10 ダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。
聖書(1歴代誌29:10-13)
11 主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。
12 富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。
13 私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
初めに
みなさん、いつも祈ってますか?どれくらい祈ってますか?1分?5分?1時間?長さが大事じゃないよ。祈りは神様との会話だから。という人もいますが、じゃあ、神様と毎日、どれくらい意識的に会話しているでしょうか?クリスチャンであっても、祈りの時間は意外と、少ないと思います。
むしろ、一日どれくらい?という質問よりも、一週間に祈りましたか?という質問の方が適切な人もいるでしょう。
なぜ、私たちは祈れないのか?
情熱や心、信仰?確かにそれは大事です。
しかし、私が牧師をしていて発見したことがあります。
それは、「祈り方を知らないから」です。
聖書を読めば、5つの祈りがあることがわかります。
- ①賛美
- ②告白
- ③感謝
- ④とりなし
- ⑤願い
これから、それぞれの内容を取り上げて行きたいのですが。今日は、このうちの①賛美の祈りについて、聖書から学んでいきます。
なぜ、あなたの祈りは続かないのか?1分も持たないのか?
それは⑤の願いの祈りしか知らないからです。
この全部を祈りに組み込むと、あなたの祈りは長くなります。
長いから良いのではなく、あなたの祈りは深まります。
祈りの力を体験します。
期待して行きましょう。
賛美の祈り
では、今日は①賛美の祈りです。
賛美の祈りとは「神の品性と性質を、正しく理解した上で、言葉によって告白すること」です。まず、賛美は歌ではありません。
これはクリスチャンでも勘違いします。
賛美は歌を歌うことではありません。
一旦に、教会で賛美を歌うとか、賛美をする、賛美を捧げるというと、讃美歌を歌うことを意味しますが、正確には、神への賛美にメロディーをつけて歌っているに過ぎません。
賛美とは、神のご性質を褒め称えることです。
SGCで弟子訓練を受けた人は、このみことばを暗唱します。
なぜなら、とても大事だからです。
主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。
聖書(1歴代誌29・11)
この箇所は、ダビデが告白した賛美の祈りです。
神を賛美する時には、語彙力が必要です。
例えば、一旦、何も見ずに「神を賛美してみてください」と言われたら、どう賛美しますか?
「神様、あなたの御名を褒め称えます。神様、あなたを感謝します」くらいしか賛美が続かないのではないでしょうか?
しかも、二言目には、感謝になっています。
ちなみに、感謝の祈りは3番目にするので、賛美ではありません。
もし、このYouTubeを見て、自分はクリスチャンではないとか、クリスチャンになったばっかりの人がいるなら、大いに安心してください。
ほとんどのクリスチャンは、賛美の祈りが続かないのです。
もし、自分は何年も教会に通ってきたのに、今まで賛美の祈りなんて意識したことがないと思った人。
喜んでください。
今日から、あなたの祈りは変わります。
なぜ、賛美の祈りが続かないのか?
単純に、聖書に多くの賛美の祈りが載っていることを、知らないからです。
気に留めてなかったからです。
だから、先ほどのダビデの祈りをお勧めします。
ダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。
聖書(1歴代誌29・10-13)
主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。
富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。
私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
- ①とこしえからとこしえ(時間)
- ②偉大さ、力、輝き、栄光、威厳(神のご性質)
- ③天にあるものも地にあるものもすべて(空間)
- ④王国(この世の主権者)
- ⑤富と誉れ(私たちの良きものは主からのもの)
- ⑥あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられる(神の恵み)
- ⑦感謝
祈りは別に目をつぶって、神を意識して自由に話すことだけではありません。
目を開けて、聖書を開いて、この箇所を心を込めて読むのも、賛美の祈りです。
ぜひ、今夜から、明日の朝から、この箇所を開いて、読んで祈ってください。
このみことばがどれほど力強いか、あなたの魂が神を賛美することによって、喜び、生き返ることを体験します。
私たちは、神を賛美するために造られました。
私たちが、創造主であり、救い主である、イエス・キリストをただ褒め称える時に、私たちの魂は喜ぶのです。
嘘だと思うなら、この箇所を心を込めて告白し続けてください。
必ず、あなたの魂は反応します。
箇所が長い場合、聖書が手元にないことも多い時は、次の箇所だけ、暗記することをお勧めします。
主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。
聖書(1歴代誌29・11)
【主】よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。【主】よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。
聖書(1歴代誌29・11(第3版))
私は新改訳第三版で暗記しています。
どっちでも構いません。
他にもたくさん、賛美は聖書に載っています。
私の神王よ私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなくほめたたえます。
聖書(詩篇145・1-2)
日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。
ぜひ、聖書を毎日読んでいる人は、賛美の箇所を探して、「いいな」と思ったら、別のノートに書き出したり、スマホのメモに書いたりしてください。
あなたの賛美の語彙力が増えれば触れるほど、あなたの祈りは豊かになります。
どうでしょう?
