山上の説教⑫「え?怒ったら地獄行き?」マタイ 5:21-26

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はじめに

最近、何かに「キレる」人が多いように感じます。

安倍首相に対し「病気で辞めるのは無責任だ」とキレる。
コロナに感染した人に「他の人にうつしたら迷惑だ」とキレる。
不倫した芸能人に対し「あり得ない」とキレる。

コロナで国民全体がイライラしているのでしょう。

私たちも、日常的によく怒ってしまいますよね。

「仕事でのイライラを引きずって、家族に当たってしまった」など、抑えられない「怒り」や、
人と会えば、いつも他人ことを愚痴ったりするのも、「怒り」の現れです。

実は、この怒りには多くのデメリットがあって、
米ウォールストリートジャーナルによると「怒ると、心臓発作を起こすリスクを通常より8.5倍も高める」という研究結果。
また、一度怒ると、交感神経がガット上がって、他の物事に集中できなくなったり、イライラが治るまで時間がかかるので、単純に「時間のムダ」とも言えます。

なので、最近では「アンガーマネジメント」と呼ばれる、「怒りをコントロールするスキル」を学ぶ人や研修に取り入れる企業も多くなってきました。

コントロール出来たら、どれだけいいかと思う「怒り」ですが、
聖書は、この「怒り」についてちょっと違った観点を示しています。

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「怒ったら地獄行き?」とは?

昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

聖書(マタイ5:21)

これは、出エジプト20:13の十戒の第六戒、「殺してはならない」ですね。
殺人は、さばきを受けるとは、死刑に当たる犯罪だという意味です。
しかし、イエス様がここで言っているのは、殺人ではありません。
殺人を引き起こす隠れた怒りが問題なのだと言っているのです。

今日の箇所は、殺人についての教えというより、殺人を引き起こす「怒り」についてです。

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

聖書(マタイ5:22)

ここで、イエス様はショッキングなことを言っています。
「誰かに腹を立てたら死刑です」
怒って、誰かを「馬鹿」と言っても最高議会、神の裁きにより死刑。
「愚か者」原語的には「空っぽ」という意味があるので、「能無し」と言ったらゲヘナ、つまり地獄行きです。
「いかりやチョースケ頭はパー」→地獄行き

人間の法廷=殺人という行為に至ったら裁かれます。
神の法廷=心の中の怒りや憎しみ、殺意、侮辱、悪口を持った時点で裁かれます。
「おいおい、そんなこと言ったら、みんな死刑かよ」と思いますよね。
その通りなんです。
私たち人間が考える基準は、アンガーマネジメントでコントロール出来たらいいと思いますが、
神の基準は、コントロールというか、「誰かに腹立てたら死刑」です。

人はうわべを見ますが、神は心を見られます。
もう一つ、世の中の「怒り」に対する考えと、聖書の「怒り」に対する考えが違うところは、目的です。
世の中のアンガーマネジメントは、自分の負の感情をコントロールし、より良い人生を送ること。
つまり、焦点は自分地自身目的な自分のメリット。

しかし、聖書は怒りについて、殺人と絡めている。
これは、怒っても他人に危害を加えるな。
つまり、焦点は相手との関係。目的は、相手との良い関係を気づくこと(平和:シャローム)。

怒ってはならない。
ここまでは世の中も聖書も同じ。
でも、怒ってはならない理由が違う。
怒ってはならない。
なぜなら、相手との良い関係を築くことを妨げるから。

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

聖書(マタイ5:22)

「兄弟に対して」→対象がいる。
「悪口」→相手を傷つけるから。

これは、23節以降を見れば、もっと明らかになります。

23 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
24 ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
25 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。
26 まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。

聖書(マタイ5:23-26)

要するに、誰かがあなたを憎んでいるなら、怒っているなら、すぐに謝りに行きなさい。
相手との関係をまず第一に考えなさい。
そうすれば、怒りがどれだけ関係を壊すかがわかるはずです。と言っているのです。

最初、読んだ時、正直難しかったです。
怒ってはいけないと言ったのに、23節以降は、相手が怒った場合の対処法に飛ぶんです。
流れ的には、怒っても、赦しなさいじゃないですか普通。
もちろん、怒っても赦しなさいは、後で出てきます。

どういうことかというと、ここでのイエス様のポイントは、怒りそのものをうまく対処しなさいではなく、「相手との和解」であるということ。
怒りが焦点ではなく、「愛の関係」が焦点であるということ。
今日から、順番に触れていく、イエス様の6つの律法の解釈も、共通点があります。
すべて相手との関係をもとに解釈されています。

