山上の説教㉔ 「キリストが教える祈り方④〜誘惑に打ち勝つ」(マタイ 6:13)

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はじめに

・ダイエットしようと決めたはずなのに、ランチを買いに入ったコンビニでデザートのシュークリームを買っている…
・やるべき仕事は山ほどあるのについSNSのチェックをしてしまう…
・ちょっと1杯のつもりがいつの間にやら止まらなくなる…

「誘惑に弱い」自分に嫌気が差した経験はありませんか?
スイーツやファストフード、アルコール、タバコ、スマホゲーム、ネットサーフィンなど日常生活にはなんと誘惑が多いでしょうか。
研究によると、私たちの脳は「誘惑を優先してしまう性質」があるらしく、いつも誘惑に勝つのは至難のワザだそうです。

みなさんは、打ち勝ちたい誘惑ってありますか?
聖書は、「誘惑の存在」を否定していません。
そして、今日取り上げる「主の祈り」の最後のフレーズのテーマこそ、「誘惑に打ち勝つための祈り」なのです。
今日のメッセージを通して、誘惑に打ち勝つ答えを得ることができます。
期待しましょう。

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後半の3つの要素(自分の必要)③ 私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください(未来)

① 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください(現在)
② 私たちの負い目をお赦しください(過去)
③ 私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください(未来)

現在、過去、未来、全てについて祈ることができます。
そして、今日が最後の、未来の誘惑に打ち勝つための祈りです。

私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』

聖書(マタイ6:13)

試みと訳されたギリシャ語のπειρασμος「ペイラスモス」は、「試み」とも「誘惑」とも訳される。
つまり、両方の意味を含みます。
実際、聖書で「試み」と出てくる時、2つの種類の試みが出てきます。

A. 誘惑

13 だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれかを誘惑することもありません。
14 人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。

聖書(ヤコブ1:13-14)

誘惑とは、信徒を滅ぼすためにサタンが行うこと。

B. 試練

これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。

聖書(創世記22:1)

6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、
7 試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。

聖書(1ペテロ1:6-7)

2 私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。
3 あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。
4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。

聖書(ヤコブ1:2-4)

試練とは、信徒を訓練させるために神様が許されること。
2つの別々の「誘惑」と「試練」というより、このように理解することもできます。
これらは表裏一体。コインの裏表。

どういうことでしょうか?
一つの出来事が、「誘惑」と「試練」にもなりうるということです。
(例)仕事で成功した
サタンは信徒を滅ぼすために誘惑します。
お前の力でやったんだ。神は関係ない。お前は誰よりもすごい。神は必要ない、もっと、貪欲に行こうぜ。

神様は、信徒を訓練するためにその状況を用います。
神と周りの人々のお陰ですと謙遜になれるか?その成功を神と人を愛するために使えるか?お金を神の御国のために投資できるか?
この絶妙のなバランスの中で、私たちの信仰は強められます。
時には、誘惑に負けて倒れます。
しかし、私たちは何度転んでも、神の力によって試練に打ち勝ち立ち上がるのです。

このように見てくると、「私たちを試みにあわせず」というよりも、「試練を歓迎します。信仰が強められるために試みにあわせてください」という祈るほうが理にかなったように思えます。
たとえそのように祈らないとしても、信仰者であるならば、試練を免れることも避けることもできないのです。
とすれば、イエスの教えた「私たちを試みに会わせないでください」とは不可解な祈りと言えます。

これはどのような意味なのでしょうか?

私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』

聖書(マタイ6:13)

「・・にあわせないで」とは、「・・に陥らせないで」という意味です。
つまり、試みは必ずある。
しかし、試みがきた時に、「誘惑に負けてしまわないように」という祈りなのです。

宗教改革者マルチン・ルターは誘惑についてこのように言いました。
「頭の上を誘惑の鳥が飛び回ることは、だれにも避けることができない。 しかし、その誘惑の鳥が、髪の毛の中に巣を作ってしまうのを防ぐことはできる」

ここでの祈りは、試み自体を避ける祈りではないのです。
誘惑に陥って、頭の中に巣を作らせてしまうことなのです。

誘惑に陥るとは?

