クリスチャンの成長の秘訣は〇〇「なぜ、信じているのに苦難や葛藤がなくならないのか?」聖書(ヘブル書 12:11)

20220116
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すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。

聖書(ヘブル書 12:11)

はじめに

ネットに、一般的に考えられる人生の目標が載っていました。
まとめてみましたが、大体、次の9つのようです。

  1. 仕事で成功する
  2. マイホームを持つ
  3. 恋愛・結婚
  4. 旅行へ行く
  5. お金を稼ぐ・貯金する
  6. 健康になる
  7. 自分の名を残す
  8. 自由な時間をもつ
  9. 恩を返す

これらの目標に異論のある人はいますか?
素晴らしい目標だと思います。

多少、違和感があっても、クリスチャンもみんなこれらのことを目標にしているはずです。
これ以外で、目標にしていることってありますか?

では、聖書にはこれらのことが「人生の目標」であると書いているでしょうか?
聖書にはこれらのことが「人生の目標」であると書いている箇所は、ありません。

では、聖書に書いている、私たちの「人生の目標」は何かを見ていきましょう。

聖書が伝える人生の目標

結論を一言で言うならば、聖書に書かれている人生の目標は、「キリストのようになること」です。
キリストの似姿に変えられるとも言います。

私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

聖書(2コリント3:18)

「主と同じかたちに姿を変えられていきます」

主と同じ「かたち」と聞いて、ピンと来る人いますか?

26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。

聖書(創世記1:26-27)

私たち人間は、もともと、神と同じかたちとして創造されました。

でも、なぜ、2コリントでは、再び、「主と同じかたちに姿を変えられて」行かなくてはならないのでしょうか?

それは、創世記3章でアダムが罪を犯し、私たちは、神のかたちが歪んだからです。

なので、キリストの十字架の死と復活の福音を信じて、罪の赦しを受け取って、聖霊の力によって、元の創造された時の「かたち」に変えられていくのです。

「キリストに似たもの」になるためには、次の2つのことを覚えてください。

①聖霊の働きによって、徐々に変えられる

私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

聖書(2コリント3:18)

②再臨の時に、完全に変えられる

愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。

聖書(1ヨハネ3:2)

なので、今、私たちはこの間にいるということです。

ここが理解できると、なぜ、あなたは未だに罪を犯してしまうのか、葛藤があるのか、古い自分に戻ってしまうのか、悪習慣から解放されないのかがわかるのです。
完全を目指すが、完全にはならないからです。

では、「キリストの似姿に変えられる」とはどういうことか、もう少し具体的に聖書から見ていきます。

「キリストの似姿に変えられる」ってどういう人になることでしょうか?

愛のある人?赦せる人?

みなさん、今出てきた中に、最初のネットに載ってた人生の目標って出てきましたか?

人生の目標は?(9つ)

  1. 仕事で成功する
  2. マイホームを持つ
  3. 恋愛・結婚
  4. 旅行へ行く
  5. お金を稼ぐ・貯金する
  6. 健康になる
  7. 自分の名を残す
  8. 自由な時間をもつ
  9. 恩を返す

これら全て、キリストになることと全く関係がないということです。
これらの目標の特徴は「外面的」なことです。
ステータスとか所有、名声とかです。

キリストの似姿に変えられることは、「内面的」なことです。
霊的なこと、「人格の成長」です。

人間って英語で何と言いますか?

Human beingですね。

聖書が教える「人生の目標」はどんな人になるかという内面のこと。
人格的なことです。

でも、世の中の価値観は、なぜか、「Human doing」なんです。
何をする人間か?ということです。

では、聖書が教えている「キリストに似ている人とはどんな人になることなのか」を具体的に説明している箇所を読みましょう。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。

聖書(ガラテヤ5:22-23)

これらは、全て、あなたの人格的なことです。
人格的なことの特徴は、人間関係で結ばれる実です。

あなたが誰かと関わるとき、一緒に何かをするとき、生活するときに、外側に現れる特徴です。

全てのクリスチャンが身につける、具体的な「人生の目標」はこれらの9つの特徴を、対人関係で表すことです。

これらの身につける人が「キリストに似た人」であり、これらをベースした「言動」が、隣人を愛するという神の律法を成就します。

でも、これらの9つの実を結ぶことは、簡単ではありません。
全部、詳しく見ていってもいいですが、今日は時間がないので、簡単に見ていきます。

共通点は何か、私が何を言いたいか、考えながら、聞いてください。

愛は、無条件の愛です。無罪で十字架にかけられても赦せる愛です。
喜びは、牢獄に入れられても、心に溢れる喜びです。
平安は、人生の嵐の中でも眠っていられる、慌てない心です。
寛容は、忍耐とも言います。状況が良くならなくても信じて耐えれる力です。
親切は、哀れみとも言います。不公平なく、どんな人にもいつも優しくできるかです。
善意は、慈しみとも言います。貧しい人々や外国人、寡婦や孤児たち、困っている人々を助ける心です。
誠実は、約束を守り、人によって態度を変えないことです。
柔和は、謙遜ともいいます。おごらず、人をさばかない人です。
自制は、怒らないなど、感情や欲望をコントロールする力です。

さて、共通点は、これらの特徴を身につけることは、不可能に近いくらい難しいということです。

このガラテヤ人の手紙の御霊の実の箇所は有名であり、多くの牧師がメッセージします。

多分、このようになりましょう的に簡単に説明するかもしれません。

でも、そこで終わっても、無理でしょう。
だって、無理でしょう。

今の自分と比較してみましょう。

まず、「愛」の段階で、自分がどれほどの愛のない人間か、わかるはずです。

そこそこ、愛のあるとははだめです。
聖書が定義する愛は、「無条件の愛」です。

それが、キリストに似たものも持っている愛です。

つまり、聖書を読めば、私たちには非常にわかりやすい、具体的な「人生の目標」があるということです。

「キリストに似たもの」その特徴は、9つの御霊の実。

しかし、同時に、その目標までに「大きなギャップ」があるということなんです。

じゃあ、みなさん。
どうすれば良いか、わかっていますか?
どうやって、この大きなギャップを埋めればいいのか?

