【聖書の終末預言52】死んだ人、どうなる?「第一の復活、第二の復活」(ダニエル書12:1-2, 13; 黙示録20:4; ヨハネ5:28-29)

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はじめに

今日は、キリストの再臨後の「死者の復活」について説明します。

信じるかは別として、天国と地獄という言葉は誰もが知っています。

しかし、天国と地獄に行くかどうかはどうやって決められるのでしょうか?
聖書には、死んだ人は、みんな例外なく神の前に立つと言っています。

それを最後の審判と言い、ユダヤ教やキリスト教だけではなく、ゾロアスター教、イスラム教など、多くの宗教において見られる考えです。

しかし、聖書を見ると、最後の審判の前には携挙や再臨、千年王国などさまざまなことが起こると書いています。

そのとき、死者の復活に対しても、時間差で起こるように書いてあったり、信者と不信者の復活の違いなど、なかなかややこしくて、正直自信を持って死者の復活がどのように起こるかを言える人は少ないのではないでしょうか?

この記事を見ると、死後に信者と不信者がどのように復活するのかについて、時系列で理解することができます。

最近は、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てたYouTube動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」ということに対して少しでも興味のある方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

キリストの再臨後、死者の復活はどうなるのか?

 →千年の時間差で、第一に復活と第二の復活が起こります。 

同じ人が二回復活するという意味ではありません。
キリストを信じるものと、信じない人の2グループが時間差で復活するということです。

今日は、3つのポイントでお話しします。

  • A.再臨前の復活
  • B.再臨後の第一の復活
  • C.再臨後の第二の復活

A.再臨前の復活

今日のテーマは、再臨後の二つの復活についてですが、その前にまず、聖書に出てくる復活を抑えておきましょう。

聖書には、キリストが復活したように、私たちにも復活が起こることが書かれています。

21 死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。
22 アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。

聖書(1コリント15:21-22)

私たちの人生は、長くて80歳くらいまで生きる今の人生で終わりではないということです。
この世で死んだ後に、復活があるのです。

それが、聖書の永遠という考えです。
この世の命で私たちの存在が全てリセットすることもなければ、輪廻転生もありません。

しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。

聖書(1コリント15:23)

ここにすごいことが書かれています。
復活には、「それぞれ順序がある」というのです。

この1コリントでは大きく二つに分けています。
キリストの復活と、再臨の時の信者の復活です。

ただし、聖書の他の箇所を読んでいくと、再臨前の復活についても出てくるので、少し整理しましょう。
再臨前の復活は聖書に3つ出てきます。

①イエス・キリストの初穂としての復活(今から2000年前)

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

聖書(1コリント15:20)

②二人の証人の復活(大患難時代の中間期)

しかし、三日半の後、いのちの息が神から出て二人のうちに入り、彼らは自分たちの足で立った。見ていた者たちは大きな恐怖に襲われた。

聖書(黙示録11:11)

③教会の聖徒の復活→私たちのことです

これは、1テサロニケを見ると、携挙の時に起こると考えられます。

16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

聖書(1テサロニケ4:16-17)

しかし、この復活が、再臨の時なのか、その前なのかについては、携挙がいつ来るかによって変わってきます。

携挙説には三つあったの覚えていますか?
詳しくは過去の動画をご覧ください。

【聖書の終末預言】⑪携挙「世の終わりに取り残されるって本当?」聖書(1 テサロニケ 4:16-17)

  1. 患難期前携挙説 (pre-tribulationism)
  2. 患難期中携挙説 (mid-tribulationism)
  3. 患難期後携挙説 (post-tribulationism)

患難期前携挙説や患難期中携挙説ならば、地上再臨の前にすでに教会時代の聖徒たちは復活していることになります。
再臨時には、キリストとともに地上にきます。

患難期後携挙説ならば、再臨の直前に復活することになります。

つまり、②二人の証人の復活と③教会の聖徒の復活は、携挙のタイミングによって前後する可能性があります。

ちなみに、聖書には死んだラザロがよみがったという箇所があります。

43 そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」
44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。彼の顔は布で包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」

聖書(ヨハネ11:43-44)