では、私たちが避けるべき「誘惑に陥る」状態とはどのような状態なのでしょうか?

具体的に3つあります。

①私が持っている「神に対する意識」が薄まること

→世の富、成功、暮らし向きの自慢によって、神様に対しての情熱や思いがなくなる。
神様が、人生の優先順位において低くなる。

弟子訓練の本に書いていた例話です。

ある若い夫婦が熱心に主に仕えていましたが、急に教会に来なくなりました。
彼らは一生懸命お金を貯めて家を買い、妻は家を飾ることに神経を使い、夫は車を買うために仕事に多くの時間と労力を費やすようになっていたからです。
家と車を買うこと自体は罪ではありませんが、彼らがそれらを神様よりもっと愛したので、サタンの誘惑に負けてしまったのです。

②私と神との関係を疑うこと

人生の苦難を通ったときに、吹き出す感情です。
「神様は私を見捨てたに違いない」
「私は救われていないのではないか」
家族との傷や、置かれた状況から、疑いが生じるのです。
次は②との関係します。

③神のみことばとその真実性などを否定すること

置かれた状況から生じる疑いに打ち勝つ方法は、聖書の言葉です。
たとえ、今、このような状況でも、聖書に「神は私を見捨てず、見放さないと書いてある」と信じるならば、大丈夫です。
嵐の中でも、重い碇でしっかり固定された船のようです。
しかし、聖書の言葉すらも疑い、否定し始めるならば、私たちの人生という船は漂流します。

つまり、誘惑に陥った状態とは、神様への信仰が薄れた状態です。
そうなれば、もはや私たちは神から離れていき、世の中において「神の証人」としての影響力がなくなります。
最悪の場合、信仰を捨てて、サタンと一緒に滅びることにもなりえます。
サタンは、神に対する意識を薄めさせ、神との関係を疑わせ、聖書の言葉すらも信じさせないくさせたいのです。

そのために、様々なもので誘惑するのです。
よく誘惑に使われるものが、1ヨハネ2:16に書いています。

すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

聖書(1ヨハネ2:16)

この世の全てを通して、誘惑します。
では、私たちはどうすればよいのでしょうか?
簡単です。祈りです。
私たちが誘惑や試練に打ち勝つ秘訣は、祈りです。
これは論理的に考えても、祈りは必須であることがわかります。

①私たちは弱い
②サタンの誘惑、人生の苦難はなくならない
だから、
③毎日、神の守りを祈る
聖書の語る信仰者は、試みを恐れる弱っちい姿ではありません。

これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」

聖書(ヨハネ16:33)

どんな試みでも恐れずに進む信仰者です。

しかし、私たちの現実の姿を見ると、限りなく弱っちいですね。
聖書の姿と矛盾しているようです。
いや、実は矛盾していないんです。
なぜ、試練を恐れないか。
それは、私たちではなく、イエス様が守ってくださることを信じてるからです。

私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』

聖書(マタイ6:13)

悪からお救いください
「救う」とも「守る」とも訳せます。
とにかく強調点は、神が私たちを守られるということです。
試みに勝利する秘訣は、「神の力」に頼ることしかありません。
試みが、誘惑だろうが、試練だろうが、同じです。

誘惑された時に、神様によって誘惑に陥らないように祈る。
試練にあった時、神様だけに頼り栄光をきすように祈る。
同じです。
そして、未来のことを今、祈るのです。

将来何が起こるかはわかりません。でも、今できることがあります。
それは、将来のトラブルに対する準備です。
老後に備えて貯金する。保険に入る。身体を鍛える。
同じことです。
一番、賢いのは誘惑や試練にあう前に事前に祈って備えることです。

まとめ

さて、私たちが直面している誘惑や試練は何でしょうか?
これから、直面するであろう誘惑や試練は何でしょうか?
今、祈りましょう。
神の力こそが、誘惑に打ち勝つ唯一の道です。

6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

聖書(ピリピ4:6-7)

備えあれば憂いなしです。

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