山上の説教⑬「目をえぐって捨てなさい」(マタイ 5:27-30)

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はじめに

2016年にある団体が行った調査によると、(全国20代から60代の既婚男女782名を対象)
約1割が婚前交渉をせずに結婚しています。

つまり、90%が、結婚前に性的な関係を持っているということです。
こんなに性にオープンな現在の日本ですが、芸能人の不倫に対してはかなり激しいバッシングを浴びせます。
婚前交渉はOKで不倫はNGな理由は何でしょう?

日本では他の国と同様に、過去は不倫行為は姦通罪という犯罪に含まれていたからかもしれません。
聖書は、非常に明快に「姦淫」が何であるかを説明し、罪に定めています。
ここでの罪とは、その国の刑法ではなく、神の基準における「やってはいけないこと」です。
聖書は、性的な関係を持つことが許されるのは、結婚している男女だけであると言っています。
それ以外で、性的な関係を持つのは、「姦淫の罪」です。
旧約聖書では、姦淫は石打の刑に処せられます。

人が他人の妻と姦淫したなら、すなわち自分の隣人の妻と姦淫したなら、その姦淫した男も女も必ず殺されなければならない。

聖書(レビ20:10)

姦淫の現場で捕らえられた女とイエス様のシーン、覚えていますか?
なので、イエス様が話しておられた当時のイスラエルでの、姦淫は重い罪でした。
しかし、イエス様は今回の箇所で驚くことを言っているのです。
「情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです」

これじゃ、すべての男性が処刑になるのでは!?と思うくらい、衝撃的なことです。
今日は、山上の垂訓シリーズの「姦淫」について共に聖書からイエス様のメッセージを受け取っていきたいと思います。

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「目をえぐって捨てなさい」という意味は?

27 『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
28 しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。

聖書(マタイ:27-28)

イエス様は旧約の姦淫に関する律法を正しく解釈されます。
律法学者たちは姦淫は、行為であると思っていました。

でも、イエス様は、淫らな欲望自体を罪とされました。
これでは、どんなに立派なパリサイ人も、律法学者も、姦淫を犯しているでしょう。
絶望ですよね。
でも、これが神がすべての人に伝えたいことなのです。

次のように書いてあるとおりです。 「義人はいない。一人もいない。

聖書(ローマ3:10)

もし、このことを真剣に受け止めたら、パリサイ人も、律法学者も、高ぶることなくいよいよ神の前に謙遜になっていたことでしょう。

もちろん、「姦淫」は男性だけの罪ではありません。
姦淫の現場で捕らえられたのは女性でしたし、ananがアラサー前後の女性200人に調査を行ったところ、なんと約3割にあたる33%が不倫・浮気をしたことがあるという結果になりました。

イエス様はここで終わりません。
次の言葉はもっと過激です。

29 もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。
30 もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。

聖書(マタイ5:29-30)

目がポルノを見るなら、目に手を突っ込んで捨てろ。
手が罪を犯させるなら、包丁で切って捨てなさい。

現代でイエス様が生きてたらTwitterに投稿してたかも知れません。
こんなこと書いたら、炎上どころじゃありません。
でも安心してください。ここは、ユダヤ人のラビがよく使っていた誇張法です。
文字通り受けとめるべきではありません。

実際に、えぐり出したクリスチャンがいたそうです。
その方の気持ちには敬意を表しますが、神様は喜ばれるでしょうか?
実際、右の目をえぐりだしても、左の目で見ることができるのです。

ここでの意味は、もし誘惑に負けてしまうのであれば、どんな犠牲を払ってでも、不倫関係を断ち切るとか、誘惑を強く受けないような状況に自分をおくべきだ、という事です。
つまり、ここでの意図は、右の目(罪が入る道)、右の手(罪を犯す道具)を断固取り除くということです。

鳥が通り過ぎるのはしょうがない。でも頭の上に巣を作らせてはいけない。
巣を作らせないように、思い切った犠牲を払う必要があるということです。

例:ヨセフ

これを実践したのが、創世記に出てくるヨセフです。
彼は、自分の仕えていた主人の妻に、一緒に寝ておくれと言い寄られました。
ヨセフはつかまれた上着を脱ぎ捨てて逃げました。
その結果、少なくても2年以上牢獄に入る事になりました。
これがイエス様の御言葉を実践する人の例です。

例えばですが、スマホでポルノを見てしまうなら、いっそのこと持たないとか。
お酒を飲むと気が大きくなって、女性と遊びたくなるなら、お酒自体飲まないとか。
会社帰りに疲れで、ストレス発散したくなるなら、とにかくすぐ家に帰るとか。
極力1人にならずに、常に奥さんと一緒に過ごして散歩するとか。

僕はかなり前ですが、携帯で変なサイトに入った瞬間、妻にメールが行くようなサービスを月額で契約していました。
アメリカのクリスチャンが作ったサービスです。
自分の弱さを妻に打ち明けるのは恥ずかしいですが、協力してもらうことは大切です。

