なんで聖餐式ってするの? 聖書(1コリント 11:24-25)

20201101
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24 感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
25 食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」

聖書(1コリント 11:24-25)

はじめに

日曜日の教会の礼拝には、聖餐式というプログラムがあります。

小さなパンと小さなカップが、回ってきて、それらをいただくのです。
一つのパンをちぎって配布する教会もあれば、クラッカーみたいなものを配る教会もあります。
カップの中身は、ぶどうジュースが多いでしょう。

毎週行なっている教会もあれば、月に一回行う教会もあります。

クリスチャンなら、当たり前のように行なっている聖餐式ですが、「なぜ、この聖餐式が大切であるか」説明してと言われたら難しいのではないでしょうか?
また、初めて教会に来た人からしてみれば、「なんだこの儀式は?」と戸惑ってしまうかもしれません。

今日の記事を読めば、聖書から聖餐式の意味を知り、なぜ、聖餐式をする必要があるのか、なにが大切なのかがわかるようになります。

なんで聖餐式ってするの?

①なぜ、聖餐式をするのか?

イエス様は、十字架にかかる前に弟子たちと食事をしました。
それはなんと呼ばれていますか?

「最後の晩餐」ですね。

最後の晩餐といえば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の絵が有名です。
あの絵は、かなり西洋のイメージに脚色されています。

実際は、最後の晩餐は、旧約聖書の「過越の祭り」の食事です。
最後の晩餐という言葉がものすごく特別感を感じさせますが、ユダヤ人なんら毎年春に必ず行う過越の祭りの夕食なのです。

過越の祭りと聖餐式の関係については、次の聖餐式の時にメッセージしたいと思います。

さて、この「最後の晩餐」の席上でイエス様はこのように言いました。

24 感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
25 食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」

聖書(1コリント 11:24-25)

パンと杯をとり、「わたしを覚えて、これを行いなさい」

なぜ、聖餐式をするのか?

簡単です。

イエスが命じられたからです。
これは命令なのです。

なので、ほぼすべての教会は聖餐式をしています。

イエス様は、「わたしを覚えて、これを行いなさい」と言っていますね。

「わたしを覚えて」ということは、聖餐式には深い意味が隠されているということです。
聖餐式は、キリストを覚える儀式だからです。

では、キリストの何を覚えるのか?

②聖餐式の意味

次に3つのことを覚えます。

A.キリストの十字架のからだと血

19 それからパンを取り、感謝の祈りをささげた後これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。

聖書(ルカ22:19-20)

聖餐式は、十字架のからだと血を表しています。

具体的には、

聖餐式のパンは十字架上で打たれたイエスのからだを象徴しています。
聖餐式の杯は十字架上で流されたイエスの血を象徴しています。

昔、イスラエルでは、動物の「いけにえ」や「捧げもの」が捧げられていました。
なぜでしょうか?

もちろん、聖書に書いてあるからなのですが、
いけにえというのは、人間の代わりに、動物を殺し、血を流すことで、その人の罪を償うという意味がありました。
しかし、問題は、私たちはいけにえが足りないほど、罪を犯しているということです。

みなさんは、1日に何回罪を犯しますか?
ここでの罪とは、殺人などの犯罪だけではなく、悪い考えをもつとか、誰かにイジワルするとか、 神様に対し、また他者に対しするべき行為をしないことも含まれます。

もし一日に10回、あるいは5回、いや3回だけ、罪を犯したとしましょう。
実際、一日3回だけなら、その人は比較的「善人」と言えるのではな いでしょうか。

しかしそんな「善人」でも一年間で1,000回以上罪を犯すことになります。

私は今34才ですから、今まで に通算、低く見積もっても34,000回以上の罪を犯してきたことになります。

もし私たちが、34,000枚分の駐車違反ステッカーをもって警察に出頭したら、どうなるでしょう。
警察は当然私たちを裁くことになるでしょう。

当時なら、34,000頭のいけにえを捧げる必要があります。
まず、無理ですし、例えば、牛1頭の値段は、車一台より高かったらしいので、今もそうですが、100万円だとしても、340億円分のいけにえです。

つまり、動物いけにえは、そもそも、完全に私たちの罪を償うものではないのです。

律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。

聖書(ヘブル 10:1)

当時は、経済的な理由からも、毎日いけにえを捧げていたわけではもちろんありませんが、聖書もいけにえは不完全だと言っています。

2 それができたのなら、礼拝する人たちは一度できよめられて、もはや罪を意識することがなくなるので、いけにえを献げることは終わったはずです。
3 ところがむしろ、これらのいけにえによって罪が年ごとに思い出されるのです。
4 雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。

聖書(ヘブル 10:2-4)

