山上の説教㉜ 人生の黄金律「誰からも嫌われる人の17の特徴」(マタイ7:12)

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はじめに

ネットに「誰からも嫌われる人の17の特徴」という記事がありました。

1.否定から入る
2.人の話を聞かずに話し続ける
3.上から目線で話す
4.聖人きどりで話す
5.評価・判断をしてくる
6.自分の自慢話をしてくる
7.人の陰口をたたく
8.愚痴や不平不満を言う
9.不愛想
10.人を自分の思い通りに動かそうとする
11.被害妄想
12.目を合わせない
13.自制出来ない癖
14.店員に偉そうな態度を取る
15.嘘をつく
16.話をしているのにスマホをいじる
17.なんだか気持ちが悪い

まとめると、自分の話ばかりして、愚痴っぽく、自己主張が強く、仏頂面で、気難しく、まったく人の話を聴かない人です。
こうやって聞くと、「あ〜、そういう人嫌だな」と思います。

しかし、同時に思うわけです。
「もしかして、自分もしてないか?」
他人の背中は丸見えだけど、自分では背中は見えません。
同じように、「他人に嫌だなあ」と思っている人ほど、自分も同じことをしている可能性があります。
それでもなんとなく人間関係が保たれているのは、大体の場合、仕事上の関係性であったり、相手が我慢しているだけです。

じゃあ、どうするの?って考えた時、世の中の本や宗教は「相手が嫌なことをしないように」という方向性に行きがちです。
日本人的な感覚で言えば、「人に迷惑をかけないようにしよう」
ユダヤ教の代表とも言われるラビのヒラルは、旧約聖書の律法の内容を「他人が自分にしないように望むことを、他人にしてはならない」と要約しました。
しかし、イエスさまは、逆です。

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聖書でもっとも大切な教え「黄金律(ゴールデンルール)」 とは?

ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。

聖書(マタイ7:12)

「他人からしてもらいたいことは、他の人にもしてやりなさい」ということです。
ラビ・ヒレルの教えは消極的ですが、イエスの教えは積極的です。
「ですから」という言葉から、この1節はイエス様の山上の説教(マタイ5~7章)の教えの要約であることがわかります。
「人からしてもらったら嬉しいことを、ほかの人にもする」
「これが律法と預言者です」とあります。
律法と預言者とは、旧約聖書の言い換えです。

つまり、これは山上の説教(マタイ5~7章)の教えの要約であるだけではなく、旧約聖書の要約でもあるのです。
イエス様は、他の箇所でも言っています。

36 「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
38 これが、重要な第一の戒めです。
39 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
40 この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

聖書(マタイ22:36-40)

「神を愛し、隣人を愛すること」
これが、聖書のメッセージです。
これは大事なので、覚えてください。
「神を愛し、隣人を愛すること」
これが、聖書のメッセージです。
その中でも、対人関係で言えば、

『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。

聖書(マタイ22:39)

これが、大事です。
自分自身のように愛しなさい=自分がしてもらいたいこと

ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。

聖書(マタイ7:12)

これが、聖書でもっとも大切な教えなので、黄金律「ゴールデンルール」とも言われる所以です。
では、自分がしてもらいたいこととはなんでしょうか?
かなり抽象的ですよね。
それでいいんです。
聖書は愛を定義しません。
聖書は、愛を神とイスラエルとの関係を通して、明らかにしています。

愛とは、主観的ではあり、ある時は相対的です。
それは、関係の上に成り立っているからです。
愛するから、相手が何をして欲しいかを考えます。
その配慮自体が愛です。

南アフリカには、犯罪率が低いことで知られているバベンバ族がいます。
現代文明を受け入れない彼らは、どのようにしてこのような成熟した関係を築いているのか?
それは、彼らが、自分がしてもらいたいことを他人にしているからです。
バベンバ族は、過ちを犯した人を、村中の人が集まって取り囲みます。
—人ずつ順番に、その人の悪いことを指摘するのでしょうか?
違います。—人ずつ順番に、その人が以前に行った良い行いを言ってあげるのです。
一般的には処罰すべきと考えられる犯罪人を、ほめてあげるのです。

「あなたは本当に良い子だった」「あなたは、昨年、雨がたくさん降ったとき、流されていくわが家の豚を救ってくれた」
あらゆる称賛と激励のことばを言ってあげるのです。
誇張したり、冗談を言ったりする人は一人もいません。
この称賛リレーを続けていると、その過ちを犯した人はすすり泣き始めます。
そうすると、村中の人々が彼を優し抱きしめます。
そして、彼の罪を赦し、慰め、励まします。
そうすると、二度と罪を犯さなくなるそうです。

