに感謝しなさい」と書いていることを信じて、実行したのです。
その時に、神が働かれたのです。

聖書にも、このようなことがたくさん出てきます。

ヨシュアに、神はこのようなみことばを語りました。

祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたら、民はみな大声でときの声をあげよ。そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民はそれぞれ、まっすぐに攻め上れ。」

聖書(ヨシュア記6・5)

祭司が角笛を吹いて、大声を上げたら、エリコの町の屈強な城壁が崩れ落ちる、と。

まず、みなさん、これ信じれますか?

ヨシュアはどうしたか?単純です。みことばの通りに実行しました。

民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。角笛の音を聞いて民が大声でときの声をあげると、城壁は崩れ落ちた。そこで民はそれぞれ、まっすぐに攻め上り、その町を攻め取り、

聖書(ヨシュア記6・20)

みことばの通りにしただけで、神のみわざが起きるのです。

聖書にはこのような、理解不能な命令があり、でも、実行した人を通して、神がみわざを起こすことがいっぱい書かれているのです。

みなさん、これは現代でも起きると思いますか?

神があなたに語るなら、その通りにしましょう。

みわざは起きます。

奇跡ではありません。
なぜ、みわざというのか?

神が私たちの信仰による一歩を用いられるからです。

奇跡が起こるのではなく、神が働くのです。

私も、今まで、信仰の一歩によってみわざを体験してきました。

仕事を辞める時、「私に付いてきなさい」という声を二度聞きました。
その後、現実は何も変わりません。
次の人は銀行に出勤です。

でも、神の言葉だと信じ、辞めました。

その時、辞めてなかったら、ガーデンチャーチはありません。
今の洗礼者が福音を聞いていなかったかもしれませんし、出会ってすらいなかったかもしれません。

私は、神様が語りなさいと促される時があります。
その言葉が本当かどうか私にはわかりません。

そんな時、いつも思うのです。
「これ、間違いだったらどうするのか?」
もし、聞いている人が「それは間違ってますよ」と言ったら、どうするのか?

ただのおかしい嘘つきじゃないか。

でも、神が語れというときに、口を開くなら、神が語られる時があるのです。

このメカニズムはわかりません。

でも、口を開くのは私であり、やはり、行動する必要があるのです。
癒しを祈りなさいと言われて、祈ったら、その人の病気が癒やされたこともありました。

何を伝えたいかというと、信仰は行動によって、現れるのであり、現代でも、日本でも、私たちが神のみことばを実行すれば、みわざが起きるということです。

終わりに

今日のメッセージの結論は、「みことばに従ったら、心が変化する」ということです。

心が伴ったら、みことばを実行するではありません。一生できないでしょう。
「みことばに従ったら、心が変化する」のです。

ですから、みなさん、今日の箇所をこの一週間実行しませんか?

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

聖書(1テサロニケ5・16-18)

この一ヶ月くらい、感謝できないことが、何度も起きました。
説明する時間はないですが、それでも感謝しました。

聖書に「感謝しなさい」とあるので、神には理由があるのです。

今日のメッセージは、私たちの信仰生活そのものをひっくり返すほどのパラダイムシフトになると確信しています。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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