そこで、神様が私たちに提示された、究極のいけにえがありました。
それが、イエス・キリストの十字架によるいけにえです。

5 ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。「あなたは、いけにえやささげ物をお求めにならないで、わたしに、からだを備えてくださいました。
6 全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物をあなたは、お喜びにはなりませんでした。
7 そのとき、わたしは申しました。『今、わたしはここに来ております。巻物の書にわたしのことが書いてあります。神よ、あなたのみこころを行うために。』」
8 以上のとおり、キリストは「あなたは、いけにえやささげ物、全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物、すなわち、律法にしたがって献げられる、いろいろな物を望まず、またそれらをお喜びになりませんでした」と言い、
9 それから、「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。
10 このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。

聖書(へブル10:5-10)

ちなみに、聖餐式は過越の祭りが原点ですが、出エジプトの物語も、キリストの十字架が預言されていました。

エジプト人の長子が死ぬという災いがありました。
しかし、家の門柱に子羊を屠って、血を塗ったイスラエル人だけが助かったという場面が出てきます。
これは、私たちの罪のために十字架で屠られた、子羊イエスキリストのからだと血を表しています。

聖餐式のパンは十字架上で打たれたイエスのからだを象徴しています。
聖餐式の杯は十字架上で流されたイエスの血を象徴しています。

つまり、聖餐式は、私の罪のために死んでくださって、罪を代わりに償ってくださって、イエス様ありがとう。と感謝する儀式なのです。

ちなみに、みなさんの罪はすでに償われています。
あとは、それを信じるだけでいいのです。

B.キリストにある和解

聖餐式は、本来、一つのパンと杯を分け合って行います。

つまり元々は、一つのパンをちぎる。一つの杯を回し飲みする。

なぜかというと、キリストのからだと血、つまり十字架の犠牲にあって、私たちは一つであるという意味なのです。

16 私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。
17 パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。

聖書(1コリント 10:16-17)

なので、クラッカーやカップでそれぞれ飲むだけではこの意味はつかめません。
もちろん、しませんが。

さらに、食事をするという行為は当時のユダヤ文化において、敵対関係にあった者同士が和解したことを意味するものでもありました。

神との和解

従って、神に対して罪を犯したために神との絆が壊れてしまった(神と敵対関係にある)人間が神と食事をするというのは、神との和解を意味することになります。
実際、イスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放され、神と契約を結んだ後、民の中の主だった人たちは神と食事をしたと記されています。

神はイスラエルの子らのおもだった者たちに、手を下されなかった。彼らは神ご自身を見て、 食べたり飲んだりした。

聖書(出エジプト24:11)
お互いの和解

そして、十字架には縦と横があるように、私たち同士の和解でもあります。

イエス様の十二弟子はみんなバラバラの出身と性格。
漁師や政治家。お互いライバル意識もあった。
その中にはイエスを裏切るイスカリオテのユダもいた。

現代社会もそうです。
自分と背景も違う、性格の違う人がいる。
大体、合わない人とはほとんど一緒にいることはありません。
家族か会社関係だけ。

しかし、教会は違います。
見てください。

ガーデンチャーチは、下は0歳。上は69歳まで、実に背景も文化も、性格も、職業や能力も、経済状況も、しかも国籍までも違う人が集まっています。
でも、一緒に集まって礼拝します。
礼拝後は、分かち合って、祈って、ランチを食べます。

なぜ?

みんなキリストの十字架によって、神の子供とされた神の家族だからです。
みんなキリストの血で繋がった兄弟姉妹。

同じく住まわれる聖霊の一致があるのです。

こんな団体はこの世に教会しかないでしょう。

C.キリストの再臨

聖餐式は、イエスが再びこの世にやって来る再臨のときにクリスチャンたちが神と共に楽しむ大宴会を象徴しています。

ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。

聖書(1コリント 11:26)

再臨が意識されています。

人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。

聖書(ルカ 13:29)

そうしてあなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだりし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるのです。

聖書(ルカ 22:30)

御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。

聖書(黙示録19:9)

みなさんは、子羊の婚宴に招かれていますよ!

では、最後に、

③誰が、聖餐式をするのか?

イエスキリストの十字架の福音を信じている人です。
聖餐式は、キリストの十字架を覚える儀式なので、信じていない人はできません。

だからこそ、パウロはこのように言っています。

27 したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
28 だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。

聖書(1コリント 11:27-28)

ふさわしくない仕方とは、キリストの十字架を重く受け止め、感謝することを忘れて、ただパンと杯を食べることです。
自分自身の信仰をもう一度、省みて「イエス様、十字架ありがとうございます」と告白することが最も大切なのです。

「あなたの十字架で刺された体と流された血潮によって、私の罪が赦され、神との絆が回復し、神の家族の一員とされていることを覚えて、感謝します」

終わりに

①なぜ、聖餐式をするのか?

「わたしを覚えて、これを行いなさい」とイエスが命じられたからです。

②聖餐式の意味

  • A.キリストの十字架のからだと血
  • B.キリストにある和解
  • C.キリストの再臨

③誰が、聖餐式をするのか?

イエスキリストの十字架の福音を信じている人です。

聖餐式を行うときに、このように告白できたら幸いです。
「あなたの十字架で刺された体と流された血潮によって、私の罪が赦され、神との絆が回復し、神の家族の一員とされていることを覚えて、感謝します」

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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