パウロも、罪との関わりを「戦い」で表現しました。

25 競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
26 ですから、私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。
27 むしろ、私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者にならないようにするためです。

聖書(1コリント9:25-27)

ダイエットするには、やはり計画と意志が必要です。
でも人間の意思は弱いので、誘惑を避ける工夫や知恵が成功の秘訣です。
でもやはり、節制が必要です。
パウロもイエス様の、罪に対しても同じ心構えでいなさいといっているということです。

あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。

聖書(ヘブル12:4)

どうでしょう。
ここまで聞いて、息がつまりませんか?
ここでメッセージが終わったら、ただのお説教です。
姦淫の罪の重大さを思い、悪い行動に誘う罪の誘惑をきっぱりと切り捨てる。
別の言い方をすれば、妥協なく、罪を徹底的に厳しく扱い、それと手を切る。
そんなのわかってる。
でもできないのが私たちなのではないでしょうか?

実は、ダビデ王は、この姦淫の罪を犯しました。
王になってから犯しました。
もしかすると、牧師が姦淫するくらいの衝撃かも知れません。

ダビデ王は、王宮の屋上から美しい女が水を浴びているのを目を留め(目の欲)
使いの者をやって姦淫します。この女性はウリヤの妻でした(手の罪)
ダビデはこの時、姦淫だけではなく、十戒の半分の5つを破りました。
しかし、神様は、ダビデを評価しています。
ここに恵みがあります。光があります。

もしあなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、わたしの掟と定めを守るなら、

聖書(1列王記9:4)

これは、神様がダビデの子、ソロモンに語った言葉です。
ダビデは、本当に、「神様が命じたことすべてをそのまま実行し、掟と定めを守ったのでしょうか?」
十戒の半分を破っています。
しかし、神様の目には、ダビデはそうであったのです。
神がそうだと言えばそうなんです。

鍵は、何でしょうか?
「全き心と正直さ」です。

① 姦淫の罪を認めること

私はあなたに ただあなたの前に罪ある者です。
私はあなたの目に 悪であることを行いました。
ですから あなたが宣告するとき あなたは正しく、さばくとき あなたは清くあられます。

聖書(詩篇51:4)

異性に対して情欲を抱いたり、自分のものにしたいと思ったら姦淫の罪なので、ほとんどの人が認める必要があります。

② 罪を取り除いてもらうように求める

ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば 私は雪よりも白くなります。

聖書(詩編51:7)

御顔を私の罪から隠し、私の咎をすべてぬぐい去ってください。

聖書(詩編51:9)

ここで、終わりではありません。

③ 聖霊の満たしを求める

10 神よ 私にきよい心を造り、揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。
11 私を あなたの御前から投げ捨てず、あなたの聖なる御霊を、私から取り去らないでください。

聖書(詩編51:10-11)

ダビデは、預言者ナタンに叱責されて、バテ・シェバとの不倫、その夫を戦死させた自分と罪を重さを自覚しました。
聖霊による生まれ変わりを祈り求めています。これらの3つを定期的に、行う必要があります。

ダビデはもっと徹底していました。
犯した罪以上に悔い改めたのです。

だれが 自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか 隠れた罪から私を解き放ってください。

聖書(詩編19:12)

光に出すなら、罪は赦されます。
刈り取りはあります。
でも、神の前では裁かれません。

自分が姦淫の罪を犯してしまう弱いものであること、罪あるものであることを認め、
その度に、神の前に出る。
キリストの十字架によって、罪の赦しを受け取る。
無意識の罪の悔い改める徹底さ。
そして、自分にはきよく歩む力はないことを認め、ダビデのように聖霊の満たしを求める。

これらのことを、なんとなくとか、適当にではなく、
目をえぐり出すくらい、手を切断するくらい、真剣に、
「全き心と正直さ」を持って、行うことをイエス様は求めておられるのです。

誘惑につながる行動や、物を排除する必要があるかも知れません。
行動のパターンを帰る必要があるかも知れません。
誰かに協力してもらう必要があるかも知れません。

罪を犯さなくさせる力は聖霊しかありません。
しかし、神様はこの心を見ておられます。

もしあなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、わたしの掟と定めを守るなら、
自分の名前を入れてみましょう。もしあなたが、(   )が歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、わたしの掟と定めを守るなら、

聖書(1列王記9:4)

まとめ

姦淫とは何か?
結婚以外の性的な関係に限らず、心の中で情欲を抱いて異性を見ること、思うこと。
目をえぐる、手を切断するとは、
犠牲を払ってでも、徹底的に、実生活で誘惑を避けること。
ヨセフのように、牢獄に入っても、その場から逃げること。

それらを肉の力で行うことは難しい。
だからこそ、ダビデに習う。
「全き心と正直さ」を持って、「罪人」として神の前に出続けること。
① 姦淫の罪を認めること
② 罪を取り除いてもらうように求める
③ 聖霊の満たしを求める

これを宗教的に、適当に行うのではなく。
目をえぐる、手を切断するくらい、徹底的に行う。
神様は私たちの心を見ておられるのです。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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