山上の説教㉑ 「キリストが教える祈り方①〜祈りは必ず楽しくなる!」(マタイ 6:9-10)

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はじめに

みなさんは「祈ること」が楽しいですか?
自由さと親密感、ワクワク感、喜びがありますか?
それとも、祈りが義務的・形式的で、無機質なものになっていないでしょうか?
なぜ、祈りが楽しくないのか。
「今日のお勤め完了!」みたいに、祈りが嫌々になるのか。

それは、祈りの「型」を知らないからです。
え?
逆に感じませんか?
型とかいらないしょ?
形式的になるしょ?
神様との会話のように自由に、祈るのがいいんじゃないの?

その通りです
しかし、このように絶対に祈らないといけないという、きっちきちの型ではなく、「このように祈りなさい」というモデルがあるんです。
それが、今日取りあげる「主の祈り」です。
神であるイエス様ご自身が、このように言っているんです。

ですから、あなたがたはこう祈りなさい。

聖書(マタイ6:9)

バスケットボールはゴールが二つあり、制限時間があり、ルールがあるから、楽しめます。
しかし、もし、ボールも何でもいい、ゴールも入れても入れなくてもいい。
何個でもボールを使って、好きなように、遊んでください。って言われて、「ボールを空中に投げて、1時間楽しいなー自由だなーっ」なんて人いませんよね。

真実は、型があるから自由に祈れないのではなく、「型」を知らないから自由に祈れないのです。
「型」や「ルール」と聞くと、「うーん。祈りってそんなんじゃないと思うけど」と思っていまいやすいですが、実際に、誰もが、祈りの型を使っています。

目をつぶる。手を合わせる。
「天のお父様」という呼びかけから始まる。
「イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」と終わる。

逆に聞いますが、それって聖書のどこに書いていますか?
呼びかけとイエスの御名は聖書に根拠がありますが、目をつぶりなさいとは書いていませんし、手を握るのも書いていません。
つまり、大事なことは、ただ形式的になることではなく、しっかりとした聖書のモデルから、本質を学び、祈ることです。
今日の主の祈りというイエス様のモデルを学ぶことで、祈りが必ず楽しくなります。

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キリストが教える祈り方

主の祈りは、大きく分けて、2つのパートに分かれています。
そして、それぞれ、3つずつの言葉に分かれます。
つまり、前半の3つの要素と後半の3つの要素です。
要素とは、「何を祈るか」ということです。

前半の3つの要素(神の御心)

前半の3つの要素は、「神の御心」を祈る祈りです。
神の御心とは、「これを与えてください」とか、自分のことを祈るのではなく、神様のことをメインで祈る祈りです。
そして、後半の3つの要素は、「自分の必要」のための祈りです。
今日は、前半の3つの要素である「神の御心」を祈る祈りについて取り上げます。

そもそも、ここで1番大切なことは、祈りの主役は、「私」ではなく「神」であるということです。
もちろん、私たちの必要を祈ることは大切です。
でも、イエス様がこう祈りなさいと言われた祈りのモデルでは、まず神様のために祈ることが先なのです。
ここを履き違えると、祈りがごちゃごちゃになったり、感情に流されすぎたり、長く祈れなくなったりします。
では、3つの要素をそれぞれ見ていきましょう。

①「天にいます私たちの父よ」→神に親しく呼びかける

まず、祈りで最も大切なことは、「呼びかけ」です。
前回のメッセージのポイントでもありました。
祈る時に、「仏様」と言ってしまえば、聞かれません。
対象が違うからです。
「天にいます私たちの父よ」とは、聖書の神、イエス・キリスト、聖霊と三位一体の神です。

そして、この呼びかけは、日本語だともっと堅いですよね?
自分の父親に「父よ」と呼びかける人いますか?
もちろん、尊敬は必須ですが、この箇所の祈りは、ヘブル語ではなく、アラム語で記されています。

どういうことか?
当時、イスラエルでは、日常的にアラム語が使われていました。
なぜか?バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマと様々な国に支配され、ヘブル語よりもアラム語が一般的になっていたからです。

当時、ヘブル語は、聖書の聖なる言語というイメージです。
これは私たちに近いですね。
そして、シナゴーグなどの公の場では、ヘブル語が使われていました。
ユダヤ人はヘブル語の祈り文シェマーと祈祷書(テフィッラー)を毎日、祈ります。今もです。

しかし、イエス様は、いわゆる「聖なる」ヘブル語ではなく、日常生活で使用するアラム語により祈り方を教えられたのです。
弟子たちは新鮮な衝撃を感じたはずです。
国語の先生が、いろは歌を、現代版で教え始めた感じです。仏教ですが。
色美しく咲く花も、いつかは散ってしまう

しかも、ヘブル語での祈りは、厳粛で厳格な表現の伝統的な祈りです。
でも、イエス様は、何と「アバ」と祈り始めます。
「アバ」って意味わかりますか?
アラム語で、「パパ」です。
超衝撃的です!