みなさん、今まで願いだけだった人には、この賛美の祈りはショッキングであり、天変地異ほどの意味があるでしょう。
裁きを与える愛
一つ、注意点があります。
最初に説明した通り、賛美の祈りとは「神の品性と性質を、正しく理解した上で、言葉によって告白すること」です。
なので、神の品性を正しく告白しないと賛美にはなりません。
例えば、聖書で間違って神に祈った人が出てきます。
一タラント預かっていた者も進み出て言った。『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。
聖書(マタイ25・24-25)
それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください、これがあなた様の物です。』
このしもべは「神様の品性とご性質」を誤解しています。
なぜか?それは自分の考え、価値観、体験、自分のフィルターで神を定義しているからです。
神はどういうお方か?
あなたの神は、「厳しい方」でしょうか?
それとも、「恵みに富んだ方」でしょうか?
なぜ、このように間違えるのか理由は簡単です。
聖書を知らない。または、読んでいても信じていない。
神が厳しい方?
主は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、
聖書(出エジプト34・6-7)
恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。」
これが、聖書に書いてある、神が神ご自身がどういう方であるかを宣言された箇所です。
この箇所を見ると、神には「厳しさ」があることがわかります。
しかし、神の厳しさは、神の義と言って、神の愛に基づくものです。
なぜ、裁きが愛なのか?
もし、あなたの家族が誰かに殺されても、警察も裁判官も賄賂を受け取り、裁きを曲げて無罪になったら、あなたはどうしますか?
気が狂うでしょう。
もしかすると、あなたがその人を殺して復讐するかもしれません。
復讐自体は良くないですか、その行為は愛に基づくはずです。
愛する人が殺されて悲しむこと、怒ることは、愛しているからです。
それが社会単位で起これば、そのような社会、国は崩壊します。
間違いを、時に厳しく罰することは、人を愛することを学ぶために必要です。
なので、神はこの世を神の愛に基づいて正しく裁くのです。
あと、神の厳しさは、神の愛に飲み込まれています。
主は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、
聖書(出エジプト34・6-7)
恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。」
恵みは千代。咎は四代。
これが、私たちの神様のご性質を正しく理解することです。
「主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅い」のです。
だから、私たちがどんな罪を犯しても、犯した罪を認め、「ごめんなさい」と悔い改めるなら、赦されるのです。
なぜ、どんな罪も赦されるのか?その理由は、聖書に書いているのです。
なぜ?
神は、
「あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す」から。
ちゃんと書いてますよね?
このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
聖書(エペソ書1・7)
旧約聖書から、新約聖書まで、神がどういうお方であるかは一貫して変わりません。
つまり、神がどういう方であるか、私たちの間違ったフィルターを正すのは簡単なのです。
聖書をしっかり読んで、神がどういうお方であるかを理解し、その通りに信じること。
どんなにお勉強して知識を蓄えても、自分のものになりません。
だから、クリスチャンは試練を通るのです。
苦しみを通った時でも、神がどういうお方かを信じることができるか?
本当に聖書の言葉を信じているかが、表れるのです。
神に見捨てられたと感じた時、
ダビデやキリストでさえも、このように叫びました。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
聖書(マタイ27・46)
私たちはそのように感じるのです。
しかし、聖書にはこのように書いています。
強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」
(聖書申命記31・6)
これはサタンの誘惑を退ける鍵でもあります。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
聖書(マタイ4・3-4)
イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
これが賛美の祈りです。
終わりに
賛美の祈りとは「神の品性と性質を、正しく理解した上で、言葉によって告白すること」です。
祈りは願いだけではなく、まず、神を賛美することから、始まるものです。
それは、聖書のみことばをの通りに、神の素晴らしさを告白することです。
状況は関係ありません。
あなたの思考やフィルターをストップして、神を賛美しましょう。
聖書のみことばを持って賛美しましょう。
ダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。
聖書(1歴代誌29・10-13)
主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。
富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。
私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
私の神王よ私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなくほめたたえます。
聖書(詩篇145・1-2)
日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。