殺人(5:21-26)
姦淫(5:27-26)
離婚(5:31-32)
誓い(5:33-37)
復讐(5:38-42)
愛(5:43-47)

要するに、イエス様は、怒りをコントロールせよと言っているのではなく、
怒っても、「赦しなさい。謝りなさい」と言っているんです。

怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。

聖書(エペソ4:26)

怒ることはあるでしょう。
でも、怒っても、罪、すなわち、神様や隣人との関係を壊すような罪は犯すなと言っているのです。
「赦しなさい。謝りなさい」
これは、親が幼稚園児に教えるくらい簡単で、誰もが正しいと思っていること。
しかし、大人ほど、赦せず、謝れない。
夫婦喧嘩はなぜ、ヒートアップする?
親子で言い合いになる?

「赦し、謝るのは」いうほど簡単じゃないから。
いや、人間には無理です。
私も含め、人間は、些細なことで、怒り、やがては殺意にはで発展してしまうのです。
では、どうすればいいのか?
みんな地獄いきか?
地獄から救う道はなんでしたか?
イエス・キリストの十字架ですよね?
怒りの対処法もまた、イエスの十字架なのです。

十字架の前に進むこと。それ以外に怒りの解決はない。
十字架という解決があるからこそ、イエス様は、高い基準で、兄弟に怒ったものは、地獄行きだと言われたのです。
十字架と怒りの解決になんの関係があるのでしょう?
十字架は、私たちの怒りをコントロールするスキルを与えるではなく、怒りの原因そのものを解決するからです。

実は、カウンセリングの世界では、怒りは二次感情と言われています。
怒りの裏側には、本来分かってほしい感情である『一次感情』があるというのです。
こうあってほしいという期待や理想が裏切られ、分かってほしいと思うことが分かってもらえなかったときに怒りは生まれます。
その際、怒りの裏側にある『悲しい』『つらい』『寂しい』『不安』『苦しい』という一次感情に目を向ける必要があります。

ライターはガス(燃料)があって、着火スイッチを「カチッ」と押すと火花が生まれ、炎になります。
ガスが溜まっていれば炎は大きくなり、ガスが溜まっていなければ炎は小さくなります。
着火スイッチは、「~である‟べき”」という自分の理想や大事にしている価値観です。

例えば、「夫は、妻はこうあるべき」「自分はもっと愛されるべき」「弱音は吐かないべき」「もっと努力するべき」その「べき」と現実にギャップがある場合、または「べき」が裏切られる場合、着火スイッチが「カチッ」と押されて火花が生まれます。

どんなに怒りを解消しようとしても、この一次感情が満たされない限り、再発します。
そして、着火スイッチの「〜べき」という自分の義が、破壊されない限り、すぐにスイッチがはいり、爆発します。
なので、この一次感情と「〜するべき」の2つを解決しない限り、怒りは止まらないということ。

辛い、苦しい、悲しい、疲れた、恐い、心配、絶望、孤独、これらの弱さを持っていることを認め、イエス様の十字架の前に持っていくのです。
これらの感情を満たせるのは、神しかいません。
私たちの弱さを担い通られたからこそ、同情してくださるのもイエス様のみです。

「〜するべき」という義も、十字架につけましょう。
私たちは、無意識の中で、ずっと、「〜すべき」と責め続けられて生きているかもしれません。
誰が、責めているのか?他でもない自分です。

だからこそ、まず、十字架を通して、自分が赦される必要があるのです。

「〜するべき」と言える方は神様しかいません。
その神様が、「その重荷、私が負ったから」「あなたは赦されているから」と言っているんです。

自分が赦され、愛された人こそが、イエス様の言った「赦しなさい。謝りなさい」を実践できるのです。

47 ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
48 そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。

聖書(ルカ7:47-48)

まとめ

イエス様は、言われました。
「怒ってはならない。なぜなら、相手との良い関係を築くことを妨げるから」関係がポイント。
そして、言われました「赦しなさい。謝りなさい」でも、簡単じゃない。
十字架に行くことが大切。
なぜなら、イエス様は、怒りの原因そのものを解決し、和解を完成されたから。

「赦しなさい。謝りなさい」を実践する前に、まず、私たちが、十字架で赦しを受け取りましょう。
一次感情「辛い、苦しい、悲しい、疲れた、恐い、心配、絶望、孤独」を認めて、吐き出しましょう。
「〜するべき」を廃棄しましょう。

この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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