あきらめる?考えないようにする?
何となく、生活する?

このギャップを埋める術を知らないから、知識はあるけど、行動が伴っていないふわふわしたクリスチャンが出来上がるのです。
そのようなふわふわクリスチャンは、「どうやって、この大きなギャップを埋めればいいのか?」突っ込むと、答えられません。

ギャップを埋める必要はないとか、知る必要はないんです。神を愛することです。それは神の力です!という一点張りで、怒っちゃうかもしれません。

また、もやもやしたクリスチャンも出来上がります。

「なぜ、キリストを信じたのに、私の生活は変わらないのか?」
「なぜ、キリストを信じたのに、私の生活は罪まみれなのか?むしろ、後退してないか?」
「なぜ、葛藤がなくならないのか?」「救われていないのか?」

いやいや、聖書に書いています。

①聖霊の働きによって、徐々に変えられる
②再臨の時に、完全に変えられる

これらは、聖霊の力です。

私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

聖書(2コリント3:18)

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。

聖書(ガラテヤ5:22-23)

しかし、今日はここに三つ目の方法を聖書からお伝えます。
「どうやって、この大きなギャップを埋めればいいのか?」

③苦難によって、徐々に変えられる

みなさんの嫌いな苦難です。
聖書には苦難とは言わず、「試練」や「訓練」という言葉でも出てきます。

聖霊が働く領域と、みなさんの信仰が働く領域の両面があることを知ってください。

もし、聖霊が変えられるということなら、私たちは何もしなくてもいいことになります。
むしろ、私たちの働きは邪魔です。

しかし、私たちがするべき領域は確かにあるとも、聖書は言っています。

救いを受け取るときも、神とあなたの両方の働きが必要です。

あなたを救うのは神です。
しかし、信じるのはあなたです。

「馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない」という諺があります。

神様がいろんな機会を与えて支援することはできます。
でも、最終的に実行するかどうかはあなた次第です。

これを人間の自由意志と言います。

神様は、神の御心を求める人には「苦難」を通して、私たちの人格を練り上げてくださいます。

そこを通るのは、誰ですか?

神様は代わりに通れません。
だって、神様は成長する必要ないんです。

でも、神様は一緒に通って、苦しみを共感してくださいますけど。

要は、あなたが苦難を通して、練られなければ、あなたの人格がキリストのようになることはないのです。

これは、神様が造られた世界の原理です。

筋トレ好きな人は理解できますね?

辛いトレーニングで、筋肉が大きくなります。
楽で簡単なトレーニングで、筋肉は太く、強くなりません。

むしろ、使わないと、負荷を与えないと、筋肉は加齢と共に、どんどん衰えます。

心もそうですよね。
しごかれるので強くなるのです。

中学校の時、野球部でしごかれました。
でも、そこで精神的に強くなったと思います。

信仰もそうです。

信仰は、苦難という試練を通して強くなるんです。

聖書に書いていますか?書いています。

すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。

聖書(ヘブル書 12:11)

2 私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。
3 あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。
4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。

聖書(ヤコブ書1:2-4)

終わりに

みなさん、今、あなたが苦難を通っているならば、それは神があなたを練り上げ、成長させるためである可能性があります。

苦難を取り除ける祈りをしたのに、全然、状況がよくならない。
助けてくださいと祈っても、聞かれない。

なんでですか!と叫びましたね。

でも、神様は答えてくれない。

今、もしかすると、神様は、あなたが苦しむ姿に涙しながら、頑張れ、頑張って耐え抜きなさい、息子よ、娘よ、と忍耐しておられるのかもしれないのです。

可愛い子には旅をさせるのです。
良い親は、子供が嫌がっても、勉強させます。
スポーツで身体を鍛えたり、友人関係の試練を通ったりすることで、成長してほしいと願います。

悪い親は、その機会をとりあげます。
親が全部やってしまえば、子供は成長するチャンスがなくなり、弱い大人になります。

みなさん、信仰も同じなんです。

天の父は、あなたに「たくましい、成熟したクリスチャン」になってほしいと願われているのです。
口だけのクリスチャンではなく、キリストの人格に似た、隣人を愛し、社会に変革をもたらす、神の子供です。

聖書が教える「人生の目標」は「キリストに似たもの」になることです。
その具体的な特徴は、9つの御霊の実を対人関係で結ぶことです。

その目標まで「大きなギャップ」を埋める方法は、聖書には三つ書いています。

  • ①聖霊の働きによって、徐々に変えられる
  • ②再臨の時に、完全に変えられる
  • ③苦難によって、徐々に変えられる

順番を整理すると①と③、最後に②です。

特に、今日は、苦難の意味をもう一度、確認しましょう。

苦難には意味があります。

神があなたの人格を練り上げるため、負荷をかけておられるのです。

頑張れ!頑張れ!お前ならできる!お前は私の息子だ。あなたは私の娘だ。

その声はどこから聞こえますか?
天からですか?

いや、あなたのうちから聞こえるのです。
なぜなら、神は聖霊としてあなたの内側に住まわれ、一緒にその苦難を通ってくださっているからです。

あなたはその苦難を乗り越える。コーチがいるのです。

だから、大丈夫です。神の知恵を求めましょう。神の力を求めましょう。

成長したあなたを通して、神は、神の国を建てられるのです。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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