しかし、この生き返りは復活ではありません。
それは、ラザロが、この後、再び死んでいるからです。
旧約聖書の中で、死んで生き返っている人々についても同様です。

それは復活ではなくて、蘇生です。

今の時代でも、奇跡的に、心肺停止から蘇生する人はいますよね?
蘇生した人は、再び死にます。

一方、復活はそのまま永遠に生き続けます。

イエス・キリストは墓に3日間葬られ、復活し、天に昇られました。
これが、復活です。

B. 再臨後の第一の復活(千年王国の前)

 →信者に対する永遠のいのちのための復活 

私たちを含む、教会の信者たちが再臨より前に復活するのなら、再臨後は一体誰が復活するのか?と思いますよね。
旧約時代と大患難時代の信者です。

①旧約時代の聖徒たちの復活

復活という概念は、キリスト以降に明らかになったものではありません。
旧約聖書にも登場していました。

あなたの死人は生き返り、私の屍は、よみがえります。覚めよ、喜び歌え。土のちりの中にとどまる者よ。まことに、あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。

聖書(イザヤ書26:19)

ダニエル書12章13節を読むと、著者ダニエルにも、第一の復活の約束が与えられていることがわかります。

あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」

聖書(ダニエル書12:13)

つまり、旧約聖書のユダヤ人の中でも救われる人がいるということです。
ここでのダニエルはもちろん、アブラハムやダビデが救われていると考えるのは、当たり前ですが、なぜ、旧約のユダヤ人の救いという話になるかというと、旧約聖書ではまだイエス・キリストが十字架にかかって死んで復活していないからです。

クリスチャンがいわゆる福音という箇所にはこのようにあります。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

聖書(ヨハネ14:6)

ダニエルのような旧約聖書で聖書の神を信じる者たちは、イエスという三位一体の子である方を私たちのように認識していたわけではなさそうです。
でも、確かなことは、聖書に、ダニエルの名前がいのちの書に記されているということです。

イエス様のことばから、ダビデは、キリストを主と呼んでいる信仰があったことが書いています。

41 すると、イエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子だと言うのですか。
42 ダビデ自身が詩篇の中で、こう言っています。『主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
43 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」』
44 ですから、ダビデがキリストを主と呼んでいるのです。それなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」

聖書(ルカ20:41-44)

なので、まず、旧約時代の聖徒たちの復活が起こります。

②大患難時代の殉教者たちの復活

また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。

聖書(黙示録20:4)

旧約聖書のダニエル書にも書いています。

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。

聖書(ダニエル書12:1)

これは、第一の復活を表しています。
「あの書」とは「小羊のいのちの書」です。

地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。

聖書(黙示録13:8)

「小羊のいのちの書」には救われる者の名が記されています。

彼らがいのちの書から消し去られますように。正しい者と並べて 彼らが書き記されることがありませんように。

聖書(詩篇69:28)

ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。

聖書(ダニエル書12:2)

「目をさます」とは、復活のことです。

「ある者は永遠のいのちに」とは、第1の復活のことです。
「ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に」とは、第2の復活です。

第二復活は次のポイントでお話しします。

C.再臨後の第二の復活(千年王国の終わり)

 →不信者に対する永遠の裁きのための復活 

28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。

聖書(ヨハネ5:28-29)

黙示録20には、白い御座の裁き、いわゆる最後の審判が出てきます。
白い御座の裁きについては次回詳しく取り上げます。

第二の復活は、この裁きを受けるための復活です。

11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

聖書(黙示録20:11-15)

いのちの書に記されていないとは、キリストを主と信じていない人たちです。
逆に言えば、キリストが私の罪の裁き(つまり、白い御座の裁き)を十字架上で代わりに受けてくださり、死んで復活し死の力を打ち破ったということを信じるなら、その瞬間いのちの書に名前が記されています。

自分は、いのちの書に名前が記されているのか?と少しでも不安になった方は、
今、次の三つのことを信じますと心で決めて、口で告白してください。

  • ①イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架上で死なれ、
  • ②墓に葬られ、
  • ③3日目に復活された。

そうすれば、救われます。確信がなくても救われています。
それが信じるものは義とされる。つまり、信仰義認です。

まとめ

まとめましょう。

  • A.再臨前の復活
    ①イエス・キリストの初穂としての復活(2000年前)
    ②二人の証人の復活(大患難時代の中間期)③教会の聖徒の復活→私たち
  • B. 再臨後の第一の復活(千年王国の前)
    →信者に対する永遠のいのちのための復活
    ①旧約時代の聖徒たちの復活
    ②大患難時代の殉教者たちの復活
  • C.再臨後の第二の復活(千年王国の終わり)
    →不信者に対する永遠の裁きのための復活

次回は、白い御座の裁き、いわゆる最後の審判についてお話しします。
ご視聴ありがとうございました。

参考資料:黙示録セミナー終末編 /オメガミニストリーズ•オメガバイブルスタディー、ハーベストタイムミニストリーズ/メッセージステーション

この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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