私たちは、他人が間違いを犯すと、指摘して、裁きたくなります。
でも、自分が間違いを犯したときに、「裁いて欲しい」という人はいないはずです。
自分はすでに反省しているのだから、「裁かずに愛して欲しい」
これが本音です。

駐車違反の紙が車に置いてあっても、罰金の請求がこなかったら、内心ほっとするものです。
禁錮何年の犯罪で裁かれても、裁判官が初犯なのでと、刑を軽くしてくれたら、嬉しいでしょう。
死刑にあたる罪を犯しても、被害者が赦してくれるなら、涙がでます。
それでも、私は死にますとあえて、罪を被る人はいるでしょうか。
誰もが他人に厳しく、自分に甘いのです。

でも、他人には、厳しくされるよりも、甘くしてもらえたら嬉しいものです。
自分がして欲しいことをするとは、こういうことです。
このことがわかると、十字架の偉大さがわかるのです。
イエス様こそ、弱くて未熟な私たちを慰め、寄り添い、愛されるのです。
自分がして欲しいことを客観的に説明するならば、「御霊の実」がぴったりです。

22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。

聖書(ガラテヤ5:22-23)

無視されるより、愛して欲しいです。
ずっと不機嫌でいるより、喜んでいて欲しいです。
不安や愚痴を言われるより、平安を与えて欲しいです。
裁かないで、寛容であって欲しいです。
不親切より、親切にしてもらったら嬉しいです。
悪意を隠しているよりも、善意で接して欲しいです。
嘘つかないで、誠実でいて欲しいです。
いつもイライラしているより、優しくして欲しいです。
なんでも発散するのではなく、節度を持って接して欲しいです。

先ほどのバベンバ族は、これらのことを実践しましたね。
でも、ここでメッセージは終われません。
だって、そんなのできるの?って思うからです。
皆さんは、どうですか?
僕らは、気づかなくても、自分の話ばかりしてしまうし、愚痴っぽくなるし、自己中心だし、疲れたら機嫌悪くなるし、人の話を聞いてるようで聞いてません。
それでも、いいんです。

え?いいの?
なぜなら、「御霊の実」なんですから。
ん?
御霊の実です。
よく考えてみてください。
人間の実でないのです。
そもそも、人間には結べない実であるということです。

だから、前回のメッセージの箇所でもある、直前の部分で、「求めなさい」と出てきたのです。
良いものを神に求めなさい!
良いものって何でしたか?

ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」

聖書(ルカ11:13)

聖霊です。
パリサイ人たちは、聖書はよく知っていたが、イエスを否定しました。
自分たちは、「隣人を愛している」という自負がありました。
しかし、実際は、彼らは聖霊を冒涜していました。

しかし聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」

聖書(マルコ3:29)

神様の前に正しい態度とは、聖書を読み、神ご自身を求めることです。
自分の人生に聖霊の力が必要であることを認め、イエス様の前にひざまずき、求める姿勢なのです。
まさに、不倫と殺人を犯したダビデが取った態度。

10 神よ、私にきよい心を造り、揺るがない霊を、私のうちに新しくしてください。
11 私を あなたの御前から投げ捨てず、あなたの聖なる御霊を、私から取り去らないでください。

聖書(詩篇51:10-11)

ダビデは、自分は、自分に忠実な部下から奥さんを奪い、隠蔽のためにその部下を戦場で死なせました。
彼が求めたのは、その悲惨な自分自身を認め、「聖霊を求める」ことだったのです。

神へのいけにえは 砕かれた霊。 打たれ、砕かれた心。 神よ、あなたはそれを蔑まれません。

聖書(詩篇51:17)

どういう時に、私たちの霊は砕かれ、聖霊を求めるのか?
それは、神のみことばに従いたい。
自分がしてもらいたいように、他人にもしたい。
でも、できない。
それを体験した時です。

聖霊様。あなたが必要です。
この姿勢をイエス様は求めておられるのです。
これが、山上の説教の適用です。

まとめ

山上の説教の教えの要約。
聖書全体の最も大切な教えの要約。
それが、今日の箇所です。

ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。

聖書(マタイ7:12)

具体的には、これは御霊の実が結ぶ、行動であることを学びました。
しかし、問題は、どうやって実践するのか?ということです。
それは、結局のところ、御霊に結んでもらうしかありません。
それが、神様が山上の説教を通して、私たちに気づいてもらいことです。

正しさ「神の義」は神から与えられる。
人間関係の黄金律も、神の霊である聖霊の助けを通して、結ばれる。
「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい」
今週も、このイエス様の心を実践していきましょう。
職場で、家庭で、人間関係で。
そのために、今日祈るのです。
聖霊様、私を満たし、私の言動を通して、あらゆる人間関係において御霊の実を結ばせてください。

この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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