ユダヤ人の指導者は、これを神に対する冒涜ともとったでしょう。
いきなり、牧師が、「天国のパパ、ありがとう」って祈ったら、みんな引きますよね?
まじで、日本の教会でさえ、僕は「なめた野郎」と異端扱いされる可能性があります。
でも、イエス様は、そのように祈ったのです。

もちろん、僕らが祈る時「パパ」という必要はありませんし、「父よ」でもいいんです。
なぜなら、尊敬を表すことも大事だからです。
イエス様がここで言いたかった事は、天の父なる神との「親密感」です。
こんな話を聞きました。
歴史上、キリスト教の反対者となった人たちは、父親との関係に問題があったようです。

父親からたっぷり愛された経験がある人は、天の父なる神にもスッと、信頼し、甘えることができます。
でも、父親と死別や離婚で関係があまりなかったり、虐待されていたとか、あまりに厳しかったとか、逆に仕事で家にいなかったとか、空気のような存在感だったりした場合、
天のお父さんのイメージは同じようになるそうです。

みなさんは、どうでしょうか?
天の父なる神に親密感を感じていますか?
祈る時はどうでしょう?
自分の父親との関係が健康的ではない、なかったなら、そこが祈りの扉を閉じてしまっている可能性があります。

②「御名が聖なるものとされますように」 →神を褒め称える

これは、ただ、告白するのと、実際に本質を捉えているのは天と地の差があります。
「御名が聖なるものとされますように」 とは、神の偉大さや性質を思い起こし、神をたたえることです。
呼びかけの後に、最初に祈る祈りは、「神への賛美」です。

祈りの優先順位は、私たちの必要ではなく、神です。
祈りと賛美は切り離せません。
賛美は、歌だけではないのです。
言葉での告白は賛美になります。

神を褒め称える祈りとは何でしょう?
神の永遠性、偏在性、愛の性質などについて黙想したり、告白することです。
「神様、あなたは素晴らしいお方です」
自由に祈っても構いませんが、おすすめは聖書の箇所を用いて祈ることです。
例えば、

主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。

聖書(1歴代誌29:11)

詩篇を朗読してもいいですね。
また、神様が、私たちに与えてくださった過去の祝福を思い起こすこともいいですね。
感謝と賛美です。

祈りで大事な事は、偉大な神を見る事です。
起こっている状況や、弱い不完全な私たちを見ると、問題は大きくなり、不安や悩みが大きくなります。

しかし、私たちが神に焦点を当てると、私たちの頭の中で神が大きくります。
すると、問題は小さくなるのです。
神は偉大です。大きな方です。力ある方。死を打ち破った全治全能の方。
そう告白するれば、神にとって、解決できない神より大きな問題ってありますか?
ないことに気づくんです。
だからこそ、大きな神を意識するのが、祈りの第一、基本なのです。

③「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように」→神の国の実現を祈る

御国とは神の国のこと。
神の国とは、神の支配と神の御心が実現する場所。
つまり、神の国が、私たちの住んでいる地上に実現するように願う祈りです。
天国は、死後の世界だけではありません。
この地上で、完成はしませんが、実現していきます。

例えば、十字架の死と復活という福音は、現実生活を変化させます。
私自身の罪の問題、罪悪感が減り、希望とワクワク感が生まれます。
死が怖くなくなります。
そして、周りにも関係の回復を通して影響を与えます。
夫婦関係。親子関係。職場の人間関係。
社会問題までもが、福音によって変わっていきます。

環境問題。労務問題。政治・経済。文化が神の本来の姿・かたちに変わっていきます。
それを祈るのが、この「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように」という祈りです。

教会のため、牧師や役員のため、宣教師のために祈る。
まだ救われていない人が救われるように祈る。
自分がどのような方法で神の国拡大のために奉仕ができるかについて祈る。

このことを知れば、祈りは楽しくなります。
だって、私たちの現実が変わっていくんです。
その根拠が、②の神の偉大さ、死を打ち破った大能の力。

その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。その比類なき偉大さにふさわしく、神をほめたたえよ。

聖書(詩篇150:2)

聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。

聖書(ローマ1:4)

力ある=大能
できないことないんですよ!祈りを待ってるんです。
私たちの祈りを通して、栄光をうけられたいんです。
子どもたちと一緒に、喜びたいお父さんです。

ガーデンチャーチが社会に与えるインパクトを考えるとワクワクします。
日本の10%がクリスチャンになったら、って想像したことありますか?
たった10%でも、社会変わりますよ。
日本の総理大臣が、国の代表として、主の祈りを祈ったら?

まとめ

まとめると、

①「天にいます私たちの父よ」→神に親しく呼びかける
②「御名が聖なるものとされますように」 →神を褒め称える
③「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように」→神の国の実現を祈る

イエス様は、主の祈りを形式的に毎週、唱えるために教えられたのではありません。
もちろん、礼拝では祈ります。
だけど、毎週、何も考えないで、暗記し、心をこめないで祈るなら、これはイエス様が指摘したパリサイ人と同じ失敗になります。
これは、あくまでも、どんなことを祈るのかというモデルです。

なので、これらの要素をしっかり押さえ、自由に祈っていくのです。
そして、今日、取り上げた主の祈りの前半に、「私」のための祈りは出てこないということです。
祈りの最優先事項、フォーカスは「神」なのです。

この神にフォーカスをすれば、祈りは楽しくなります。
ワクワクします。
止まらなくなります。

私たちを愛し、祈りを熱心に待ってくれ、聞き入れてくださる親愛なる天のお父さん!
そして、死をも打ち破った大能と権威を持った偉大なイエスキリストが祈りを聞いてくれている!
そして、そのイエス様の支配と御心、愛がこの現実社会で実現することを、バンバン祈る特権!

あなたの心を変えた神は、あなたの家族や会社を変えます。
しかし、そこに止まらず、社会全体を変革するのです。

リバイバルが起きることを信じますか?
現実的に想像し、神の御心が何かを黙想し、その通りになるように、祈りましょう!
有能なビジネスマンが、どんなに良いビジョンを持っていても、そのまま行動しないなら、その夢は実現しないのです。

私たちを通して成し遂げたいビジョンを神様が持っていても、私たちが祈らないならば、実現しないのです。
神は待っておられます。
祈りが義務的・形式的になっていないでしょうか?
自由さと親密感と、ワクワク感、喜びの祈りの生活に変わるように、祈ります。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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